[図解] メンタルモデルの分かりやすい話:氷山の先っちょをつついても現実はビクともしないワケ
※ 2022年内容更新
はじめまして、三好大助(みよし・だいすけ)です!バングラデシュのNGOや Google などを経て、現在は世界中にある様々な「内的変容のアプローチ」を独自に収集して、ビジネスの現場で分かち合う活動をしています。
おかげさまで、経営者・企業の皆さまから「マネジメントや組織の困りごとに、"メンタルモデル" っていうアプローチが有効って聞くんだけど、話を聴かせてもらえませんか?」とお問い合わせをいただくことが増えてきました。
(2017年頃じゃ考えられなかったこと!ありがとうございます!🙇)
そこで、この note では「初めての人でも分かりやすい、メンタルモデルについての記事」を目指して、図解をしてみます😊
🤔「メンタルモデル」って何?
人間が深いところで抱えている無自覚な自己定義のことです。
「自分は◯◯だ」(価値がない、無力だ、ダメなやつだ、ひとりぼっちだ... etc)といった、過去の痛みから端を発した自己定義を、誰もが深層意識に持っています。
そしてこのメンタルモデルが元になって、その人独自の「行動パターン」が築き上げられます。
そして「行動パターン」があることで、「現実」もお決まりのパターンとして繰り返されるものが出てきます。
このようにして、過去の痛みから生まれた自己定義「メンタルモデル」が、「行動パターン」を創り出し、職場でのマネジメントはもちろん、パートナーシップ、子育て、人生のあらゆる場面の体験に影響を及ぼしています。
🤔「メンタルモデル」って要するに何が美味しいの?
表面的な対処ではうまくいかない組織の(そして人生の)現状に対して、根本的なシフトを促します。
それは、言うなれば OS のアップデート。
"スマホ" にどれだけ優れた "アプリ" をインストールしても、"OS" のバージョンが古ければ動かないのと同じように。
現場の問題にいくら新しいスキルや制度(=優れたアプリ)を導入したとしても、当事者たちのメンタルモデル(意識のOS)が変わらないと、なかなか現実に変化が起きない、ということがよくあります。(またはいっとき解けたとしても、別の形で再発する)
では、その "OS" とはどんな構造になっていて、どのようにアプローチできるのか?
ここでは「なかなか自立してくれないメンバー」に悩んでいた僕の実話をケースに、見ていきたいと思います。
第1層:氷山の先っちょをつついても...
僕が過去に「メンバーのAくんがなかなか自立しない」(黄色文字)ということで悩んでいた現実を、氷山を例に見てみます。
海面から突起してる氷山の目に見える部分を「① 目に見える出来事(=Aくんが自立しない)」だとしますね。
この ① を見て「どうしたらもっと自分の頭で考えて自走してくれるようになるかな〜」と、タスク管理術や便利なフレームワークを教えるなどしてみるも、一向に手離れしないAくん。
まさしく氷山の先っちょ(= 目の前にいるAくん)をいろんな角度からつついても、なかなか現実が変わらず、当時の僕はかなり苦戦していました。
第2層:構造的な解決に挑むも...
そんな時に有効なのがこの氷山モデル。表層の目に見える部分は全体の2割弱に過ぎず、物事の本質は目に見えない8割強の「構造」に隠されている、という観方です。
そこで当時の僕なりに、構造的に事象を捉えてみることにしました。
「そいえばAくんに限らず、過去にBくん、Cくんも同じような感じで、いつまで立っても手がかかる状態になっては、最後は辞めていったなあ」
「3人の共通点は、内向的で自信なさげなこと。そうしたメンバーに対する関わり方を見直してみよう」
このように、今目に見えている ① の出来事はあくまで一部であり、その奥には「 ② 構造的に繰り返されているパターン(事象パターン)」があるのでは?と洞察し、課題解決を図っていくアプローチが可能です。
そこで当時の僕は、傾聴や自立を促すコミュニケーションができるように「コーチングスキル」を学んでみたり、「1on1」や「セルフマネジメントの研修」を導入したりしたこともありました。(=優れたアプリのインストール)
ただ、氷山の先っちょをつついても、大きくて重たい氷山はビクともしないがごとく。そうした施策を打ってもやっぱり改善されず、同じような問題が繰り返されるってこと、あるあるですよね。僕の場合もそうだったのです。少しはマシになりましたが、「メンバーが自立しない問題」はやはり現場で繰り返される。
では、その場合どうしたらいいのか?ということを次に見ていきます。
第3層:氷山の先っちょをつついても、現実はビクともしないワケ
上のような課題解決型の施策で現実があまりビクともしない場合、氷山の体積(=事象の全体像)が、目に見えない深いところまで存在していると捉えることができます。
では ② 事象パターンの奥には何が存在しているのか。
② のように事象がパターンとして繰り返されてるということは、歯車が噛み合って動いているように、そこに関わってる人たちも無自覚に繰り返している「③ 行動パターン」があるのではないか。そんな風に見ることができます。
この観点で僕自身のケースを観てみると、「途中で答えを与えてしまう」というパターンがあることに気付かされました。要するに「じっと見守る」という関わり方が選択できなかったのですね。本人がなかなか変わらないと、どうしても焦れったくなって、「それはこうしたらいいんだよ!」と介入してアドバイスを口うるさくしてしまう。
だからメンバーとしては、「なんだかんだでマネージャーが助けに入って、方向性を与えてくれる」という認識になり、いつまで立っても自立意識と責任感が芽生えず、依存的な態度を続けることができてしまった。書いてみると改めて悲しみが込み上げてきますね(笑)。
なので表層の事象を見ていくら打ち手を打っても、この僕自身の「③ 行動パターン」が変わらない限り、どうしても別の形で再発し得るわけです。
このように、問題を自分の外側において指差すのではなく、「この現実を生み出すことに自分はどんな風に加担してるのか?」という内省の視座が、この ③ 階層目のポイントです。
この「 ③ 無自覚なパターン」に気づくだけでもかなり大きなシフトになり得るのですが、「"Aくんならできる" と信じてじっと見守ろう」と思ってもなかなか変われないこともありますよね。
なぜかと言うと、この「③ 無自覚なパターン」というのはついついやってしまう、といった代物で「分かっちゃいるんだけどなあ〜〜(でもやらざるを得ない)」みたいな反射行動に近いものだからです。
僕の場合で言うと、「途中で答えを与えてしまう」という行動パターン自体に善悪はないものの、この行動パターンが相当根深くて、頭では分かってるんだけど、やっぱりアドバイスの連発が辞められなかったんですね。僕の意志とは裏腹に、この行動パターン一辺倒になりがちで、結果としてメンバーが依存的になるというシナリオから抜けられないことに、僕の最大の苦悩がありました。
では、無自覚な行動パターンに気づいてもなかなか辞められない、というケースでは、僕たちは何ができるのでしょうか。
第4層:無自覚なパターンを生み出しているものの正体
なぜついついその「行動パターン」を取ってしまうかと言うと、その「行動パターン」を取らざるを得ないようにさせている、その人独自の「④信念(無自覚な思い込み)」があるからなんです。
まず、なぜ「その人なりの成長速度を尊重せず、途中で自分が答えを与える」という行動を取るのかと言ったら、僕の場合「人はできる限り早く成長すべきだ」という信念があることが分かりました。
だからいつまでもチンタラ・ウジウジしてなかなか変わらない人に、焦れったくなって介入してたんですね。自分が提示した答えから学んでもらって、本人が自力で答えを出せる状態に早く成長してほしかった。
「じゃあ人に早く成長しろって言うのなら、自分も早く成長しようと頑張ってるはずだよね」
「成長できずに変われないままだと、自分の場合は何が困るの?」
と聴かれたら、
「成長できないとずっと幼いままだ」という言葉が出てきます。
ではなぜ僕は「幼い自分」でいるのがイヤかと言ったら、「そんな自分は、人から受け入れてもらえない」と思っていることに気付かされたんですね。
幼い自分のままだと手がかかるし、周りに負担と迷惑ばかりかけるので受け入れてもらえない。そんな「幼い自分は、受け入れてもらえない」という信念を根底に持っていたことが分かったのです。
(サラッと書いているけど「まさか自分がこんなこと思ってるなんて」と、気づいた当時とてつもない衝撃でした...)
まとめるとこのような流れですね。
ちなみに今振り返ると、「大人で自立した人間 = 周りの世話ができる人間」という信念も僕の内にあったように思います。
だから幼くて自立できない人たちと関わって成長を促すポジションを取ることで「自分はこの人と違って大人で自立している」という証明に使っていた、という観方もできます。
つまり、自分が「幼くない(自立した大人である)」ことを主張するために、周りを依存させていた(幼い状態のままにしておいた)とも言えるわけです。
(こう書いてみると我ながらスゴイ話...笑)
なので、部下のケースはもちろんのこと、パートナーシップでも相手が自立せずどんどん依存的になる、ということが僕の人生では繰り返されていました。
「④ 信念」の観点があると、こんな観方ができるんですね。
このように「③ 行動パターン」を駆動させている「④ 無自覚な信念」の中でも、最も深くにある「自分は◯◯だ」という自己定義を「メンタルモデル」と呼びます。
この「メンタルモデル」は、大きな意味では誰もが複数持っているのですが、その人の人生を形作っている、まさに人生の OS のような働きをしている核となる信念(メンタルモデル)を、誰もが一つ持っている。そんな風に個人的には見ています。
このOSである「④ メンタルモデル」(例:幼い自分は、受け入れてもらえない)が揺らぐと、自然と「③ 行動パターン」から自由になれて、結果「② 事象パターン」から解放される。つまりメンタルモデルの揺らぎが、ビクともしなかった氷山全体の揺らぎに直結するわけです。
ですが、じゃあ「大丈夫、幼くたって受け入れてくれる人はいるよ」と言い聞かせて変わるなら苦労ありませんよね(笑)。ポジティブシンキングじゃ容易に太刀打ちできないのが厄介なところなのです。
ではその揺らぎを起こすためにどんなアプローチができるのでしょうか。そのためにもまず、メンタルモデルの成り立ちを理解してみます。
第5層:メンタルモデルの奥にあるもの
そもそもなぜ僕は「幼い自分は、受け入れてもらえない」という信念を抱えるに至ったのでしょうか。
ずばり、メンタルモデルの形成には、その人が過去に味わった「⑤ 痛み」の体験が関係しています。
「痛み」と言っても「トラウマ」みたいな大げさな話ではありません。「痛み」とは「二度と味わいたくない過去の感情」と捉えてみてください。
例えば僕であれば、弟と妹が生まれてから、急に「長男らしくなりなさい」と言われはじめ、親に甘えれなくなった悲しみがありました。
そんな体験から「幼い自分のままだと、受け入れてもらえないんだ」(早く "大人" になれば親から受け入れてもらえるはず)というメンタルモデルを持つようになった、と今では理解しています。
このように、「④ メンタルモデル」が生まれる背景には、必ず避けたい「⑤ 痛み」が存在しています。
氷山が溶け出す時
実は「④ メンタルモデル」に気づけた瞬間、ほぼ同時に「 ⑤ 痛み」の感情を身体で感じることができ、そこから氷山全体の融解が始まっていきます。
僕の場合はこのように、人生でずっと避けていた「⑤ 痛み」の正体に気づき、その感情に触れることで、必要な気付きが自然と生まれていきました。
こうした気付きによって、「④ メンタルモデル」、そして「③ 行動パターン」の反射運動の力が自然と弱まっていく働きが、多くの場合起こり始めます。
これだけでも十分な自己変容が起こり得るのですが、「⑤ 痛み」に触れることでもう一つ大切なギフト(得られること)があります。
あなたの痛みが教えてくれるもの
実は「⑤ 痛み」の感情を感じることができると、さらにその奥にある「本当は何を願っていたのか」という「⑥ 内発的な願い」に気付けるようになります。
なぜかというと、「⑤ 痛み」は「あるはずなのに、ない」という構文で出来ているから。考えてみれば当たり前のことで、「こうあるはず」という願いや期待のないところに、痛みは起こりません。「幼くたって、長男らしく振る舞えなくたって、自分ありのままで受け入れてもらえるはずだ」と思っていたからこそ、「それがない」という体験に痛みを覚えるわけです。
つまり、痛みに触れることで、自分本来の内発的な願いにアクセスできる。逆に言うと、痛みを避けてばかりだと「本当は自分は何を信じたかったのか」という内発的な願い・情熱の源泉がいつまで経っても分からない、肚落ちしにくいとも言えます。
僕の場合だとこんな感じの気づきのプロセスがありました。
この「⑥ 内発的な願い」に自分で気づけるからこそ、メンタルモデルから端を発した「行動パターン」とは別の行動を取る動機づけになるわけです。
僕であれば、上の願いに気づけたことで、以下3つの気付きとアクションを A くんに伝えるに至りました。
後日談として、Aくんが「まさかそんなことを思ってたなんて」とリアクションしたのは言うまでもなく、「甘えていたかもしれない自分」「本当はどう思われているのかとっても怖かったけど、今ならありのままを自分も話せる安心がある」と彼からも素直に自己開示してくれたのは、僕も大きな安心と歓びでした。
今でも「介入してクチを挟むクセ」がゼロになったわけではありませんが、このAくん一人との体験から大きく感覚が変わり、
・「見守る」という選択が以前よりも格段に取りやすくなった
・周りの人が自分の元からより手離れ、自立がしやすくなった
のは間違いありません。
氷山はなくならない:メンタルモデルとの付き合い方
以上、僕のケースでメンタルモデルの紐解きのプロセスを簡単に再現してみましたが、いかがでしたでしょうか。(本来は「④ 信念」以降を紐解く際にもっと詳細がありますが、本稿ではあくまでエッセンスだけ)
最後に、ここまで読んでいただいたあなたに向けて、メンタルモデルを扱っていく上で、念を押してお伝えしたいポイントが2つあります。
まず1つ目のポイントで、そもそも「④ メンタルモデル」や「③ 行動パターン」自体に良いも悪いもありません。
過去の痛みからすると、自分がこうしたメンタルモデルと行動パターンを採用したのは必然だったし、当時の自分としてはそれが痛みを避けるための最善の選択だったわけです。
なので、メンタルモデルや行動パターンが見えてきたとき、まずそれらに善悪のジャッジなく「そうか自分はこの構造を抱えざるを得なかったんだね。それくらいその痛みが痛かったんだね」という自己共感が重要です。
その上で「今もこのパターンを選び続けたいのか?」という問いに向き合ったらいい。
そこで NO と答えるなら、道はあります。ポイント 2 つ目の通り、メンタルモデル自体は人生から消失しないと僕は思っています。ですが、その影響力を弱め(=氷山自体のサイズが小さくなる)、新たな別のパターン構造を「⑥ 内発的な願い」に従って創り出すことは可能だと。
言うなればそれはカードゲームの手札のようなものです。
持ち手のカード自体に良い悪いはない。だけど同じようなカード(選択肢)ばかりだと、対応できる状況も限られるし、結果として体験できる結末も固定化・パターン化してきてしまいます(=「② 事象パターン」)。
今回の僕の例なら、本当は「僕も含めた誰もが存在ありのままで、その場に安心して居られる」という体験も人生に欲しかった。でも僕のメンタルモデルの構造上、僕の人生からはその体験が欠落しやすい。つまり人生の体験の幅が、"無自覚に" 制限されてしまってるということなんですね。そしてそれはとても不自由で残念なことだよな、と僕は思うわけです。
なのでこのメンタルモデルを自己理解することを通して「その人が本当に体験したい人生の幅を取り戻そう」「自覚的に、より自由に、人生を体験できる状態に還ろう」というのが意図しているところなんです。
これが組織であれば、お互いのメンタルモデルが噛み合い、組織全体の「無自覚なパターン」が生まれます。それが「あのプロダクトチームはなぜか解約率も高いし、社員の離職率も高い」といった事象につながるわけです。
組織単位でも、定期的に自分たちの「無自覚なパターン」とそれを生み出す個々の「メンタルモデル」を見つめ、本当はどうしたいのか?という「内発的な願い」から現実を再創造する。そんなアプローチが世界で浸透すれば、社員もユーザーも両方が満たされるような組織が増えていくのでは。そんな希望を持って、現在僕はこのメンタルモデルのアプローチを、情熱と共に分かち合っています。
最後に:自分のメンタルモデルを理解したいあなたへ
最後の最後に。メンタルモデルに興味を持っていただいたあなたに、僕ができることをご紹介して、本稿を終わりにしたいと思います。
自分のメンタルモデルを一人で掘り下げていくのには、どうしても難しさがあります。僕もそうでした。それは、触れたくない痛みに迫っていくプロセスであり、無意識の抵抗があるからです。
そこで、メンタルモデルを理解したいあなたのための「個人セッション」を提供しています。
自分のメンタルモデルを理解して「悪くはないんだけど、どこか満たされない人生」に本質的な変化を起こしたい。そんなあなたに、ぜひこの機会を掴んでもらえたら嬉しいです。
お申し込みは Facebook メッセンジャー からお気軽にどうぞ😊
最後までお読みいただき、ありがとうございました😊✨
あなたの人生が、ますます豊かな体験で溢れますように。
― 三好大助
■ 自己紹介(公式サイト)
僕自身のことにも興味持ってくださった方はぜひご覧ください😊