時間を稼ぐという考え方
2020年に前職を退職して2年が経過した。この2年は圧倒的に濃く、コミュニティも生きる世界も変わった2年であった。
この2年間で改めて感じた「時間を稼ぐ」という考え方について書いてみる。
時間を稼ぐ
ひと、モノ、カネ、時間、情報
経営資源はこの5つ。人生においても会社経営においても経営資源は同じと考えている。
ヒトに恵まれていれば、考え方も能力も豊かになるし、豊かになればカネも豊かになる、豊かになればモノも増え、豊かになれば情報も出入りしていく機会が増える。
ただし、「時間」は貧乏人も富裕層も一律平等で、毎日24時間以上も以下も存在しない。
「カネがないから無理、やれない」という会話をよく聞くがコレは間違いで、やれない理由の多くは「時間が無い」だ。
どういうことかというと、やるために多くの場合で金を手に入れる必要があり、そこに時間を費やす。必要な金を手に入れるまでに、それを手に入れるに必要な長い時間を費やし、必要な長い時間の間にカネは流れていくという構図。
1000万円必要となったときに、
1日で用意できる人と10年かかる人がいたとすると、当然のことながら前者の人間の方がやりたいことをやるまでに必要な時間は短い。
カネを得るのに支払うのは時間で、平たく言うと時給を高く出来ることがやりたいことを多くできる人であるということ。
当たり前のように思うだろうが、「時給が高いというのは、言い換えるとやりたいことをやるまでに必要な時間が短い」ということ。
人間は等しく死というゴールが待っている。その中で、やりたいことが出来る年齢、時期、環境、には死のもっと前に期限があり、それを迎えてやりたいことが出来ないということが起きる。
カネは時間を生み出す手段であると考えておいた方が良い。金を借りるというのは、限られた時間を切り出す行為なのである。
特段やりたいことが無いという人は、ただやりたいことが生まれるための経験をしていないだけで、その経験を境にやりたいことは生まれてくる。
生まれたときにネックになるのは概ね時間であることはほぼ間違いない。時間を生み出すためにカネが必要なのである。
カネを稼ぐより、時間を稼ぐことが出来ている人間の方が圧倒的に社会貢献度も高く、収入も高く、生存価値が高い。
年俸400万円より、時給400万円の人の方が豊かな人生を送っていることだろう。
余った364日と23時間を働くことにも、余暇にも、時給をあげる行動にも使えるのだ。
カネを稼ぐなど愚かな目的。
時間を稼ぐことを目的とした方が良い。