生きる意味を整理してみる 01
整理してみるって書いたけど、前の言葉や文章を書いている時に立ち上がってきた言葉を書きつらなっていこうと思う。
ヒトとしてはないと思っている。生物学的には、「子孫を残したいプログラム」がインストールされているだけ。(じゃあなんで、子孫を残すという方向に本能(大脳辺縁系の領域)は反応するのかな・・・)
だから、人間として「なぜ生きる?」に対する問いはとっても自由であっていいと思っている。
生きる目的を、自分の肉体的な生存期間だけで考えたらどうなるのかな?
僕は遊ぶ。きっと、高めない。
世間体も何も気にせずに、自分の快楽に溺れたいと思っている。だって、死んだら結局一緒なんだから。(輪廻転生や黄泉の世界の文脈は、わりと信じているがここでは割愛。)
でもそれもできない。
人の目が気になるし。
あと、大学1年の夏休みの時に、まじで一日ずっとウイイレして、昼ご飯にそば食べて(ばあちゃんに作ってもらって)、9時間寝ていた時期が2か月弱あった。(たまにカラオケでオールしていた。)
その時期のことを思い出すと、「ゲッ」となる。
そこに戻りたくないと思っている。だから僕は、実際は溺れることすらできないのだと思う。
あと、やっぱり、人とのつながりが希薄になったのがつらかったかな。
僕はやっぱり、人とのつながりが大事で、それがない(感じられない)と、精神的によろしくない孤独感を感じて、堕ちる。(過去にそんなことが何回かあった。)
生きる意味に話を戻すと・・・。
自分の命のある期間だけで考えると、上記のようになるなー、と思ったわけで、なら、時間軸をグイッと伸ばしてみようと思った。28歳くらいの時だから、、、5年前くらい。
誰にでも、生きていると苦しいことがあって、葛藤があって、わけわかんない時期がある。出来事がある。(実際はすべて、解釈の問題なんだけど。)
それは、子供、孫、その先の子孫はもちろん、家族の外の人間も、みな同じ。
だから、自分の些少な経験であったとしても、それを後世の人に役立ててもらえたらうれしいなー、と思う。(今は、そのために生きている。)
この価値観の元となったのが、この本。
(本屋やってるけど、amazonのリンク貼ります。)
後世への最大遺物とは・・・。
ここから先は、次回に持ち越します。
しばらく、こんなふうな哲学的な内容を書いみよう。なんか、自然に書けるし、言葉にするのは楽しいですね。
10年前の記事はこちら。