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第十五話 理解不能 連載 中の上に安住する田中
兄はいろんな意味で僕とは正反対な人間だ。彼は僕みたいに普通の人間では無い。僕はずっと普通になれない兄のことが不憫で仕方なかったが、兄本人は全く不便そうではなかった。
中二の夏、曽祖父の葬式で親戚一同が集まった時から、兄が自分が常に余計な労力を使う生き方をしていながら、その非効率さに気がついていなことを知った。全く不憫だった。しかし僕の隣に座る伯母さんは兄の普通じゃなさを
「いい意味でも悪い意味でも」
などと形容していたように記憶しているが、僕は彼の普通じゃ無いところのどこが良いのか全く分からない。当時もそうだったし、それは今も変わらない。
これは僕だけじゃ無いだろう。たぶん皆、どうしようもなく暇な時や、死ぬほど疲れてぼうっとしている時に思い出す言葉や音、香りや味がある。この葬式には幾つかのそれがあった。
初めて見たガラス瓶入りの飲み物やヘンテコな格好をした栓抜き、酒に酔った母の赤ら顔、有る事無い事自慢する兄の火照った顔から滲み出る細かい汗の粒々——。
全てが奇怪だと当時の僕は思った。いまでもある程度は思う。そういうことにはさすがにもう慣れたし、社会はそういうものなんだと思ってはいるが、何故そうなのかは未だに分からない。恐らく僕みたいな人が集まって無人島で生活を始めたら、こんなことにはならないだろうということがこの世の中ではごく当たり前のように起こりまくっている。
「憲法を読むのが趣味なんだ」
兄が言った。
「おほー」
向かいに座る叔父が煽てるように言った。
「本当かい? ちょっとは条文覚えたりもしているのかい?」
長野の親戚に聞かれて兄は無言で頷いた。
嘘だ! 僕は思った。どう考えても嘘だったし、僕には兄が嘘の顔をしているのが分かった。確かに兄は感情を隠すのが上手いから、あるいは僕以外にはそれは自信に満ち溢れた表情にすら見えただろう。だが僕は知っていた。彼の発汗と興奮と焦りと緊張を。
なぜ嘘などつく必要があるのか僕には分からなかった。ただ純粋に理解できなかった。黙っていれば終わる「お食事」で、みんなに合わせて喋るのまでは分からないこともない。そうしたほうが総合的に楽な場合も多々あるだろう。しかしなぜ嘘までついて注目を浴びて、冷や汗をどっとかいて、よそ行きのシャツの脇にシミを作らなければならないのだろうか。僕には分からなかった。
兄が戸を開けた。実家の古い引き戸が軋む音で分かった。
続く
連載 中の上に安住する田中 ——超現実主義的な連載ショートショート——
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