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#3 勉強とは?

世間は未曾有の感染症の最中であり、自粛を強いられる日々を過ごしています。

退屈しのぎとして、久々にnoteを更新しようと思います。

今回は勉強についてのお話です。
先日、塾のアルバイトをしている際に、生徒から、「勉強に意味はあるのか。」「勉強は人生の役に立つものなのか。」という質問を受けました。

学生なら、誰しも考えたことがあるのではないのでしょうか。
いい機会なので、少し考えてみようとおもいます。

勉強には、実学と虚学というものがあり、実学とは、実生活で役に立つことを趣旨とした学問を指します。こちらに関しては話すまでもないでしょう。

今回話すのは、実生活に直接的に関わることがあまり想定されていない"虚学"の方に触れていこうと思います。

そういう意味で言えば、僕にとって勉強とは、"知らなくてもあまり困らないが、知るとちょっと楽しくなれるもの"という感じになります。

ある意味、哲学的な理論や言説、思想などは、知らなくてもあまり困ることはないでしょう。しかし、知らなければ見えてこないものというものが世の中にはあります。

例えば、サッカー観戦をする際、サッカー経験者とそうでない人とを比べてみると、経験者はゴールシーンのみならず、細かいプレーの一つ一つに反応を示すことが多いです。

サッカー経験者は、そうでない人には推し量れない、一見簡単そう見えるプレーなどの難しさまで理解することができます。

このようなものは、分からない、見えないからといって人生において致命的な損失を生み出すことはありません。

しかしながら、知っていた方が様々なものが見え、面白く感じることは明白です。

もしかしたら、虚学はある意味、スポーツや趣味のようなものに近いのかも知れません。

みなさんはラグビーを観たことはありますか?
僕は去年ラグビーW杯をテレビで観戦した際に、初めはあまり面白いと感じませんでした。

ルールすら分からない僕には、何故そうなったの?と疑問を抱くばかりでした。

しかし、数試合観戦し、アナウンサーの解説を聞いているとだんだん分かるようになっていきます。

そうすれば、理解の出来ない判定や、プレーが減っていき、円滑に観戦することが出来るようになり、試合が面白く感じるようになっていきました。

つまり知識というものは、様々なものに触れる際に、より面白く感じさせてくれるものなのであり、教養や知識は、文化というエンターテインメントを消費する為のマテリアルということになるのです。

そして、そのマテリアルを集める行為、文化に触れることこそが"勉強"になるわけなのです。

アート学べば、展覧会に行くことが楽しくなるでしょう。
文学を学べば、作家の表現技法の妙を言葉の美しさを今より感じることが出来るでしょう。
社会学を学べば、より深く社会が見え、歴史を学べば、過去の人々が見てきた世界を、人類の偉大な轍を感じることが出来るでしょう。

勉強とはそのようなものであると僕は思っています。

最後に、「勉強は役に立つのか」という疑問を抱く人に僕の考えを述べようと思います。

バイト、飲み会、部活、サークル。

そのような生活に、学問というものは基本的に貢献することはあまりないでしょう。

しかし、それは勉強というものが意味を成さないものであるということには決してなりません。

ただ、今送っているあなたの生活に、直接関係するものではなかっただけなのです。

自分の生活に役立つものだけに、価値を見出し、その他を軽視するような姿勢は、乏しく、虚しいものであると僕は考えています。

あくまでこれは、一個人の意見であり、これが正しいという保証はありません。
しかし少しでも参考になれば幸いです。

今回はここで筆を置くことにします。
最後まで読んでいただきありがとうございました!