男四十二は厄年だけれど
「僕のゲン担ぎと大殺界の3年間」
僕は昔から、運気とかゲン担ぎとか、そういう目に見えないものを気にする性格だ。
例えば、新しいことを始める時には「今日の運勢」を調べてみたり、大切な日はお気に入りの服を選んだりする。
気にしすぎだと思うこともあるけれど、やめられない。
だって、それがちょっとした安心材料になるのだから。
でも、そんな僕にとって、39〜41歳の3年間は特に「運気」を気にせざるを得ない期間だった。
占いでいうところの「大殺界」。
それを知ったのは39歳の誕生日を迎えた頃だったと思う。
ふと目にした記事に「大殺界の始まり」とあって、なんだか嫌な予感がしたのを覚えている。
「大殺界」とは、運気が停滞し、物事がうまくいきにくい時期だとされる。
僕は普段、「占いは参考程度」くらいに考えるタイプだけれど、それでもこの言葉には不思議と引っ張られた。
ちょうどその頃、仕事で思うような成果が出なかったり、家族の健康のことで悩んだりと、確かに心がざわつくことが増えていたからだろう。
そこからの3年間は、ずっと「運気」に敏感になっていた。
神社にお参りに行ったり、厄除けのグッズを買ったり。
普段なら気にしないことにも「これも大殺界のせいなのか」と思ってしまうこともあった。
特に40歳、41歳の頃は、仕事と家庭のバランスが取れず、自分がどこに向かっているのか分からなくなる時もあった。
とはいえ、日常が完全に不幸だったわけではない。
いいこともたくさんあったし、振り返れば、家族や友人と楽しい時間を過ごした記憶もある。
ただ、それでも何かにつけて「うまくいかない」と思うと、「これが大殺界なんだ」と納得してしまう自分がいた。
そして今年、43歳になり、後厄を抜けた。
運気的には「大殺界も厄年も終わり」、僕の中ではこれが一つの大きな区切りだった。
後厄が明けた朝、「これで運気が回復する」と思った瞬間、心が軽くなったのを覚えている。
気づいたことがある。
僕がゲン担ぎや運気を気にするのは、不安や悩みを「外のせい」にして、自分を少しでも楽にしたいからだ。
そして、それで気持ちが軽くなるのなら、それはそれでいいじゃないかと思う。
自分を責めるばかりでは、心が疲れてしまう。
振り返ってみると、大殺界の3年間は「運気が悪い」と思っていた分、慎重に過ごせた時期だった。
運が良くなるのを待つ間に、物事を丁寧に考えるクセがついた。
そういう意味では、あの3年間にも無駄はなかったのかもしれない。
これから先、運気をどう捉えるかは分からないけれど、僕は相変わらずゲン担ぎをしているだろう。
占いを気にしたり、ラッキーアイテムを選んだり。
そんな自分が少しおかしく思える時もあるけれど、それでも「自分を支えるひとつの方法」として続けていくだろう。
43歳、新しい運気が始まるこの年に。
僕はこれからの人生を少しずつ前向きに、自分らしく歩んでいきたいと思っている。