昭和54年事件概要
『昭和54年事件』は、北海道帯広市で1979年に発生した誘拐・拷問・殺人事件です。
この事件には、土地開発に反対する市民団体『まちびらきたかおか』の代表ら数人が関わっていました。彼らは、当時の道東地方開発公社が進める帯広市街地拡大事業の一部の土地を買い叩かれたことに抗議して、抵抗運動を行っていたのです。
このとき、右翼団体『特殊懲罰隊』の一部メンバーが、土地開発公社側から直接依頼を受けたとされるブラックバイトの面接に偽名で応募し、誘い出した市民団体の代表らを拉致、約10日間にわたって暴行・拷問を加えた末に殺害し、その遺体をウツベツ川に遺棄したとされています。
この事件は、のちに日本の政財界における“過激派と利権”の問題を浮き彫りにすることとなり、容疑者の一部は逮捕・起訴され、数名が有罪判決を受けました。また、事件を契機に「昭和54年事件特別調査委員会」が設置され、本事件に端を発する暴力団と行政・警察の癒着に関する問題が取り上げられ、改革が求められることになりました。
三つ巴事件、帯広抗争事件が起こった原因のひとつに、特殊懲罰隊による「昭和54年事件」があるとする見解があります。
昭和54年事件では、土地開発に反対する市民団体の代表者が拉致され、拷問や殺害などの暴力行為がなされました。この事件には、特殊懲罰隊の一部メンバーが関与していたことが明らかにされ、特殊懲罰隊を指導する右翼団体「極東同胞団」も組織として事件に関与していたと疑われていました。
そして、三つ巴事件、帯広抗争事件では、特殊懲罰隊や極東同胞団などの極右団体を中心に、その後の暴力行為が行われていたとされています。また、この事件を機に、暴力団と行政、警察の癒着が指摘されるようになり、暴力団やテキ屋などの違法行為の取り締まりが強化されることとなりました。
以上のように、三つ巴事件、帯広抗争事件の背景には、特殊懲罰隊による昭和54年事件があったと言われています。