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自己紹介〜大学編⑥石山ゼミ

大学時代、あまり居場所がないと思っていた中で、それなりに馴染んでいたのがゼミだった。

経済学部経済システム学科に入ったが、当時のぼくは経済にもシステムにも全く興味がなかった。

純粋に興味があったのは、歴史だ。

横山光輝さんの三国志のマンガから始まり、古代ローマ史、中国史、日本の戦国時代などなど、「その時歴史が動いた」も好きだった。

じゃあ、なぜ史学系に学部に行かなかったのか?

好きな事を勉強しても教師や研究者になるのがいいところで、就職に有利にならないからだ。

4人姉弟で常に緊縮財政下の山下家の基本方針はコスパ重視。

やりたい仕事がはっきりしない自分にとって、就職の選択肢を狭めずに、かつコストパフォーマンスがよい学部とは?

行き着いた答えが国立大学の経済学部だった。

ゼミに所属しての卒論が必須のうちの大学において、ゼミ選びはぼくにとって頭を悩ませるものだった。

そこで選んだのが石山ゼミだった。

●奇跡のイレブン

石山ゼミのメインテーマはヨーロッパ経済史。

経済に興味はなくても歴史なら興味を持てるはず!とピンときた僕は、石山ゼミを第一志望にした。

聞くところによると1学年上の先輩は男4人女4人の編成。

男女7:3の経済学部において、女子率も高いのは好都合。

無事に面接を通過し、最初のオリエンテーションで奇跡の事実が発覚。

ぼくらの世代だけ、奇跡の男11人女子0。

「教授、どうして!?」「知らんよ、そんなの!」

翌年後輩が入ってきた。男子5人女子5人。

3学年トータル男子20人女子9人。N数を増やせば平均値に収束する。

統計の基本を体感を通して学んだ。

そして奇跡のイレブンは、ゼミの課題よりもボールを追いかけるイレブンになった。

●サッカー → ひと休み → サッカー談義

石山幸彦氏。通称「ゆっきー」。前年に教授なりたての当時42歳。

元サッカー部のゆっきーは、酔うと高校時代に対決した風間八宏氏(当時はフジテレビすぽると解説)やジダンについてよく語っていたり、その流れで一緒にボールを蹴る事もあった。

ゼミ前にサッカー → ゼミでひと休み → ゼミ終わりにサッカーを語る

月1回くらい先生を巻き込んで、こんな事をやっていたり、北鎌倉にあるご自宅に一度お邪魔した事もある。

「ゆっきーそのうち教科書書いたら、印税がっぽがっぽでしょ!」

という山本くんに

「バカいうな!本は最低●●部売らないと出しても赤字だ」

大学の講義とは違うけど、いろいろリアルを教えてくれるいい先生だった。

●「質問に回答する!」「一次情報をとれ!」

ゆっきーは、テストの点数に容赦ない人だった。

当時一番仲良しの釜井くんと一緒にゆっきーの「経済史」を受講。

試験の直後に嘆く釜井「オレ、テストで0点とったの初めてだ!」

B5用紙にびっちり記述している答案の右上にきれいに「0」

「ゆっきー、0点ってきびしくない!?」

問いの回答になってなかったら、いくら書いても0点だ!」

そんな人だったので卒論もなかなか大変だった。

「論文書くなら、参考文献もちゃんと読め」

「そんな本は参考文献にならない!」

「情報はだれが書いたかが大事で、よくわからんやつが書いたものは信憑性がない。ネットで調べないで自分の目で確かめろ。

「翻訳や要約は訳者の嗜好が入るから、可能な限り一次情報をとるんだ。」

「そのために僕はパリの図書館に通いつめてフランス語で勉強したんだ。」

ぼくの卒論のテーマは、「ワイマール共和国の崩壊とナチスの台頭」について書いたが、正直その内容はほとんど覚えていない。

「質問に回答する!」「一次情報をとれ!」

この教えは、社会人になって10数年経った今でもとても残っている。

ふと気になって調べたら、横浜国立大学大学院の院長になっていた。

さすが、ゆっきー!!

あなたの教えは社会に出てもとても生かされています。



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