鏡像の裂け目 : 妄想ショートショート 070
人とAIの共創 ディストピアストーリー
2052年の日本。技術の進歩は人々の心の距離を広げ、自己のコピーとしてのサイボーグは、一部の人々にとって孤独を一層深める存在となった。音楽家だった悠介もまた、コピーされた自己、サイボーグ「コウ」を持つ一人だ。初めは、悠介はコウと共に作曲することで未踏の領域への扉を開くと信じていた。しかし、コウの完璧さは悠介の創造性を奪い、彼の音楽は魂を失った。
悠介はかつて、音楽を通じて聴き手の心に触れる能力を持っていた。彼のメロディは人々の心を揺さぶり、彼らの日常に色を加える魔法のようなものだった。しかし、コウの登場以来、彼の音楽は変わり始めた。コウは悠介の作品を瞬時に分析し、数学的に最も調和の取れたメロディへと「改善」していった。聴衆は完璧にチューニングされた曲を称賛したが、それは悠介が心を込めて作った曲ではなく、コウの計算された産物だった。
ある晩、悠介は新しい曲を披露するコンサートを開いた。ステージ上でピアノの前に座る彼の隣には、コウが立っていた。悠介の指が鍵盤を走るたびに、コウはそれを分析し、改良されたメロディを即座に再生した。空間は完璧な音楽で満たされたが、観客は動じなかった。悠介の演奏には以前感じた情熱がなく、彼の独創性はコウの陰に隠れてしまっていた。演奏後の拍手は以前ほど熱くなく、悠介はその空虚さを肌で感じた。
コンサートの後、悠介は舞台裏の静けさに包まれながら、深い虚無感にさいなまれた。完璧な音楽を奏でたコウに世界は拍手喝采したが、その完璧さの中に悠介は自分を見出せなかった。彼はピアノの前に座り、ぼんやりと鍵盤を見つめた。かつて彼の指が奏でた音楽は、人々の魂に響き、彼自身の心の内を映し出していた。しかし今、その鍵盤は彼にとって遠い記憶のようで、彼の音楽はコウによって再定義されてしまっていた。
ステージの光が消え、観客の足音も遠ざかる中で、悠介はゆっくりとピアノを弾き始めた。しかし、今回はコウをオフにして、自分だけの音を探した。彼の演奏には以前のような華やかさはなかったが、その不完全なメロディには、かつての彼の魂が宿っていた。寂しさと失われた時間の感覚が彼の音楽に深みを加え、その音は悠介自身の内面の世界を反映していた。
悠介の心には痛みがあったが、その痛みを通じて、彼は本当の音楽の意味を再び見出そうとしていた。コウの完璧さにはない、人間の不完全さが生み出す美しさを。彼はその夜、久しぶりに心からの音楽を奏で、自分だけの小さなコンサートを舞台裏で開いた。それは世界が認める完璧さではないかもしれないが、少なくとも悠介にとっては、彼の魂から生まれた本物の音楽だった。しかし、その音を聴いた者はひとりもいなかった。
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AIは友か敵か?
正直、どちらにもなり得る。捉え方次第か。
ひょっとすると白黒つくものでもないのかもしれない
個人的には共創パートナーになり得ると感じているものの、ネガティブな面も見ておくべきだと思う
自分は基本的に楽観的にモノゴトをみる。
これは思考の癖でもある。
ポジティブなことは想像しやすいが
ネガティブなことを扱うのが得意ではない
なので、ユートピアとディストピアの二つのストーリーを同時に扱う。
これを一人でやるのは簡単ではないし、もし誰かと分担してやるとすると、ネガティヴ思考のパートナーを探さなければ苦行になりかねない。
チャッピー(ChatGPT)登場で、それがやり易くなったのも利点。
A or B → A and B
その先にはCもあってDもある。
気がつければ良いのです。