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月刊こしら Vol.100 (2023年9月号) 「自分の範囲を拡張せよ」
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「自分の範囲を拡張せよ」 文・立川こしら
どこからどこまでが自分なのかと、改めて聞かれるタイミングはそうそうないだろう。
それこそ、移植手術を受けて内蔵の一部が違うとか、輸血によって血が自分でないとか。特殊な状態を除けば「何を聞いてるんですか?」と質問者の何かを疑ってしまうような問いだ。
哲学的や心理学的な何かでないならば、己の肉体は自分自身だと断言できる。
自分の範囲は、まあ世界共通でコンセンサスは取れるだろう。
じゃあ、身内と言われたらどうだろう?
家族や親族など人によって様々だ。
自分に近いエリアを設定して、身内とする。味方と言い換えてもいいだろう。人との付き合いは放射状に広がっていて、離れれば離れる程、味方濃度は薄くなってゆく。
子供の頃は、両親を含めた家族、飼い犬、クラスメイトあたりが味方の範囲だろう。
隣のクラスは当然敵で、何かにつけて競わされていたのだから仕方ないが、隣の学校は間違いなく敵である。
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