先輩という概念
アジア圏の国には、「先輩」「後輩」という概念がある。
欧米では全て「Friend」で括られる。
日本で生まれ、日本で18年間育ち、なおかつ上下関係の存在する組織に常に属していた自分にとってその概念を取っ払うことは既に不可能に近い。
僕の尊敬する先輩や大人の方々に食事に連れて行ってもらった際は、毎回ご馳走してくれる。それだけでなく、学びになる話も沢山してくれてもの凄く勉強になる。余計尊敬するばかりで、自分はその時間がとても好きだ。
そんな経験から、自分も後輩にはお金を出させず、彼らのように何かきっかけ、学び、ヒントを与えられる先輩になりたいと常々思う。してもらったことは誰かに返すものとも教えられてきた。
昨日後輩と食事に行き、ご馳走する機会があった。
その時に思ったことは、先輩としてまだまだ未熟であるということ。まだまだ与えられていない。
その尊敬できる先輩方のような人格は、間違いなくその人の行動を通しての数えきれない思考の数によって作られたと思っている。
自分はまだまだ思考力、行動などの外部刺激の分母が足りていない。もっとできる。
俺は今やるべきことをもっと具体化できる。まだ弱いし脆い。
あの先輩についていけば間違いない。そういう先輩になれるよう毎日精進します。