月刊こしら Vol.110 (2024年7月号) 「列に並べる人達」
「列に並べる人達」 文・立川こしら
海外に行くと「並ぶ」という文化が定着していない事に驚く。地方と言われる場所で多かった印象だ。コンビニの様な場所で、冷蔵庫の前でコーラを手に取ろうとすると、横から手が伸びてくる。今、私が取ろうと思ったコカコーラゼロを、後から来た誰かに持っていかれるのだ。
別に大した問題じゃない。その1本後ろにあるコーラを取ればいいし、コーラが最後であったなら、ペプシでもいいのだから。
日本でも無いことは無い。だが、ギョッとするぐらいまれである。
選んでる人が先に居るから待ちましょうというのは常識になってるし、それをできない人は非常識とカテゴライズされるだろう。
電車でもそう。降りる人が先。
全国どこでも当たり前の様に出来ているのが日本で、これも極稀に守らない守れない人がいるぐらい。
実は、この「並ぶ」という文化が隅々まで行き渡ってる日本は凄い国なのだと改めて感じるのだ。
並ぶのも並ばないのも、どちらも理由がある。
ぼやぼやしてると無くなってしまう。数が足りないとなれば、誰かを押しのけてでも手を伸ばすだろう。
その時に必要なのは力だ。
力ある者こそ欲しいものが手に入るという、未開の人類ルールである。
なぜ日本ではみんな並ぶのか。
合理的だからだ。
早く来た順に買うことができるというルールはみんなが納得できる制度設計になっている。
力が強いものが手に入れられるとなれば、強くならなければいけない。早く大人になりたいし、年老いるのが恐怖になる。安心して一生を考えられなくなるのだ。
そういう意味でも日本は合理的なのだ。
インバウンド需要で沢山の外国人が日本に来ているが、その常識が違うのだからトラブルになるのは当然だ。その一方で合理的な考えが隅々まで行き渡っている日本に感動を覚えて帰る、嗅覚の鋭い外国人も少なくない。
一方で、この合理的が行き過ぎて自己主張が下手とも言われているのが日本の国民性だ。
エネルギーあふれる海外の若者と接すると、羨ましさを感じると共に、この強さが必要なんじゃないかと揺らぐ時もある。
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