虹の橋とちんちん
妻の1度目の妊娠は、僕たちにとって特別なものだった。
不妊治療を経てようやく授かった命。
どれほど待ち望んでいたか、どれほど喜んだか。
それだけに、妊娠の経過がうまくいかないとわかった時のショックは、言葉にできないほど大きかった。
毎日欠かさず、妻のお腹に頬擦りし、声をかけ、その無事を祈った日々が脳裏をよぎった。
「稽留流産」という言葉を知ったのはその時だ。
赤ちゃんはお腹の中で成長を止めてしまっていたが、母体がそれに気づかず妊娠の状態が続く。
手術で赤ちゃんを取り出さなくてはならない。
それを聞いたとき、僕は何とも言えない気持ちになった。
妻のお腹の中に我が子がいるというのに、その命が既に消えているという現実。
手術当日、妻を病院に送る車の中、僕たちはほとんど言葉を交わさなかった。
ただ、二人とも静かに泣いていた。
どうしようもない喪失感と、これから待っている手術への不安。
それらが全て言葉にできない感情として胸に広がっていた。
その道中、不意に目の前の空に虹が現れた。
雨上がりだったからか、厚く垂れ込めた雲の間から、一本の虹が空にかかっていた。
その虹を見た瞬間、僕の中で何かが腑に落ちた。
どこかで聞いたことのある話――「死者は虹の橋を渡って天国に行く」という言い伝え。
それが本当なんだと思った。
僕たちの赤ちゃんも、この虹を渡って天国へ向かっているのだと。
手術は無事に終わった。
妻はその後、病院で休む必要があったので、僕は夕方の用事を片付けに出かけた。
その帰り道、またしても虹を見た。
今度は一本の太くて大きな虹が山の中腹にかかっていた。
まるで空から降りてきて、輝いているような、そんな虹だった。
その瞬間、僕は確信した。
「あの子は帰ってきた」と。
根拠なんてない。
ただ、お腹の赤ちゃんが天国への道すがら、何か大事なものを忘れたことに気づいて戻り、また僕たちのところに戻ってきたのだと思った。
後で妻にその話をし、「あの子は帰ってきた。だから水子供養は必要ない」と言い続けた。
妻は半信半疑どころか、「この人、大丈夫かな」とでも言いたげな目で僕を見ていたけれど、それでも僕はそう信じて疑わなかった。
今では、ムチムチほっぺの怪獣に振り回される日々。
僕たちの元に戻ってきたあの子が、こうして元気に走り回る姿を見るたびに、あの日の確信は間違っていなかったと改めて思う。
虹を見て感じたこと、それが正解だったのだと。
スピリチュアル的な発想だし、科学的には全く説明できない話だけれど、僕の中ではあの日の虹がそう教えてくれた。
ちなみに、妻から「じゃあ何を忘れたの?」と聞かれたことがある。
その答えは、きっと妻の願いを汲んだものだと思う。
妻は「娘が欲しい」と常々言っていたから、赤ちゃんは「くっつけたままのちんちん」を外しに戻ったに違いない。
これももちろん根拠はないけれど、なんだかそう思えてならない。
あの日の虹を、僕はずっと忘れないだろう。
そして、あの確信が僕たち家族の今に繋がっていると思うと、改めて奇跡に感謝したい気持ちになる。