やりたいことを諦めたら見えたもの
先月までinstagramにイラストを投稿していた。
でも諦めた。
経緯についてはこちらの記事に書いてあります。
イラスト投稿をやめて、イラスト自体も描かなくしてから感じたことを振り返ってみた。
気づき①
あんなにイラストで仕事が欲しい!毎日描いていたい!って思っていたのに、一度諦めたら描きたいとも思わなくなった。
なんとなくiPadをひらいて、久しぶりに何か描こうかな〜と思っても、描きたいと言う意欲はわかないし、何を描いたらいいかもわからなかった。
不思議だ。
自分は好きなことで仕事がほしいと思っていた。その好きなこととはイラストを描くことだと思っていた。
違ったのだろうか。
でも描いていた時は確かに楽しいと思っていた。
投稿も2・3年続けた。
毎日ではないし、数ヶ月休んだこともあったけど、飽き性な自分にとっては2・3年続けることができるなんて好きじゃないとできないことなのだ。
自分のことって意外とわかっていないのかもしれない。
最初は描き上げるのが楽しくて純粋に描いていたのかもしれない。それがいつしか認めてもらいたくて描くようになったのか。わからないけど、多分。
だんだん2桁あったいいねも2つしかつかなくなったり、フォロワー以外の誰の目にも止まらなくなったり、、、。
キャラクターものを描いていいねをかせごうとしたりもした。
あぁ、自分は自分のイラストを、見てもらえなきゃ価値がないものにしてしまったのだ。
それは確かに、もう描く必要はないのかもな。それに気づくためにこうなったのかもな。
気づき②
仕事をもらうため、作品を売るために知名度を上げようとしたのは間違いだったのだろうか。
自分を知ってもらいたかった。
多くの人に見てもらいたかった。
認めてもらいたかった。
自分でかわいいと思ったものを誰もかわいいと思ってくれない。
誰にも届かない。
苦しい。
我慢し続ければうまくいっていたのか?
よく見るこの風刺画のような状態だったのか。自分はこの絵の下の人間だったのか。
まあ、何にしろあの状態で続けてもしょうがなかったと思う。
あれでよかったのだ。と言い聞かせる。良い経験だった。
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いや、これで締めてはいけない。ぜーんぜんスッキリしない。
要は自分で自分を認めきっていれば、、、それが正解だったのかも。
正解なんかないとは思うけど。
あの時は焦っていたのだ。
やっぱり成功する人は心からそれを楽しんで、周りの環境にそれをする/しないが影響されない人なのだ。
そして自分は上記の固定概念がある。だからうまくいかなかったのか?
気づき③
問題はまた何かを発信したいと思った時だ。
その時はただ記録をつけることを意識しよう。広めようとは思わず、楽しくやることに重きを置く。
人はこうやって期待をしなくなるのだろうか。
これを成長と呼んでいいのだろうか、、、