This is startup - 越境ではなく兼務
知財、契約、人事、そして広報。
僕がスタートアップで携わってきた領域だ。
僕のスタートアップキャリアを話すと、「越境」という言葉が返ってくることが多い。
しかし、僕には「越境」という感覚がない。
そんなことを考えた結果、たどり着いたのは、やっぱり「兼務」(マルチプレイヤ)だった。
今日は「越境」ではなく「兼務」しよう!
というお話。
越境と兼務の違い
「越境」と「兼務」には大きな違いがある。
それは「視点」だ。
越境
僕には「越境」という感覚はあまりない。
仕事に対して最初に発動するフィルタが「自分がやるべきか?」(人に任せるか?)であるので、仕事に対する「境界」の意識が希薄なのだ。
そこに境界があったとしても、境界を超える方が楽しい(見たことがない世界が見えるから)。
自分の仕事を発明(知財)と捉えるならば、そこに進歩性をもたせることは最早知財マンとしての責務と言っても良いだろう。
境界を超えるというよりも、進歩したいという欲求(好奇心と向上心)に従っている、と言った方がしっくりくる。
しかし、それでも何かが足りない。
「越境」や「好奇心・向上心」という言葉には、どこか自己的&主観的な視点が見える。
兼務
知財、契約、人事、そして広報。
僕が責任者として携わってきた領域だ。
但し、自分のホームポジションである「知財」は常に任されてきた。
「知財+something」という役割(つまり、兼務)を果たしてきたのだ。
役割は、仕事の内容によって決まる。
仕事は、他人から依頼される。
だから役割(他人から期待されるもの)は他人によって設定されるものだ。
すると僕にとって「兼務」という役割は、他己的&客観的な視点を持つ概念となる。
スタートアップにおける役割
スタートアップでは、リソースが不足しがちだ。
1人1人が専門領域の中で仕事をしていると、どうしてもスペースができる。
まるでサッカーのように、目まぐるしく攻守が入れ変わるゲーム。
それがスタートアップと大企業の違いの1つだろう。
そんなゲーム展開において求められる役割の一つが兼務(マルチプレイヤ)である。
以前、弊ブログでも以下のように綴ったことがある。
越境には見えず、兼務には見える世界線
「越境」の視点は常に1つだ。
「慣れた仕事」から「慣れていない仕事」に変わっても、その「慣れていない仕事」のことだけを考えるのが、僕にとっての「越境」だ。
「兼務」の視点は常に複数だ。
「慣れた仕事」と「慣れていない仕事」の両方を任される。
「慣れた仕事」と「慣れていない仕事」が混ざり合うと、いろんな世界線が見えてくる。
バランス感覚
僕の主戦領域である「知財」。
講演依頼を受けるときに決まってお題候補に上がるのが「スタートアップにおける知財の重要性」というテーマだ。
最初に言っておくと、知財は間違いなく重要だ。
しかし、スタートアップに限らず、企業において「知財」はピースの一つに過ぎない。
「知財」に投資するということは、「知財以外」にその分を投資しないということだ。
「重要」という単位系は相対比較でしか測れない。
「兼務」を知る前は、他社事例を引き合いに出しながら「知財の重要性」を語るに留まっていた僕は、「兼務」を知った後に考え方が変わった。
契約をやっても、人事をやっても、広報をやっても、それらの領域のことを「知財」領域程はわかっていないにもかかわらず、「知財の方が重要だ」という感覚にはならなかった。
そもそも仕事の重要性は、領域で決まるものではなく、盤面で決まるものだと思う。
戦略(リソース配分とシナリオ)の切り口で捉えれば、特定の領域が常に重要であり続けることなんてあり得ない。
あ、今は「知財」より「契約」をやろう。
ここからしばらくはとにかく「人事」だ。
いまこの瞬間は「広報」だ。
「知財はその後で良い」と思ったことは何度もある。
僕はこの感覚をバランス感覚(フィールド全体を見て、瞬間瞬間の盤面に応じた行動を取る思考回路)と呼んでいる。
慣れた仕事のサイドチェンジ
自分で言うのもお恥ずかしい限りだが、オペレーション設計は得意分野だ。
1秒でも早く無駄なくGOALに辿り着くルートを設計すること(仕事のルーチン化)には一定の自負がある。
仕事のルーチン化。
しかし、この意識は時として両刃の剣になる。
環境変化に対する耐性が弱いことだ。
ところが、兼務によって、ホームポジションである「知財」の見え方が変わった。
「知財」に留まっていたときに考えもしなかった「新しい知財の存在意義」に気づいたのだ(正確に言うと、「知財」の定義が拡がったのだが、ここではその話は割愛する)。
新しい知財の存在意義に気づくと、知財のルーチンワーク(例えば、審査請求の判断)にも変化が出てくる。
一方のサイドで膠着した盤面が、新しい視点の獲得によって動き出す感覚。
これが実にたまらない。
知財のサイドチェンジ、誇張して言えば、知財というゲームをコントロール(支配)している感覚だ。
高速思考ドリブル
当前だが、兼務の最大の弊害は「忙しくなる」ことだ。
四方からパスが飛んでくる。
その中には知らないこと(見えないパス)も混ざる。
それによって、レスポンスの時間も半減する。
一言で言えば、考える時間がなくなる。
何も考えられなくなる。
そう、つまらないことも。
すると、つまらないことを考えずに、とっさに見えたゴールに向かって一目散に走り出すようになる。
そしてふと時間ができたときに、「次はもっと早く解を出そう」、「次はもっと解の価値を高めよう」と考えるようになり、だんだんと頭より先に神経が反応するようになる(うまく言語化できない…)。
このプロセスはとても発明的である。
視座の上下動
少し前に経営者から「木本さんは視座が上がってきた」と言われた。
視点が2次元空間の概念だとすれば、視座は3次元空間の概念である。
「視座を上げる」ことは、複数の概念の抽象化に似ている。
これは、特許実務で言えば、複数の実施形態を包含するメインクレームのドラフティングと似ている。
よくよく考えてみれば、複数の仕事を任されたときに、その複数の仕事を上位概念化して捉えようとする思考回路は僕の十八番でもあった。
断っておくと、視座の高さと役割の重要性は相関しないと思っている。
だから、「視座が高い」ことよりも「視座を上下動させる」ことを大切にしている。
視座の上下動は、それまで二次元だった盤面を三次元で捉えることに相当する。
「眼前の事象を三次元的に捉えることができるようになったね。」
冒頭の経営者の評を僕はそう理解している。
むすび
僕の知人であり、兼務世界の戦友でもある小川徹さんが、少し前の僕との会話を記事に取り上げてくれたらしい。
そこにはこう書かれていた。
この記事には「兼務」(ダブルキャリア)のメリットとデメリットが生々しく綴られている。
そのほとんど全てが「分かる」話だ。
その会話で彼が僕に放った言葉が実に衝撃的だった。
「木本さん、僕も知財を長くやってきて、ようやく特許の仕事に携われます。」
知財の中でも最大派閥を有するであろう特許の世界。
そこに時間をかけて辿り着いた人の重みある表現だった。
敢えて、そんな小川さんの記事に補足することが許されるならば、これを加えたい。
世の中「兼務」(ダブルキャリア)の方が自然なのではないだろうか。
外部環境の変化に伴い行動を変容させるのは生物の宿命である。
なにより、こんなにも発明的な世界を知った今、それがない世界に戻れる自信は僕にはないw