書きたいと思った、2年分のだいたい。
約半年ぶりの更新を、平日の昼間に書き始めました。
この半年。もっというと、この2年くらい。
僕は自分という存在と大いに向き合いました。
向き合わせていただきました。
先週の土日を持って、ひとつの区切りがついたと思います。
月曜からの日々は、素直な気持ちを伝達していくことと、数多を受容することの繰り返しをしている感じです。
コーチングを学び始めた2020年4月。
ちょうどコロナが日本にもやってきました。
AKUSHUを、本屋さんをつくることも決めた時期です。
夏になると、鯖江市長選挙(山岸くん、本当にお疲れ様!)の選対メンバーとなりました。
メンバーのとりまとめをしていた若新さんからは、最初は「まぁ大連くんは忙しいだろうから、akeruのメンバーが関わることを認めてくれたら・・・!」なんて感じだったのに、
いつからか僕もがっつりと。
結果論かもしれないけど、完全にフット・イン・ザ・ドア やないか!笑
最後の1週間(選挙期間)がハイライト。
鯖江市民でもないのに、街頭に立って、【山岸】って書いたA4縦長の紙を持って、90度オーバーの角度で頭を下げまくってましたよ。
他人のためにここまで頭下げるとはねー!
(山岸くん、これからもよろしくね!)
選挙終わった後、akeruにご来社いただいた方への挨拶も、90度オーバーになっていたなぁ。。。
この記事、だいぶ長くなるなぁ。。。
選対メンバーでオンラインで号泣して、選挙の結果が出て全部終わった後も号泣して。。。
心ぎりぎりになる経験、させてもらいました。(結局、若新さんには感謝してしまっている僕がいるのは悔しいけど、ありがとうございます!)
終わった翌日、家で佑奈(妻です。最高な。)が、「おつかれさま」と言ってくれて、緊張の糸が切れた。妻の表情を見て、号泣。。。
その一か月後には、もうAKUSHUのオープン。
選挙期間が終わり最初のAKUSHUのMTG。
何も考えられず、ずっと泣いてたかったけど、打ち合わせはしてしまえる自分が、それはそれで好きではなかった。
この時期の、AKUSHUの立ち上げメンバーには感謝しかない。有り難うございました。
AKUSHUのオープンの日、福井新聞の高島さんが来店してくださった。
高島さんは鯖江市長選の時、ちょうど山岸くんの陣営の担当だったこともあり、選挙事務所で何度か顔を合わせていた。
そんな高島さんがAKUSHUに来て、僕を見つけて言ってくれた。
「オープンおめでとうございます。選挙やりながらやってたんですか。大変だったでしょう。」
泣くよね。「そうなんですぅ・・・」って感じ。
小さい「ぅ」ってこういう時使うんだと、今わかりました。
年があけて2021年。
2月くらいから、クリエイティブシンキングという講座に参加した。6月くらいまで、全部オンラインで月に3,4回くらい。
お誘いは、オルコネの副社長だった古市さん(僕を採用してくれた方)。
「大連、クリシンやってみたらいいよ。きっと好きだと思うよー」と。
以上の言葉だけを、AKUSHUで言い放った時の映像は、今でも鮮明です。
古市さんがそう言うなら、、、ということで事前説明会(オンライン)に。
「わからん・・・。頭がついていかん。。。」
松田さん(講師の方)の言ってること、理解できなかった。理解しようと思うことあきらめてたなぁ、最後のほう。
正直、宇宙人っているんだなーって5回は思いました。(松田さんごめんなさい。心から尊敬しています。)
それでもやることにしました。
ぜったいにコンフォートゾーンでなくてパニックゾーンだと思ったけど、それを求めていたのでしょう、当時の僕は。
結果、世の中の見方が大きくかわったのは間違いない。
【両輪】【ジンテーゼ】【内部化】【縁/円】【能動的に聞く】【ただ立ちすくむ】
ざっと顕在化してきた言葉を挙げるとこうなります。
どれもが、今の僕にとっては大切なキーワード。
クリシンのハイライトは、最後の発表。
「終わらせないと始まらない。あなたは何を終わらせますか?」
この問いに、今のあなたならなんと答えますか?
僕は、「頭で綺麗に整理するのを終わらせる」としました。
整理するのをやめた僕は、発表するまでの時間で自分のこれまでの人生を改めて振り返りました(講座の中でも、過去を見つめることが何度もありました)。
そこで僕は、母について考えました。
僕が年長の時から、僕は母と二人で暮らしてきました。
18歳(高3)の夏、大連家(母方の姓)に戻ってくるまでは三国の団地に。戻ってきてからは、あわらの大連家の土地に。(じいちゃんとばあちゃんの家の前に、家を建てて、二人で暮らしてました。)
僕が結婚するまで、実質、母と二人家族でした。
だけど、僕はここ数年、母の死について考えることが幾度かありました。
「お母さんが死んだ時、僕は悲しめないかも。」
ふとした瞬間。そんな言葉が脳裏からポッと出てくるんです。
だけど、そんなばかなー、って思うじゃないですか。
だってずっと二人で暮らしてきた、唯一の家族なんですよ。
だから、いつもその言葉には触れないようにしていたんです。
でも、その言葉は、母のことを考えていた頭の中で、シームレスにやってきたんです。
僕は、自分の唯一の家族だった母が死んでも、そんなに悲しくないのか?
あ、僕はお母さんを、母性という意味での母だと思ってないのかもしれない。
だって、かあちゃんも頑張ってきて、僕を育てていくために働いて、つらい思いしたときは二人で話し込むこともあって、、、、
だから、僕は自分の母であるかあちゃんを、共に頑張ってきたパートナーのように思っているのかもしれない。
あ、そうだな。それだ!
だから、僕は母が死んでも「"母"としての悲しみが想像しづらかったんだ!」
なるほどぉ!!!
僕は、自分の母との関係がすっきりしたのがうれしかった。
5秒だけ。
なんでって、その後すぐ、失望感が襲ってきたから。
え、かあちゃんがパートナー的な存在だったら・・・
僕にとっての家族は誰なの?
僕はひとりなの・・・。
ぼくはずっと、ひとりだったの?
家族って何・・・?
そんな言葉が、ぐるぐると頭の中と外でまわってるんです。
涙も流しながら。
しばらくして、発表の時間です。
気持ちを落ち着かせました。
だけどやっぱり、つらかった。
23人いた受講生の最後の発表者になってしまった僕は、発表をはじめて割とすぐ、zoom上にいる画面に向かって号泣。
まさに、人目もはばからず。
止まらんかったなぁ、あの時の涙。笑
今となってはニヤっとなるあの時間は、僕の人生において、とても大事な一ページです。
クリシン同期のみなさん。お騒がせしました・・・(^^;)
(全然、オフラインで会ってない方ばかりなので、お会いしたい!)
そんな、2021年6月でした。
その翌月でしょうか。
今はakeruを退職している、むこちゃんが僕に向き合ってくれたのは。
月イチの1on1をオンラインでしていました。(言おうと決めていたむこちゃんは、対面だと言わなくなっちゃいそうだからオンラインを希望したという後日談。)
前々から、むこちゃんの僕に対する表情が硬くなっていると気付きつつも、僕はまっすぐにその表情のむこちゃんに向き合えてなかった。
ごめんね、むこちゃん。
その面談は、当初45分だったけど、全体の定例がその後あったけど、僕とむこちゃんは参加せず、2時間以上話した。(主に話された。)
彼女は思っていることを伝えてくれた。
自分のためにも、まっすぐ伝えることが大切だと考えて、僕にぶつかってきてくれた。
「その時けんかしたって、いいじゃないですか。仲直りすれば。家族ってそういうものだし、akeruのメンバーとはそういう関係になりたいと思っていた。」(という言葉だったと記憶しています。違ったらごめん、むこちゃん!)
その言葉を聞いた瞬間に、僕は、自分が家族とぶつかってきてないことに気づかされた。
それは避けていたわけじゃなくて、上でも書いた通り、母とは共に頑張る関係でもあったし、ぶつかりそうになったら母のほうから「達揮はどう思うの?」と、聞いてくれて、話し合いの場をつくってくれた。(小3の頃には間違いなく。そしてそれ以降もずっとそのような関わり方。←これが僕の人間性の基礎になっていると思われる。)
なので、、、むこちゃんが望んでいた関係を、僕はイメージできなかった。
他にも、まっすぐに話してくれたことがいくつかあったけど、
僕は、リアクションができないこともあった。
なぜなら、想像ができないから。
「むこちゃんの言うこともわかるよ。でも僕はね・・・!」と、僕の意見を言えない(持っていないではなく想像すらできない)こともあった。
そこにショックを覚えた。
ずっと人材のことやってきて、キャリアのことやってきて、会社の採用とか研修とかやってきて、、、、
ぜんっぜん、自分できてないじゃん。わかってないじゃん。
向き合ってないじゃん。。。。身近な人に対しても・・・。
そこから2週間くらいかな。
人生で一番といっていいほど、虚無感に襲われていた。
真っ暗な家の中で、何もできずに過ごした時間もあった。
電車で訪問先まで移動した時、まったくもって頭が動かず、もうどうにでもなればいいよ、って思ったこともあった。
その後、むこちゃんともう一回話して、退職することになったけど、僕はその時、むこちゃんというメンバーと初めてちゃんと向き合ったのだと思う。そして、その大切さを教えていただきました。
ありがとう、むこちゃん。これからもよろしくね。
そんな社内のことがあったので、他のメンバーとも話したり、AKUSHUを一緒にやっている西村拓朗とも話した。
「akeru、どうするつもりなん?」って言われたなー。言ってくれたんだよね。
「なんか、俺が得意な領域やったら力になるよ」って言ってくれたのは、本当にありがたかった。いつもいつも、本当にありがとう。拓朗。
今年で出会って10年。7月13日、はじめてご飯を食べた香花で、また、エスニック料理を食べようね。カシューナッツの炒め物、まだあるかなー。笑
拓朗の他にも、多くの人に時間を使ってもらった。
これまで僕は、人に相談することができなかった。相談している時もあったけど、それは表向きそう言っているだけ。
過去の僕が相談している時は、だいたい、自分を慰めてほしかったり認めてほしい時。
だけど今回は、本当に相談した。意見をもらった。どう感じているかも聞いた。
そこから僕の中で、ひとつのキーワードが出てきた。
【IとYOU】から【IとWE】へ。
この感覚。これまでの僕は、あなたの人生はあなたのもの。サポートはするけど、僕は別の人間で、混ざることはないんだよ。そう、根っこで思っていた。
だって、自分がこれまでそうしてきたから。
「会社のために!組織のために!」って、思ったことは一回もなかったんだ。
もちろん、お世話になった方に恩返ししたいという気持ちは多分にあります。
だけど、所属する組織に何かを求めたことは一回もなかった。だから、会社でも他の何かのコミュニティでも、その環境で活動すること自体に魅力を感じることは今まで一回もなかった。
仕事なら、
「その環境で働くことで、自分の人生にどう活用していけるかな?どんな経験(ステップ)になるかな?」という、活用度合を図る指標でしかなかった。
でも、世の中には、自分が良しとした考えや風土(企業など)で働くこと自体に魅力を感じる人がたくさんいることもわかった。僕の周りの方に聞く限りでは、むしろそっちのタイプのほうが多いこともわかった。
わかったことで、僕自身のパラダイムに気付けた。
僕はずっと、自分と人が交わるイメージを持っていなかったんだ。
だから、【IとYOU】の関係。
でも、これからは【IとWE】にしたいと思った。
僕は自分が先頭にたって方向を決めたいタイプ。それにも最近気づけた。(今までも先頭キャラだったけど、その裏側の心情が違った)
自分の想いをしっかり伝えて、相手に感じてもらう。相手も共感してくれて時間を共にしていいと思う。そして行動になる。
自分の発信をきっかけに、自分たちが混ざり合って活動する。それでいいんだ、って今は思う。
今までは「え、とは言えそこまでお願いするのはなぁ。。。その人の人生だしなぁ・・・」って思って、どこか引いていた。最終的には自分(僕)がすればいい。責任をとればいい。だから、その人がやりたいと思う範囲で(自分で決めて)活動してくれたらいいよー、って。
僕はこれまで、他の人とお揃いの服を着ることはあっても。横並びでお茶することはあっても。相手の心の手と握手することや、ハグすることはしてこなかった。そんな感覚です。自分のこれまでのパラダイムに気付けたから。
そして最後の出来事。先日、22年1月中旬に参加した、1泊2日の合宿。自分の過去と向き合う合宿。
ZaPassさんでコーチングを学んでいましたが、そのカリキュラムの総まとめ合宿。
10数名が参加。山奥の神社に向かい、軽い登山(片道40,50分、石段を登りました)。
道中、ペアで互いの話をしたり、みんなで円になってその時思っていることをシェアしていく。この過程で自分と対話を繰り返す。
時には、何も話さず講師の方についていくだけ時も。
(講師のたけさんは、ロールモデル。人との向き合い方には感服です。)
この、一人で登っていく時間が尊かったなぁ・・・。
その時間を通して、僕は【順番】の大切さを認識した。
「自他の順番」と「時間の順番」。
自他のほうは、まずは自分を満たすのが先、ということ。
自分が満たされて、そこから発露したものが真の優しさ。
その認識が持てて、腹落ち感があった。
クリシンで、常に内部と外部はつながっていることを学んだ。以降身をもって体感している。そこにも通ずるところがあると思う。
異なる複数の学びや気付きが交わる感覚が、僕はすごく好きです!
「なるほどー!」ってうれしくなる♪
改めて。
自分が満たされて、そこから相手。
この順番。
自分を満たすためのやさしさとは別物。
合宿を通して、前者の境地の入り口は見えたと思います。
その後(まだ1週間くらいしか経ってないけど)、人と接する時の心持ちに変化が出てきています。暖かさというか、穏やかさというか。そんな感じ。
時間のほう。
時間は、【過去・今・未来】の順番。
未来のために、今から努力していく。読書したりセミナー行ったり。
でも、過去軸が抜けていると、どこかで思考や心が破綻する。
過去があっての今であり、今があるから未来を描く。
人の順番は、過去が先。
だから、自分の過去をしっかりと認識することが大切。
そして、何より大事なのは、自分がフタをしている過去の出来事たちに対して目を向けること。つらいけど・・・。
悔しさ。悲しさ。絶望や孤独感。そこから出てきた怒り。
それらに目を向ける。それらは事実だけどもう過去であって、今の自分ではないことを認識する。
過去との和解。そして、過去と今のすみ分け。
そのステップを経由することで、未来に向けて正しく迎える。今のぼくは強く、そう感じている。
自他の順番と時間の順番。
物事には順番があるんだと。先日の合宿での気付きはこれです。
ここまで、6,000文字ちょっと。
こんな長いの初めて書いた。文章めちゃくちゃだろうけど、振り返らずこのまま公開したい。
先週、akeruの一人目の社員である邦子に、ここまで書いた出来事と心境をおおよそシェアした。
シェアし終わった後に僕の心に立ち上がってきた言葉は「2年間長かったなぁ・・・」だった。
社員に自分の心の中をまっすぐに話すことができて、はじめて過去形にできました。
それをもって、一旦の区切りとしました。(これが1週間前)
そして、一度書いてみたいと思えたので書きました。
昔は、5と0のつく日に更新しよう!ということで頑張ってたんだよね。
そういう書き方が僕には合わなかったんだけど、頑張ってやってたんだよね。
これからは、書きたいと内発的に立ち上がってきたときに書きたいと思います。
もし、最後まで読んでくれて、直接感想をくれる方がいたら、
スタバおごるのでお話しましょう。笑(そんな気分♪)
そして、本当に最後!
ここまでほぼ登場してきていないけど、前提すぎるお話ですが、妻の佑奈と二人の子供には、心の底から感謝しています。
家族の理解と笑顔のおかげです。
家族のおかげで僕が保たれていた、という時期もありました。
本当に本当に、いつも、ありがとう!
このブログに触れた方々にとって、僕というサンプルがわずかでも意味を持つことになれば、幸いです。
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