1,000年を考える
大連という苗字は、母方のもの。
先祖は平安時代に、奈良の春日大社から来ている。
大連家は、僕の子の代でどうやら50代目になるそうな。
およそ1,000年、血が途切れていないらしい。
当時は「なんかすごいなー!苗字かっこいいもんなー!」くらいにしか思っていなかったが、結婚して、子供が産まれ、想いが入ってきた。
元々、志が「後世の人のために生きる」なので、子供が産まれて以降、我が子の将来については常々考えている。
それに輪をかけて、【1,000年】というキーワードが日に日に大切なものとなってきている。
1,000年続いてきているということで、僕自身が、「次の1,000年」を考えるようになってきた。
「1,000年先の祖先に何を遺せるだろうか」というのが、ここ1,2年の僕のテーマである。(きっとこの想いは今後も増すばかりだろう。)
自分の頭と体、そして時間を使って、1,000年後につながるどんなことができるのか。
それを考え、それに基づく行動をしている日々。それが、僕の生きがいとなりつつある。(楽しいと思えているからだろう。)
人生とは・・?
なんて問いがあるが、今の僕は迷わずこう答える。
人生とは、実験である。
自分がこの世に生きている時間枠だけで物事を見たくないし、
それでは物足りないと心底思う。
そりゃ、賞賛されたらうれしいし、けなされたら悲しい。
でも、僕個人の感情を第一優先に生きたいと思えなくて、
自分をつかってどんどん実験したいと思っている。
最近では、軌道に乗ってきた事業を大部分辞めることしたし、
この時代に本屋さんを出すことにした(これは、おいおい)。
これからもどんどん実験していきたい。
自分の中の正義を守りながら。
そして1,000年後には、僕の名前なんか残ってなくてよくて、
ただ、僕という一人のサンプルに触れた我が子や我が孫が、自分の望む人生を生き抜けるようになっていてほしい。その一助になりたいと、強く願う。
そうなれるように、明日も素直に。
10年前の記事はこちら。