自他の順番
前回のブログでも触れた【自他の順番】について。
1月中旬に参加したZappasのプログラムでは、神奈川の大山というところで1泊2日を過ごした。
その中で、大山阿夫利(あふり)神社に続く石段をのぼる時間があった。
講師のたけさんの指示に従い、ペアトークをしながらの時間もあったが、僕が【自他の順番】を感じたのは一人でのぼった時間。
「一人静かに(無言で)上がってきてください」と、たけさん。
その指示の後、僕は「丁寧にのぼってみよう」と思った。
丁寧とは、自分の身体への影響を考えること。
なるべく平らな石を選んでのぼること。
なるべく、段差が小さくなるようにのぼること。
太陽の暖かさがうれしかった冬晴れの11時台。
これを意識して、10分くらいのぼったころ。
僕の右足の前に、30cmものさしほどの木の枝が落ちていた。
直径は5cmくらいだったかな。
丁寧にのぼることを意識していたので、その木の枝をよけた。
少し左側の平らな地面に右足を置いた。
「丁寧に、を意識しなかったらあの木の枝に気付いてなかったかもなぁ」なんて考えた。
「丁寧に、って意識するだけでも視点が変わるもんだなー」なんてことも。
その思考が終わると、次にこんな思いが立ち上がってきた。
「あれ、後ろにはまだのぼってくるメンバーがいるんだから、あの木の枝、端っこによけておいてあげたらよかったんじゃん。」
そう思ったので、それ以降は、気になる木の枝や石ころは、手にとって、人が踏まない位置に置いた。
それを何度か繰り返した後に小休憩。
ここでも一人で過ごす。誰とも話さない。
ほどよい運動をしていることもあり、頭の中はクリアだ。
(以下、その時の僕の頭の中)
自分のために"丁寧"を意識することで、木の枝に意識が向かった。
それをよけた。自分の体のために、を考えた。
体ってのは、つまるところ自分の命。
自分の命の安全性のために木の枝をよけたわけだ。
そして、僕は今、ここにいるメンバー(10数人)とともにのぼってきた。
そのメンバーが後ろにもいたから、「木の枝、他の人が踏まないように移動
させてあげたらよかったじゃん」と感じたんだよね。
あぁ・・・それが優しさか。
自分のことを大切に考えた結果、"木の枝"をよけた。
自分の体、命の安全性のために。
でもそれって他の人も同じだよね。
"木の枝"踏んだら、足ひねっちゃうかもしれない。自分だったらいやだなぁ。。。
そんな想像をして、「移動してあげたらよかったじゃん」って思ったんだよね。
優しさって、自分がその立場の経験をして、体感して、自分がそのことに対して満たされるのが先なんだろうなぁ。
今回だったら、"木の枝"という危険因子を認識して、自分がそれに対処して、安全を確保できた瞬間があった。この過程を経験したから、「他の人も同じだよね」と実感できた。
他の人に対する行動ができた。
自分が先に実感することが大事。
自分が自分にしっかりと与える。
受け取る。実感する。
それが先。自分が先。
その後に相手。他者。
その優しさは、本物だろうか?
誰からから認められたいと思っている自分がいるなら、それは今の僕としては本物の優しさとはちょっと違うと思っている。
もちろん、今の僕も、承認欲求はめちゃくちゃあるんだけど、大事なのは、人に優しくしていても、実はその裏側の心境は、自分を認めてほしいからの行動、となっていることがある。
それに気付きたい。それがダメというわけではなく、気付きたい。
気付いた時には、まずは自分に与えてあげたい。
その方法を考えたい。
まずは自分を満たしてあげたい。
それを最初にしてあげよう。
以上、僕が最近気づきをいただいた、【自他の順番】の大切さです。
自分が第一。その先に、他者。
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