ひとつだけなんでも叶えてくれるなら。

僕が死んだ30年後に、僕や、akeruが関わった人が、どんな人生を送っていくかを、教えてほしい。って、お願いしたい。

自分が死んだことで、周囲の人は何かを感じるし、僕の葬式の時に、再会や出会いがあるだろう。そこから何かが始まるかもしれない。

自分や、akeruのメンバーとつながりがあった人が、僕が死んだあと、どんなことを考えて、どんな生き方をしていくのかがとても気になる。

知れたらいいなー、って思う。

でも、生きているうちには知りたくない。

「死んだ時に、その30年後を見せてください。」ってお願いしたい。
「●●くんと〇〇さんで!」って伝えたら、その人の30年後までを覗かしてほしい。

その記憶を持って生まれ変わってみたいとも思う。(それはそれで楽しくないけど。)


この1年もいろんなことあったし、感じた。

僕は、「後世への最大遺物」にある「高尚なる生涯」を哲学しながら生きている。動いている。

「高尚」
今の僕にとっては「全部向き合う」こと。

自分の内面も、人間関係も、地域も、世界も。
自分のキャパが小さすぎて、悔しい気持ちになるときもあるけど、その時々の自分を認識して、受容して、動いている。向き合っている。

「高尚」を探求するうえで、向き合うことをやりきったと思っている。
来年もそうしたい。

約3年前に書いた、6,000文字以上のブログ
(これまで、50人くらいには個別でシェアしてきた気がする。)

その時期までの向き合いから、今日までも向き合いを続けてきた。
もっと気楽にさ、ルンルンでさ、生きることできたらいいなーって思うけどね。

自分が気楽に、ルンルンで生きること自体を求めるのは、しっくりこないんだよね。
それ自体を求めると、自分や世界から逃げるから。短期的な快楽へ向けて、盲目的になるんだなーって、気付いたから。

「逃げてもやり直しになるだけ」という言葉。23歳の時に出会った言葉は、今も、僕を支えている言葉のひとつです。

逃げずに、向き合う。全部、向き合う。
最近、自分に向けて呪文のように使っているかも。笑

でも、その分ね。この3年間で、いろんな人の相談に乗ったよ。
心を軽くしてあげられた人もいたよ。
逆に、めっちゃ突っ込んで、グワングワンさせにいってる人もいるよ。必要だと思った人にはね。

自分が感じてきた、苦しさ。違和感。回り道。
それらを受け止めて、こらえたり、泣いたりすることもあったけど、全部、糧にしたい。これからもそうしようって思ってます。

akeruの仕事にも、ちゃんと活きてます。
自分の思想と、それをもとにつくったakeruMVV

完成してから2年4か月経ったけど、立ち戻ることができる標になってます。
(全然できてないことのほうが多くて未熟すぎるけど、焦ることはなくなってきたなぁ。)

組織としても、ひとつずつ、ゆっくりと、染み出していると思います。
関わってくださっている方々にも、akeruとは何かを、少しずつ感じ取ってもらってきています。
本当にうれしいです。


なんか、久しぶりに書きたいって思えることができて打ってるけど、思考の飛躍をとめるのが大変だわ。。。



ひとつだけなんでも叶えてくれるなら、自分が死んだ後の、関わった人の人生を見せてほしいって思いました。

叶わないからおもしろいって思ってる。
叶わないけど、それがもしできるってなったら、自分はどう生きていくんだろうかって思う。


今年も大変お世話になりました。

みなさまの、僕への理解と向き合いをいただけているから、大連達揮を生きていけているんだと思っています。心から感謝いたします。

自分を動かして、世の中を包んでいきたいし、そのためにできることから順番に、歩んでいきます。


来年も、よろしくお願いいたします。

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