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音楽のある日常の尊さ AZKi「map in the cup」に寄せて

喪失の痛みを知っているからこそ、なんでもない日常の大切さや尊さを実感できる。

AZKiのメジャーデビュー1stアルバム「Route If」から先行配信された「map in the cup」は、本当に何気ない日常の一瞬一瞬を精彩に描き出している。
紅茶に落としたミルクをAZKiの代名詞にもなった地図に見立てている歌詞には、作詞作曲を担当したやなぎなぎのAZKiに対する理解の深さと、にくいファンサが見え隠れする。

朝の紅茶を飲み干した後は、花びらの下で読書をする。水面ににじんだオレンジは、夕焼けに時間が経過した事の喩えか。朝、夕方の次は、寝る前のホットワインに三日月と星空で夜に時間は進む。朝のカップの中の世界旅行と、星空を見上げて無限大の宇宙旅行という、日常規模と宇宙規模という対比も秀逸。紅茶を飲み読書をし、ホットワインを飲んで夢を見る、そんな毎日を特別だと、そんな毎日を重ねていきたいと、AZKiが真っ直ぐな感情を込めて歌い、聴く人を優しく温かい気持ちにさせてくれる。

いち開拓者として、AZKiとこれからも、なんでもない日常を集めて束ねていきたいと、心から強く強く思う。なぜなら開拓者はAZKiを喪失する痛みを知っているから。

2021年12月29日、イノナカミュージックのプロジェクト終了と、AZKiのホロライブ移籍が発表された。あの日覚えた絶望感は今も忘れることができない。外出先でこの知らせを聞いて、足元から世界が崩れる感覚と、内臓がスーッと冷たくなる感覚を同時に覚えた。

自宅にいたなら醜態を晒しても誰にも見られないが、往来ではそうはいかない。どうにか近くにあった喫茶店に逃げ込んで、コーヒーを一杯オーダーする程度の社会性は維持できていた。その日コーヒーカップに落としたミルクは地図にはならず、当時の私の思考のようにグルグルと渦を巻いていた気がする。

それから約1時間、AZKiの2ndアルバム「Re:Creating world」を聴いていた。アルバム最後の曲「in this world」の歌詞が、どうしようもなく私の胸を抉った。


--誰の為に何の為に これが運命だと言うの?

引退の運命が決まっていた世界線αがβに変わったと言っていたのに。

--君と生きるここでこの場所で それが私の世界だ

嘘だ嘘だ嘘だ「ホロライブのAZKi」が残っても「イノナカミュージックのAZKi」は終わる嘘つきだ。

--大丈夫だからそばにいるよ 君に笑って欲しいんだ

それでも・・・・・。

--傷つき涙を流す君が幸せだと思える世界になりますように願いを込めて歌う

・・・・・・・・・・。


それから2年以上の時が経ち、AZKiは今も活動を続けている。あの時の喪失感は忘れることはできないけれど、今でも私は何度もAZKiの音楽に救われて生きている。

「map in the cup」は午睡のような日常の心地よさを感じる曲だが、そういう歌を今もAZKiが歌っている運命の巡り合わせに、私は感傷を禁じ得ない。
明日を迎えに行こうか、と当たり前に未来を歌える毎日が、最高な日と最悪な日の先にあったことは、たぶんこの上なく幸せなことだと思う。曲にそうした深みを感じるのは、AZKiがこれまで傷つき心が折れそうになっても、辞めずに活動を続けてきた賜物だろう。順風満帆な平坦な道のりでは、決して生まれなかった独特の陰影が、彼女の物語性を味わい深いものにしている。

AZKiのアーティストとしての深みは時を重ねるごとに増していく。それは高級な紅茶のように、年代物のワインのように、じっくり醸造されていくものかもしれない。

AZKiはその歌声で聴く者の感情を揺さぶり、歌の世界と登場人物に感情移入させてくれる。彼女はその活動の中で、いのちを燃やして歌っている。だから、私は彼女の音楽が好きだ。私はこれからも、AZKiというアーティストとその音楽と共に生きていきたい。


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