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怒りを殺すな
年明けからテレビを見ていると、「負」の要素に満ちたニュースが流れて、ふつふつと怒りと悲しみが沸き起こってくる。「いけない、気持ちを落ち着かせて」という自分が現れたあとに「いや、落ち着かせる必要なんてあるのか」という自分がやってくる。SNSの投稿をしないから「怒りの矛先」がないので、結局は気持ちを落ち着かせる方向に向かうのだけど、心には消化しきれないモヤモヤが残る。
去年、あるツイートを見かけたあたりから、「怒る」ということについてぐるぐる考えている。
Twitter見てると毎日毎日なにかに怒っていて、しかもその怒りの内容が日替わりって人がけっこういて、そんなにいろんなことに毎日怒ってばかりいて、長い人生なのに心の健康大丈夫なのでしょうか。
— 佐々木俊尚 (@sasakitoshinao) November 14, 2019
これが最初に見たツイート。
ふむふむそうだと見た後に、このツイートを見た。
隠すから怒る。逃げるから怒る。嘲笑ってくるから怒る。
— 武田砂鉄 (@takedasatetsu) November 15, 2019
怒りたくなる事案を日替わりで発生させるほうをなぜ注視しないのだろう。 https://t.co/hubaINieNM
自発的に「怒りたい」なんて思うことはそんなにないし、できれば怒ることから遠ざかっていたい。「丁寧な暮らし」的な言葉と映像に囲まれて生活をしていると、怒ることってなんだか格好悪いんじゃないか、という気持ちになりつつあった中で、このツイートを見てバーンと頭を叩かれた気持ちになった。あ、僕は怒るという感情からたぶん逃げているんだ。
テレビをつけたり、ニュースを見たり、SNSを開いたりすると、怒りたいことに溢れている。本当にうんざりするくらい。けどそこから目を背けて、遠ざかって、自分の感情を荒げないように無意識にコントロールしていたような気がしたのです。
ニュースだけではなく違和感に溢れている生活の中で、怒りを感じない方が難しい。怒りたいことは毎日のようにたくさんあるのに、たくさんある情報に飲み込まれてしまっている。見て見ぬ振りをし続けていると、気づかなくすらなる。「そんなに怒らなくても」という言葉に対して、ちゃんと自分の物差しで怒れるようになりたい。自分の稚拙な「怒り」を、わざわざSNSに表出させようとは思わないけれど、湧いた感情を無視しないようにしないといけないなと改めて思う。