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This is startup - 契約はプログラムのようなものだ。

【要約】

著者は特許専門からスタートアップに加わり、契約業務に多く関わるようになり、「契約はプログラムである」との仮説に至った。契約は当事者の意思表示が一致して成立する約束であり、その目的はプログラムの実行結果と同様に、期待通りの成果を生むことだと考える。また、契約書とプログラムは専門的な言語で記述され、読者を意図した行動に導くという共通点がある。契約の作成には、目的や要件の明確化が不可欠であり、これはプログラム作成の際の要件定義と似ている。契約は事業計画に沿った「ソースコード」として捉えられ、ビジネスモデルという「OS」にインストールされるものだ。契約担当者の役割は、契約をコーディングするだけでなく、事業担当者が実行可能な形に「コンパイル」し、事業を支援することにある。この視点から、契約業務はソフトウェア開発と同様に、設計と実行のプロセスが重要であると述べている。

Chat GPT 4o

はじめに

僕の専門は今でも「特許」であるが、スタートアップにジョインしてからは契約に触れる機会が激増した。

特許を見ない日はあっても、契約を見ない日はない。
これは至って自然なことである。
スタートアップには技術アセットがないのであるから、業務委託契約や雇用契約まで含めて考えると、契約を起点として技術開発が進む。
そのため、知財家が契約を見ることのROIが大企業のそれよりも大きくなり易い。

不慣れな契約業務を通して気付いたのは、「契約はプログラムである」ということ。

ここで言う「プログラム」とは、いわゆるソフトウェアエンジニアが作るコード(コンピュータプログラム)の意味ではない。

本記事では、解像度が粗いことは承知の上で、僕の現時点仮説「契約≒プログラム」の導出を試みた。

前提

「契約」とは何か

そもそも、「契約」とは何なのだろうか。

まずは、法務の総本山「法務省」の定義を見てみよう。

契約とは,当事者双方の意思表示(考えを表すこと)が合致することで成立する約束のことです。
例えば,「この本を1,000円で売る」,「この本を1,000円で買う」という売手と買手の意思表示が合致することで売買契約が成立します。

「私法と契約」(法務省)

ここからキーワードを抜き出すと、次のようになる。

  • 当事者双方の意思表示(考えを表すこと)

  • 約束

相手方に考えを伝え、それを「約束」というステータスに昇華させる。
法務省の解説に照らすと、「契約する」という行為は、このように理解できる。

「プログラム」とは何か?

「プログラム」と言うと一般には「コンピュータプログラム」を想起させるが、僕は、「プログラム」を「読者を意のままに行動させるための言葉」だと考えている。

プログラム(program)

ある物事の進行状態についての計画や予定。予定表。「新人教育のプログラム」

演劇・映画・音楽会・テレビなどの演目曲目・番組。また、出演者の紹介、解説などを印刷した小冊子や番組表。「雨天によりプログラムが一部変更された」

コンピューターへ指示する、計算や仕事の手順を特定言語形式で書いたもの。また、それを作ること。

デジタル大辞泉「プログラム」

デジタル大辞泉の定義からキーワードを拾ってみると、以下のようなワードが目につく。

  • 計画や予定

  • 演目・曲目・番組・番組表

  • 計算や仕事の手順を…書いたもの

何れも、プログラムをインストールされた対象物(人間やコンピュータ)は、プログラムに沿って振る舞う。
つまり、「プログラム」とは、「対象物を意のままに行動させるために、対象物が理解可能にコンパイルした言語」と言える。

契約≒プログラム

契約がプログラムたる所以

(観点1)期待
「契約」を締結した両当事者は「契約に記載された義務の実行により、契約目的の達成」を期待する。
これはまるで、「ソースコード」を実装したら、「ソースコードの実行」がなされ、その結果として、ソースコードによって実現されるアプリケーションが期待通りの出力を出すことが期待されるのと酷似している。

(観点2)言語
事業担当者やエンジニアに聞くと、「契約書を見ると吐き気がする」と答える人が少なくない(これは、特許書類でも同様の傾向がある)。これは、文法を知らない専門的な言語(リーガル言語)で記述されているからであろう。
僕はコーディングの経験がほぼないので、例えば、エンジニアが書いたコードを見ると吐き気がする(コードを読むのは好きなんだけど)。これは、文法を知らないプログラミング言語で記述されているからだ。
そう考えると、特殊な文法で表現された構造化言語的という点では、両者は共通していると言える。

(観点3)進め方
契約書を作るときは、いきなり書き始めるのではなく、契約目的(例えば、事業計画)のヒアリングが重要である。
ソースコードを書くときは、アプリケーションによって実現したい機能を明確にするための要件定義書を作ることが重要であるはずだ。
つまり、契約書を作ることよりも、契約目的に照らして契約を設計することの方が重要である。
LLMの普及によりコードの生成は自動化が進んだが、「そのプログラムによって実現したいこと」の設計は、引き続き、人間がやることになるだろう。
これは、契約書レビューにLLMを用いたとしても人間が果たす役割が残ることと同様である。

事業に契約をインストールする

事業は、事業計画を立案するところから始まる。
この事業計画はさながら、事業の要件定義書のようなものだ。

であるならば、事業に関わる契約は、事業計画という要件定義書に沿ってリーガル言語で記述されたソースコードである。
契約締結とは、事業というOS(ビジネスモデルというアーキテクチャの土台)に契約というソースコードをインストールすることと同義である。

契約がプログラムであるならば、契約書を作成するときに心がけるべきことは何か

契約審査業務(契約書を作成する業務)では、「我が社の事業担当者は、どのような手順で事業を成長させたいのか」を常に意識する必要がある。

一般的に自社に有利な条件(例えば、自社に知財が帰属するという条件)であっても、その有利な条件が事業計画に織り込まれていない場合(例えば、他社と知財を共有することにより事業を成長させる計画である場合)には、悪い契約(要件定義書に沿っていない契約)になる。

逆に、契約書の作成中に「自社に不利な条件」に気づいたときにやるべきことは、「自社に不利な条件です」という警告よりもむしろ、「事業計画という要件定義書にバグがある」という警告であり、「自社に有利な条件に書き換えることで、事業計画はこう変わる」という提案であろう。

契約をコンパイルする

コンパイル(compile)とは、プログラミング言語で書かれたコンピュータプログラムソースコード)を解析し、コンピュータが実行可能な形式のプログラムオブジェクトコード)に変換すること。そのためのソフトウェアを「コンパイラ」(compiler)という。“compile” の原義は「翻訳する」。

IT用語辞典「コンパイル」

上記のとおり、契約は事業担当者が理解困難なリーガル言語で書かれている。
したがって、事業に契約を実装するためには、事業の実行者である事業担当者が実行可能なオブジェクトコードに変換する必要がある。
この変換は、契約担当者が担うことになる。

つまり、契約担当者は、契約をコーディングするだけでなく、契約のコンパイラにもなる。

契約目的を達成するために、契約書を作成した後も、事業担当者が契約どおりに行動できるように、ありとあらゆる方向で事業担当者を支援(コンパイル)することが契約担当者の重要なミッションである。

契約締結後に事業担当者の意図と契約とが一致しないこと(バグ)を発見したら、バグを取るためのパッチ(覚書)を当てることも契約担当者の仕事である。

日本人プログラマーの始祖

上記のとおり、プログラムの定義を「読者を意のままに行動させるための言葉」だとするならば、契約以外にも以下のものがプログラムに含まれる。

  • テレビ番組表

    • 電子番組表の英語表現「EPG(Electric Program Guide)」では、まさに「Program」という言葉が使われている。

  • 学芸会の演目表

    • 会の冒頭で「本日のプログラムは…」といったアナウンスがされる。

  • 楽譜

    • 演奏者は作曲家の意のままに演奏する。

    • ギターの楽譜では「コード」という表現が使われる。

  • 法規

    • 法治国家では、法規を守ることを前提に社会システム(アプリケーション)が実現されている。

    • 違反行為(バグ)を防ぐために、取締り(デバッグ)がなされる。

  • 自然法則

    • 地球(OS)に住む人は、重力(ソースコード)に沿って振る舞う。

    • 人間は、自然法則に沿って発明(アプリケーション)を社会(OS)に実装する。

  • 特許請求の範囲

    • クリアランス調査で自社製品に抵触する特許権を発見すると、企業は抵触を回避するための設計変更という行動を選択する。

これはとあるエンジニアからの受け売りなのだが、このように整理すると、日本人プログラマーの始祖として、聖徳太子を挙げることができる。

彼は、日本社会(OS)に、十七条の憲法(アプリケーション)を実装することで、国民(ユーザ)に秩序(価値)を提供した。

まとめ

スタートアップにジョインして契約の仕事に携わった当所は、戸惑いが多かった(今でも不慣れな法律が出てくると戸惑うのだが)。

しかし、戸惑ってばかりではスタートアップの成長に貢献することはできない。
そこで、自分の専門であるソフトウェア特許の明細書と同じ思考回路を開放してみた。

すると、戸惑いが減ったのだ。

契約書の文言がフローチャートに脳内変換されるようになってきた。
フローチャートにできるのなら、契約はプログラムであるとみなせる。

ビジネスモデル発明の明細書を書くことと、事業計画の契約書を作成することとは本質的に同じものであると気づいた。

例えば、SaaSサービスの利用規約の作成は、ソフトウェア明細書の作成とかなり近い感覚を覚えたことがある。

まるで発明をしているかのようだ。

参考「十七条の憲法(原文及び現代語訳)

一に曰く、(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。

[現代語訳]
おたがいの心が和らいで協力することが貴いのであって、むやみに反抗することのないようにせよ。それが根本的態度でなければならぬ。ところが人にはそれぞれ党派心があり、大局をみとおしているものは少ない。だから主君や父に従わず、あるいは近隣の人びとと争いを起こすようになる。しかしながら、人びとが上も下も和らぎ睦まじく話し合いができるならば、ことがらは道理にかない、何ごとも成しとげられないことはない。


二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは(ほとけ)・(のり)・(ほうし)なり。則ち四生の終帰、万国の極宗なり。何れの世、何れの人かこの法を貴ばざる。はなはだ悪しきもの少なし。よく教えうるをもって従う。それ三宝に帰りまつらずば、何をもってか枉(ま)がるを直さん。

[現代語訳]
まごころをこめて三宝をうやまえ。三宝とはさとれる仏と、理法と、人びとのつどいとのことである。それは生きとし生けるものの最後のよりどころであり、あらゆる国々が仰ぎ尊ぶ究極の規範である。いずれの時代でも、いかなる人でも、この理法を尊重しないことがあろうか。人間には極悪のものはまれである。教えられたらば、道理に従うものである。それゆえに、三宝にたよるのでなければ、よこしまな心や行いを何によって正しくすることができようか。


三に曰く、詔を承りては必ず謹(つつし)め、君をば天(あめ)とす、臣をば地(つち)とす。天覆い、地載せて、四の時順り行き、万気通ずるを得るなり。地天を覆わんと欲せば、則ち壊るることを致さんのみ。ここをもって君言えば臣承(うけたま)わり、上行けば下靡(なび)く。故に詔を承りては必ず慎め。謹まずんばおのずから敗れん。

[現代語訳]
天皇の詔を承ったときには、かならずそれを謹んで受けよ。君は天のようなものであり、臣民たちは地のようなものである。天は覆い、地は載せる。そのように分の守りがあるから、春・夏・秋・冬の四季が順調に移り行き、万物がそれぞれに発展するのである。もしも地が天を覆うようなことがあれば、破壊が起こるだけである。こういうわけだから、君が命ずれば臣民はそれを承って実行し、上の人が行うことに下の人びとが追随するのである。だから天皇の詔を承ったならば、かならず謹んで奉ぜよ。もしも謹んで奉じないならば、おのずから事は失敗してしまうであろう。


四に曰く、群臣百寮(まえつきみたちつかさつかさ)、を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのは)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(おのず)から治まる。

[現代語訳]
もろもろの官吏は礼法を根本とせよ。そもそも人民を治める根本は、かならず礼法にあるからである。上の人びとに礼法がなければ、下の民衆は秩序が保たれないで乱れることになる。また下の民衆のあいだで礼法が保たれていなければ、かならず罪を犯すようなことが起きる。したがってもろもろの官吏が礼を保っていれば、社会秩序は乱れないことになるし、またもろもろの人民が礼を保っていれば、国家はおのずからも治まるものである。


五に曰く、饗を絶ち欲することを棄て、明に訴訟を弁(さだ)めよ。それ百姓の訟(うったえ)は、一日に千事あり。一日すらなお爾(しか)るを、いわんや歳(とし)を累(かさ)ねてをや。このごろ訟を治むる者、利を得るを常とし、賄(まいない)を見てはことわりもうすを聴く。すなわち財のあるものの訟は、石をもって水に投ぐるがごとし。乏しきのものの訟は、水をもって石に投ぐるに似たり。ここをもって、貧しき民は所由(せんすべ)を知らず。臣道またここにかく。

[現代語訳]
役人たちは飲み食いの貪りをやめ、物質的な欲をすてて、人民の訴訟を明白に裁かなければならない。人民のなす訴えは、一日に千軒にも及ぶほど多くあるものである。一日でさえそうであるのに、まして一年なり二年なりと、年を重ねてゆくならば、その数は測り知れないほど多くなる。このごろのありさまを見ると、訴訟を取り扱う役人たちは私利私欲を図るのがあたりまえとなって、賄賂を取って当事者の言い分をきいて、裁きをつけてしまう。だから財産のある人の訴えは、石を水の中に入れるようにたやすく目的を達成し、反対に貧乏な人の訴えは、水を石に投げかけるように、とても聴き入れられない。こういうわけであるから、貧乏人は何をたよりにしてよいのか、さっぱりわからなくなってしまう。こんなことでは、君に使える官たる者の道が欠けてくるのである。


六に曰く、悪しきを懲らし善(ほまれ)を勧むるは、古の良き典(のり)なり。ここをもって、人の善を匿(かく)すことなく、悪を見てはかならず匡(ただ)せ。それ諂(へつら)い許(あざむく)者は、国家を覆(くつがえ)す利器なり。人民を絶つ鋒剣(ほうけん)なり。また佞(かだ)み媚(こ)ぶる者は、上に対しては好みて下の過(あやまち)と説き、下に逢いては上の失(あやまち)を誹謗(そし)る。それ、これらの人は、みな君に忠なく、民に仁なし。これ大乱の本なり。

[現代語訳]
悪を懲らし善を勧めるということは、昔からのよいしきたりである。だから他人のなした善は、これをかくさないで顕し、また他人が悪をなしたのを見れば、かならずそれをやめさせて、正しくしてやれ。諂ったり詐ったりする者は、国家を覆し滅ぼす鋭利な武器であり、人民を絶ち切る鋭い刃のある剣である。また、おもねり媚びる者は、上の人びとに対しては好んで目下の人びとの過失を告げ口し、また部下の人びとに出会うと上役の過失をそしるのが常である。このような人は、みな君主に対しては忠心なく、人民に対しては仁徳がない。これは世の中が大いに乱れる根本なのである。


七に曰く、人各(おのおの)任(よさし)有り。掌ること宜しく濫れざるべし。それ賢哲、官に任ずるときは、頌(ほ)むる音(こえ)すなわち起こり、奸者(かんじゃ)、官を有(たも)つときは、禍乱すなわち繁(しげ)し。世に、生まれながら知るひと少なし。よく念(おも)いて聖(せい)となる。事、大少となく、人を得て必ず治まる。時、急緩となく、賢に遇(あ)いておのずから寛(ゆたか)なり。これによりて、国家永久にして、社稷(しゃしょく)危うからず、故に、古の聖王、官のために人を求む。人のために官を求めず。

[現代語訳]
人には、おのおのその任務がある。職務に関して乱脈にならないようにせよ。賢明な人格者が官にあるときには、ほめる声が起こり、よこしまな者が官にあるときには、災禍や乱れがしばしば起こるものである。世の中には、生まれながらに聡明な者は少ない。よく道理に心がけるならば、聖者のようになる。およそ、ことがらの大小にかかわらず、適任者を得たならば、世の中はおのずからゆたかにのびのびとなってくる。これによって国家は永久に栄え、危うくなることはない。ゆえに、いにしえの聖王は官職のために人を求めたのであり、人のために官職を設けることはしなかったのである。


八に曰く、群卿百寮、早朝晏(おそく)退でよ。公事いとまなし。終日(ひねもす)にも尽くしがたし。ここをもって、遅く朝(まい)るときは急なることに逮(およ)ばず。早く退(まか)るときはかならず事尽くさず。

[現代語訳] もろもろの官吏は、朝は早く役所に出勤し、夕はおそく退出せよ。公の仕事は、うっかりしている暇がない。終日つとめてもなし終えがたいものである。したがって、遅く出仕したのでは緊急の事に間に合わないし、また早く退出したのでは、かならず仕事を十分になしとげないことになるのである。


九に曰く、信は是義の本なり。それ善悪成敗はかならず信にあり。群臣とも信あるときは、何事か成らざらん。群臣信なきときは、万事ことごとくに敗れん。

[現代語訳] まこと〈信〉は人の道〈義〉の根本である。何ごとをなすにあたっても、まごころをもってすべきである。善いことも悪いことも、成功するのも失敗するのも、かならずこのまごころがあるかどうかにかかっているのである。人びとがたがいにまごころをもって事にあたったならば、どんなことでも成しとげられないことはない。これに反して人びとにまごころがなければ、あらゆることがらがみな失敗してしまうであろう。


十に曰く、忿(こころのいかり)を絶ちて、瞋(おもてのいかり)を棄(す)て、人の違うことを怒らざれ。人皆心あり。心おのおのの執れることあり。かれ是とすれば、われ非とす。われ是とすれば、かれ非とす。われ必ずしも聖にあらず。かれかならずしも愚にあらず。ともにこれ凡夫のみ。是非の理、たれかよく定むべけんや。あいともに賢愚なること、鐶(みみがね)の端(はし)なきごとし。ここをもって、かの人は瞋(いか)るといえども、かえってわが失(あやまち)を恐れよ。われひとり得たりといえども、衆に従いて同じく挙(おこな)え。

[現代語訳] 心の中で恨みに思うな。目に角を立てて怒るな。他人が自分にさからったからとて激怒せぬようにせよ。 人にはそれぞれ思うところがあり、その心は自分のことを正しいと考える執着がある。他人が正しいと考えることを自分はまちがっていると考え、自分が正しいと考えることを他人はまちがっていると考える。しかし自分がかならずしも聖者なのではなく、また他人がかならずしも愚者なのでもない。両方ともに凡夫にすぎないのである。正しいとか、まちがっているとかいう道理を、どうして定められようか。おたがいに賢者であったり愚者であったりすることは、ちょうどみみがね〈鐶〉のどこが初めでどこが終わりだか、端のないようなものである。それゆえに、他人が自分に対して怒ることがあっても、むしろ自分に過失がなかったかどうかを反省せよ。また自分の考えが道理にあっていると思っても、多くの人びとの意見を尊重して同じように行動せよ。


十一に曰く、功と過(あやまち)を明らかに察(み)て、賞罰を必ず当てよ。このごろ賞は功においてせず、罰は罪においてせず。事を執る群卿、賞罰を明らかにすべし。

[現代語訳] 下役の者に功績があったか、過失があったかを明らかに観察して、賞も罰もかならず正当であるようにせよ。ところが、このごろでは、功績のある者に賞を与えず、罪のない者を罰することがある。国の政務をつかさどるもろもろの官吏は、賞罰を明らかにして、まちがいのないようにしなければならない。


十二に曰く、国司(くにのみこともち)・国造(くにのみやつこ)、百姓(おおみたから)に収斂することなかれ。国に二君非(な)く、民に両主無し、率土(くにのうち)の兆民(おおみたから)、王(きみ)を以て主と為す。所任の官司はみなこれ王臣なり。何ぞあえて公と、百姓に賦斂(おさめと)らん。

[現代語訳] もろもろの地方長官は多くの人民から勝手に税を取り立ててはならない。国に二君はなく、民に二人の君主はいない。全国土の無数に多い人民たちは、天皇を主君とするのである。官職に任命されたもろもろの官吏はみな天皇の臣下なのである。公の徴税といっしょにみずからの私利のために人民たちから税を取り立てるというようなことをしてよいということがあろうか。


十三に曰く、諸の官に任せる者は、同じく職掌を知れ。あるいは病(やまい)し、あるいは使して、事を闕(おこた)ることあらん。しかれども知ることを得る日には、和(あまな)うことむかしより<曽>識(し)かれるがごとくせよ。それ与(あずか)り聞かずということをもって、公務をな妨げそ。

[現代語訳] もろもろの官職に任ぜられた者は、同じくたがいの職掌を知れ。あるいは病にかかっていたり、あるいは出張していて、仕事をなしえないことがあるであろう。しかしながら仕事をつかさどることができた日には、人と和してその職務につき、あたかもずっとおたがいに協力していたかのごとくにせよ。自分には関係のなかったことだといって公務を拒んではならない。


十四に曰く、群臣百寮、嫉み妬むこと有ること無かれ。われすでに人を嫉(うらや)むときは、人またわれを嫉む。嫉妬の患(うれ)え、その極(きわまり)を知らず。このゆえに、智おのれに勝るときは悦ばず。才おのれに優るときは嫉妬(ねた)む。ここをもって、五百歳にしていまし今賢に遇(あ)うとも、千載にしてひとりの聖を持つことに難(かた)し。それ賢聖を得ずば、何をもってか国を治めん。

[現代語訳] もろもろの官吏は、他人を嫉妬してはならない。自分が他人を嫉めば、他人もまた自分を嫉む。そうして嫉妬の憂いは際限のないものである。だから、他人の智識が自分よりもすぐれているとそれを悦ばないし、また他人の才能が自分よりも優っていると、それを嫉み妬むものである。このゆえに、五百年をへだてて賢人が世に出ても、また千年たってから聖人が世に現れても、それを斥けるならば、ついに賢人・聖人を得ることはむずかしいであろう。もしも賢人・聖人を得ることができないならば、どうして国を治めることができようか。


十五に曰く、私を背きて公に向くは、是臣が道なり。およそ人、私あるときはかならず恨みあり。憾(うら)みあるときはかならず同(ととのお)らず。同らざるときは私をもって公を防ぐ。憾みおこるときは制に違い、法を害(やぶ)る。ゆえに初めの章に云う。上下和諧せよ、と。それまたこの情(こころ)か。

[現代語訳] 私の利益に背いて公のために向かって進むのは、臣下たる者の道である。およそ人に私の心があるならば、かならず他人のほうに怨恨の気持ちが起こる。怨恨の気持ちがあると、かならず心を同じゅうして行動することができない。心を同じゅうして行動するのでなければ、私情のために公の政務を妨げることになる。怨恨の心が起これば、制度に違反し、法を害うことになる。だからはじめの第一条にも「上下ともに和らいで協力せよ」といっておいたのであるが、それもこの趣意を述べたのである。


十六に曰く、民を使うに時を以てするは、古の良き典なり。ゆえに、冬の月に間(いとま)あらば、もって民を使うべし。春より秋に至るまでは、農桑(のうそう)の節なり。民を使うべからず。それ農(なりわい)せずば、何をか食らわん。桑(くわと)らずば何をか服(き)ん。

[現代語訳] 人民を使役するには時期を選べというのは、古来の良いしきたりである。ゆえに冬の月には閑暇があるから、人民を公務に使うべきである。しかし春から秋にいたる間は農繁期であるから、人民を公務に使ってはならない。農耕しなければ食することができないし、養蚕しなければ衣服を着ることができないではないか。


十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。少事はこれ軽(かろ)し。かならずしも衆とすべからず。ただ大事を論うに逮(およ)びては、もしは失(あやまち)あらんことを疑う。ゆえに衆と相弁(あいわきま)うるときは、辞(こと)すなわち理を得ん。

[現代語訳] 重大なことがらはひとりで決定してはならない。かならず多くの人びととともに論議すべきである。小さなことがらは大したことはないから、かならずしも多くの人びとに相談する要はない。ただ重大なことがらを論議するにあたっては、あるいはもしか過失がありはしないかという疑いがある。だから多くの人びととともに論じ是非を弁えてゆくならば、そのことがらが道理にかなうようになるのである。

Wikipedia「十七条の憲法」



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