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文化祭をもう一度 【すっぱいチェリーたち🍒】


🔹プロローグ🔹

大きな大きな行事を終えた後の学校には、ほんの少しフワフワした空気が漂っている。

校門の立て看板も片付けられたし、体育館ではいつものバスケ部の朝練が始まっているけれど、
よく見ると、階段の踊り場では、剥がし忘れられた舞台発表のポスターが、もう過ぎてしまった日時を寂しそうにお知らせし続けている。


週末を挟んで、高校生たちはとっくに身体の疲れはとれたはずなのだが、その前に味わったばかりの、達成感と、一体感と、緊張が解けた解放感とに、分かりやすくフワフワ、フワフワしていた。

いつもはそこにいるはずの、男子生徒クラスメイトがまだ来ていないことにも気づかずに。

🏫 💫 🏫


HRホームルームが始まる始業のベルまで、後10秒。
‥4、3、2、1、鳴った!
それまで、無遅刻無欠席を誇っていた彼に、初めての遅刻記録がついた。
いや、つかなかった。担任の油木先生が来る前に何とか教室に滑り込んだ彼は、少し息を荒くして、そしてちょっぴりしんどそうにお腹をさすりながらも、出席確認の時にはいつものように席におさまっていた。

この世には、長い時間かけて撮影したのに、公開されなかった映画がある。
書き上げたのに採用されなかった漫画がある。
作曲したのに演奏されなかった音楽、
完成したのに読まれなかった小説、
そして、稽古したのに、上演されなかった劇が。

彼は、今年のクラス劇で、主人公に任じられていた。
最初は乗り気でなかったにせよ、長い時間かけて、セリフを覚え、動きを覚えて稽古した。
時には、夜遅くまでかけて何とか頭に入れたはずのセリフが、稽古では出てこず歯がゆい思いをしたり、また時にはそこまでして必死で覚えたセリフを、相手のミスで飛ばされたりもしたが、何とか、「必死のパッチ」で喰らいついていた。


不本意ながら衣装の赤いスカートも履いた。
衣装担当の子が、体格の良い彼のサイズに合わせて作ってくれた力作だった。
最初はいやいやだったのに、何度か履くうちにちょっと楽しくなってきて、皆が見ていない時クルッと回ってみた。
そこを相手役を務める彩子にしっかり見られていて、「きしょっ」と言われたりもした。でも、これは練習のためなんだ、クラスの皆で作る、一度きりの劇なんだと思って、頑張った。

そのうち、相手がセリフを飛ばしたら、アドリブで繋いだりなんかも出来るようになってきて、渋々だった練習が、気づいたら楽しくなっていた。


もしかしたら、俺、役者向いてるんとちがうか。今まで縁がなかっただけで、ほんとは俺、ずっとこの才能隠し持ってたんかも知れん。
この劇が終わったら、実はこっそりと客席に紛れ込んでた芸能事務所のマネージャーとかが、名刺を差し出しながら、いやー、君の演技すごかったよ、このまま埋もれさせるのはもったいない。えっと、名前は?宇利君って言うの?今度いつうちの事務所来れる?なんて、声かけられてしまうんとちゃうやろか。
そしたら俺、高校生活と芸能界の二足のわらじになってしまう!クラスの皆になんて言う?サインも練習しといた方がいいか?
気がついたらそんなことまで思い浮かべていた。


文化祭の本番その日まで、彼はクラスの稽古に加えてバンドの練習も並行していたこともあって、とにかく多忙で充実した日々を送っていた。
楽しくて、夢中で。自分の身体の疲労のことまで考える余地はなかった。

なのに。
彼は、本番に出られなかった。
急にやってきた激しい腹痛。
トイレと、保健室との往復から抜けられなくなった。
それはそこに至るまでの大きなプレッシャーと無関係ではなかっただろう。教室の皆が心配して様子を見にやってきたけれど、彼には弱々しく笑うことしかできなかった。


宇利、行けるか。
宇利くん、大丈夫?
宇利くん、あかんかも。
宇利、無理みたい。
宇利、無理やり出れんかな。

なんやねん、うりむりやりって。人のこと早口言葉みたいに言うなよ‥と頭では思いながらも、あまりの腹の痛さに否定することもできない。
その場に居合わせた先生が見かねて代役を申し出、本人がまだ事態を飲み込めずにいるうちに、あれよあれよとことは進んだ。そして、


劇は、大盛況のうちに幕を閉じた。
主人公かれを抜きにして。

俺のこの数週間は、何やったんやろうなぁ‥

クラス劇が彼抜きで終わった後、嘘のようにそれまでの腹痛はおさまり、もう一つ打ち込んでいたバンドの方は、これまた大成功と言っていい出来で終わった。
彼の17年の人生史上初めてと言っていいほどの黄色い声援を浴び、アンコールまで披露した。機材を撤収していたら、片付けにやってきた級友の女子ちよこに、「サインちょうだい!」とも言われた。
「冗談やけどね」と付け加えられた最後の方は、彼にはもう聞こえてなかった。

そんな、大満足と言っていい終わり方をしたのに。
ふと、考えてしまうのだ。
「あの時、俺が舞台あそこに立っていたら‥」
「あの時、俺が腹さえ痛くなっていなかったら‥」
「あの時、俺が無理していけるって言ってたら‥」


今、見えてる景色は、もっと違ったんじゃないか。
そこから先俺が向かっていくのは、もっともっと高い場所だったんじゃないのか。

クラスの皆は優しいから。いいやつばっかだから、
気を遣って、「もしあの時宇利が主役をやってたら」なんて誰も言わない。

え、もしかして、俺でなくて代役の方が、良かったのか?


そんな、まさかな。
練習中、皆あんなに楽しそうだった。保健室に来てくれた時だって、吉田も阿久も保志田も、彩子も波都子も圭子も千代子も壽賀美も風歌も哲子もナナコもさわ子もあの子もどの子も、皆あんなに心配して、残念そうな顔してたやんか。
いやでも、ひょっとしたら、俺なんかおらんでも、
いやいやそんなはずが‥あるわけな、
いや、あるかも、だとしたら
俺‥


「‥り、宇利!おーい。無視すんなよ、聞こえてるか?」
「え?」
「大丈夫かー?さっきから、宇利全然返事せぇへんのやけど。」
我にかえった。
そこには、いつもの級友の顔があった。
あぁ、そっか。俺、妄想してたのか。


もう、想像するのはやめよう。
済んだことを考えても仕方ない。文化祭は終わったのだ。
大トリだったバンドが大成功しただけで、もう奇跡みたいなものだ。そうだ俺たちは奇跡の星だ。
妄想はもう、そう止めだ。切り替えよう。ほら、文化祭が終わってしまった今、俺たちを待ってるのは芸能スカウトじゃなくて、定期テストやんか。
でも何やろなぁ、
中途半端って言うか、なんて言うか、
俺一人だけ、燃え尽きられへんかった感じなんや。


朝のHRが終わり、また少しザワザワした空気が戻ってきた教室で、宇利は一人、ため息をついた。


その時、彩子の声がした。
「宇利、今何考えてるか、私当ててみよか」

ドキッとした。
「えっ」
「私、今の宇利の顔見たら、何考えてるか分かる気がする」

彼は慌てて手を横に振った。手だけでなく首も振った。振りすぎて千切れるんじゃないだろうかと思うぐらい、必死で止めようとした。彩子にその次を言わせたくなかった。
「な、何言ってんねん、俺の考えてること分かるって、ま、ま、まさか俺に気があるとか??」
「は、何言ってんの」
即否定された。

「いや、俺何も考えてへんて。あ、せや、次、保健の授業やん?いっつも体育になるのに今日は保健て、なんかほら、め、珍しいなーって。でもま、1時間目から体育はきっついし、まいっかって。あっれー、油木先生さっき出席とったとこやのに、そのまま1時間目するかと思ったのにおれへんくなったん、何でやろなー?また昨日飲み過ぎて保健室でも行ったんかな、あ、お、俺もまたお腹痛なってきた、お、俺もトイレに‥」
「人は何かごまかしたい時によく喋るねん」
「えっ、そんなはず、は」
「宇利、次はさわ子ちゃん狙ってるやろ」
「え」

思いがけないセリフに、宇利は固まった。
「それ何のはなし‥」
「正直に言いよ、ほんとは文化祭でクラスの劇終わったら、声かけようと思ってたんやろ。でも宇利劇出られへんかったから、言うチャンスなかったんやろ」
「いや、それは」
「ごまかさんでもいいって。だって宇利の顔に書いてあるもん。このままやったら終わられへんって」


その次の、言葉が出なくなった。
違う、とは宇利には言えなかった。

「ずっと考えてたんやろ。本番の日まで、何回も家で練習してたんやろ。タイミングとか、声の大きさとか、どんな風に言ったらいいかってあんたのことやから一生懸命考えてたに決まってる、私分かるもん。宇利って、そういうやつやん。」

ずっと考えてたんやろ。あんたのことやから。私分かるもん。
そう言われた瞬間、宇利は思いがけず目の奥がギュッとなった。
またほんのちょっと彩子にときめきそうになってしまうのを、ぐっとこらえた。
「皆分かってるよ、宇利のこと。いつも真剣で、まっすぐで。外ではヘラヘラ笑ってるけどさ、本当はめっちゃ考えて考えて、悩んで悩んで、お腹痛なって舞台立たれへんくなるまで頑張って頑張って頑張ってきたってこと。皆分かってる。
劇、成功させたかったんやろ。外ではヘラヘラフラフラすぐ女の子のこと好きになるけど、宇利、ほんとはそういうやつやんか。外ではすぐ女の子のことヘラヘラ好きになってふらふら振られてるけど」
「‥俺ディスられてる?」
「そんなわけないやん!」
彩子の声が一段と強くなった。


あぁ。
そうか。

宇利は思った。
俺、この仲間たちと、劇に出たかったんや。

バンドは最高だった。思い出になった。自信もついた。楽しかったし、それまでの練習練習の日々に満足もしてる。でも、
俺がもう少し無理してたら、あの日あんなに心配かけずに済んだのに。
俺がもう少しやれてたら、あの日みんなともっと心から笑い合えたのに。
俺がもう少し頑張ってたら、あの日のことをみんなとこれから先もずっと語り合えたのに。

劇は、上演されないと、完成しない。
どんなに素晴らしい脚本ができても、どんなに見事な装置が組み上がっても。
どんなに役者が頑張っても。セリフを覚え、読み合わせ、完璧な演技ができていても。
お客さんが入って、上演されて、初めて演劇は成立する。
そして、その時そこに、俺はいなかったから。

俺、皆にやきもち妬いてたんかもな‥と、宇利は彩子の顔を見ながら思った。


「やる」
「え」
「やるわ、俺。もう一回」
「ほんま‥?」
「うん、やる。だって、このままやったら俺、終わられへんもん。悔して、俺だけ眠られへん。皆にはほんまに悪いし、大変やとも思うけど、でももう一回、一回だけでいいから、力貸して欲しい。」
「宇利‥」
クラスメイトが、グッと唾を飲む音が聞こえた。皆、宇利の次の言葉を聞こうと、咳の音一つ立てずに見守っている。
「観客は、なくていい。あったらもちろん嬉しいけど、でも、俺真剣にやるから。俺一人だけでもやるけど、でも、出来たら皆一緒にいて欲しい」


深々と頭を下げた。腹の底から声を出した。
「もう一回、お願いします!」
顔を上げた。



「‥?
さ、さわ子ちゃん?」

そこには、黒縁眼鏡でおさげの女の子が一人、眼鏡の奥の目をまんまるにさせて、立ち尽くしていた。



「はいはいはいはい、そこまでー!!宇利、残念ーー!!おおのさん困ってるやろ!!」
事の成り行きを心配した数名が、宇利とさわ子の間に割って入る。
「おおのさん、ごめんっ!宇利がまた急に変なこと言い出して‼︎こらっ、宇利、また突然変なこと言うな」

おさげの女子は固まっている。

「いやっ、オレは、その、これは‥」
違うんですと言ったら、目の前の女子を傷つけるかも知れない。
宇利には、その女子生徒クラスメイトの、眼鏡の奥の表情までは読み取れなかった。
「えっと、もう一度お願いって言うのは、その‥」
何で、ほとんど口も聞いたことのない(と宇利は思っている)さわ子のことを、俺が狙っているだなんて彩子が言い出したのか、甚だ疑問ではあったが、この無口で清楚そうに見える女の子を、例えそのつもりはなかったとしても、傷つけたくはなかった。

宇利と、そしてさわ子にとって、永遠かのように思える沈黙がしばし続いた。


「改めて、おっはー。お待たせー、授業始めるよ!え、どうしたの宇利くん?何をもう一度だって?」
彼を救ったのは、全く状況を知らずに、限りなく明るい調子で飛び込んできた、彼の担任の声だった。


🔸エピローグ🔸


クラス劇の再演は、翌週の昼休憩、学校の中庭で行われた。

主演を宇利に戻した再演の、校内の反響はなかなか良かった。特に、衣装部渾身の赤いスカートを履いた宇利が、初めて舞台(と言ってもそこは、中庭の即席ステージではあったが)に現れた瞬間、詰めかけた生徒たちからは、ちょっとしたどよめきが起きた。
外部からの観客はなし、芸能事務所からのスカウトも当然なく、宇利が密かに練習したサインも日の目を見ることがなかったが。
いや、そのサインは一度だけ、うっかりと古典の定期テストの氏名欄に書いてしまい、マイナス10点をくらうことになった。



小さな行事を終えた後の学校には、まるで何事も起こらなかったかのような、ほんの少しすました空気が漂っている。


でも私たちは知っている。
教室の雰囲気が、また少し、濃密であたたかいものになったことを。
今日もあの席には、無遅刻無欠席の彼が、笑顔で級友たちに囲まれている。

そして、
あの日以来、黒縁眼鏡の目立たぬ女子生徒の胸のうちに、小さな小さな何かが芽生えたのは、また別のお話である。


‥🍒‥ このお話はフィクションです ‥🍒‥


すべてはここから始まった①

すべてはここから始まった②

「すっぱいチェリーたち🍒」設定まとめ


✏️ あなたも、創作の中で、彼らと一緒にちょっぴりすっぱい高校生ライフを送ってみませんか。

✏️ 概要は上の記事より。
主人公が宇利 盛男うり もりおくんのお話か、それとも何らかの形で宇利くんが関わるお話 を作る、マルチバース的な(?)創作企画です。

✏️ 〆切は12月25日。
いろんな方たちが参加して生まれてきた、その他の登場人物については、いちばん下の記事、おお(の)さわ(こ)さんの「私の手帳」から読むことができます。が、そんなことを難しく考え過ぎなくても、参加可能です🏫


ここまで何と5684文字!
なんでこんなに長く‥?!
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました🙇‍♀️

#創作
#高校生活
#作ってみた

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