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クロ神様は生き残りのポンコツ信者のせいで大変です。
第十話 覆水盆に帰らず
「きたきたきたきたぁぁ! くぅぅぅ! この快感がやめられません。お薬ぃぃ……お薬ぃぃぃ!!」
「ギギィィ⁉︎ ギャッギャギャブゥ!」
マリアは片手で注射器を打ちながらゴブリンをもぐら叩きのようにぶっ叩く。奴らは注射器片手に、徘徊する彼女がよっぽど怖いのだろう。HPバーの隣には、『恐怖』のデバフがしっかりと付与されているのだった。そのせいでせっかくのスキルが封じられていた。
恐怖をばらまくスキルや称号もないのに環境や姿だけでデバフを押し付けるとは……恐ろしい信徒である。
だが、さすがに戦闘中に針をぶっ刺すのは危ない。やめさせなければ。
『やっ、愛しい信徒のマリア。今戦闘中だからお薬やめ――』
「うっさい。黙れ」
『だっ、黙れって。はぁ……どうしたもんか』
まさかの主神に向かって命令。反抗期というのは案外早いらしい。まさか、たった5年で訪れるとは……
『OK、OK。君の好きなようにやってくれ。いくらジャンキーになろうと僕がちゃんと戻してやる』
「そうそう。クロ様は高みの見物してて下さい。今のぉ〜ぅ。わたしは最強デェス!」
マリアは飛びかかってきたゴブリンを三匹まとめてぶった斬る。もはやゴブリン程度では、完璧にガードしても一撃で葬り去られるのだった。それほど今のマリアは強い。
いや、強いのはマリア本人というより称号なのだが……
マリアは新たな称号をバンバン獲得しながらその力を遺憾なく発揮していた。僕はマリアの称号を改めて確認する。
『命の弄びⅢ』罪過600%
『異常者Ⅲ』罪過 敵を殺すたびに罪過を一つ追加する代わりに罪過を7つ追加する
「ゴブリンスレイヤーⅤ』ゴブリン系に対する攻防力1.3倍
『蹂躙Ⅴ』自分のレベル以下の敵に攻撃する場合1.5倍
『破壊者Ⅴ』損傷可能部位を攻撃する時ダメージを1.5倍
『砦潰し』施設に対するダメージ1.5倍
『ウォーモンガー』自分が無傷の敵に最初の攻撃を当てた場合。その最初の攻撃が二倍になる
『一騎当千Ⅴ』敵が多数いる時はダメージ2.5倍
『サディストⅤ』ダメージをおった敵を攻撃するときダメージ2.5倍
『ジャンキー』薬物を摂取すると全能力値が1.1倍になる しかし、定期的に薬物を摂取しないと全能力が0.6倍になる。
うん。称号が年とレベルの割に多すぎる。
そのせいか、攻撃の桁が文字通り他と違う。それに加え、あまりにも大量の戦闘をしたせいか格下との戦闘にも関わらずレベルが10も上がってしまっていた。そのせいでマリアの神威はめちゃくちゃ減るスピードが早くなっている。
(うーん……前借りしてた神威で足りるか? これ……差し引きでマイナスになるとかシャレにならんぞ。おい……)
そうして目を離していたせいか事態は思わぬ方向に悪化していた。
「グギュ、ゲェッ、ゲェッ!」
「おや? 逃げ場がない。やっちった」
『おいおいおいおい!何やってんのよ、マリアさん!」
少し目を離した隙にマリアは、ゴブリンに囲壁際に追い込まれていた。スキル後は硬直が少しあるせいか彼女は通常攻撃だけで応戦する。
しかし、所詮ヒトの手は二本だけ。こんな状態では逆転の目は限りなく低かった。
「グギャャャャャャャャャヤ。ギャギャギャィィ」
『くそ、こんな最後ってアリかよ!』
ゴブリンたちは威力よりも妨害に重きを置いているのか。マリアに対し、即座に殺さず、じわじわと彼女の肌を浅く斬り付けていく。
「ぐっ……くぅ! まっ、まだまだ!!」
マリアはガムシャラに刀を振るう。それにゴブリンは少し下がる。だが、その隙を逃さず一匹のゴブリンが彼女のコンジキを絡め取って上空へと飛ばした。
「しまっ! うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」
マリアの叫び声が聞こえるとともに僕は目を閉じた。最悪の結末だ。
ここまで囲まれていたら僕でも対応不可能である。そうして、事の顛末を確認しようと恐る恐る目を開けてみるとマリアは消えていた。
「はっ……?」
「……ってウッソ〜! 引っかかった? ぎゅゥゥゥん!」
消えたのではない。沈んでいたのだ。後ろ向きに。そのままマリアはゴブリンの足元をなめるように低空姿勢でヌルヌル動く。
そうしてゴブリンたちが戸惑っている内に背後に回り込むと、一気にゴブリンたちを倒した。
『全く……寿命が十年縮んだぞ。なんだあの奇妙な動きは』
言いたくはないが、背中の辺りがゾワゾワするような動きだった。あんな動き、鍛錬中も実戦でも一回も見たことなかった。
心臓をバクバクさせながら、マリアに聞くと彼女は嬉しそうに自慢する。
「えへへ〜。上手くイキマシタァ。これはぁぁクロ様がぁ、よく見てるモォニタア? の踊ってる女の子の動きを真似ました。名付けてヌルヌル歩法!」
「基本の用途で使っておくれよ……君は僕の信徒でありながら、巫女でもあるんだから」
通りでヌルヌルな動きをするわけだ。あれ、本職の人がバリバリ踊ってるからな。
それと、あの複雑な踊りを目コピして独自にアレンジできるのか。
相変わらず単純記憶は素晴らしかった。倫理的な説明を交えるとピンとこないようであるが。
今度神楽を踊ってもらおう。長い生活で久々のワクワクした気分だった。メグさんのは見飽きたからな。
『ふぅ……気を抜くなよ。愛しい信徒のマリア。これを落とせば、後は中央の砦だけだ。気張れよ。そして全てが終わったら僕に踊りを捧げてくれ。僕は君の踊りが見たい」
本心からそう言うと、彼女はトロンとした後にギョロギョロと目を動かしながら危ない笑顔をする。うーん、見事なジャンキー。
でへぇへへへ……はい、がんばりましゅ!」
「そ、そうか。目がめっちゃ動いてるなぁ……」
「はい! もう世界グルングルンです。クロ様の声が何重にも聞こえます!!」
これほんとに最後まで持つだろうか。途中で廃人にならない? 打たせた本人が言うのもアレだが、頭お花畑で特攻させるのは神風じみていた。
(これが終わったら本気で薬抜かなきゃなんないな……エリザ頼むから生きててくれよ? 助けて恩を着せて絶対信者にしてやる。そうしてマリアを一緒に治してくれ。僕だけじゃ更生はかなりキツイ……)
「マスター、私もいますよー。私を忘れてます。それと早くボディを元に戻してください」
メグさんはモニターに割り込んでくる。ええぃ。うろちょろされると鬱陶しくて仕方がある。3Dボディを与えたのは失敗だった。不要な時に限って動き回る。
「抜け目がないね。それとメグさんは最悪文字だけにするから。もう本当に神威が足りない」
「オーマイガー……」
そうしてマリアは期間限定の力を振り絞りながらゴブリンを殱滅するのだった。
「くっくっくっ……ずいぶんと大人しくなったじゃないか。三週間前には喚いて叫んで泣いてばかりだったのに。ようやく俺のものになる気になったか?」
流暢な公用語で話しかけてきたゴブリンの親玉に、私は伽藍の瞳を向ける。
「どうして、そう心を欲しがるのです。あなたがとっくに壊した癖に」
「名前で呼んでくれよ。エリザ。俺たちは夫婦じゃないか」
「夫婦……ふっ奴隷の間違いじゃないですか? 私の尊厳も、私の体も、私の大切な拠り所も、生き方も全て壊したのに……厚かましくも私の心まで手に入れようと? 上げれるものなら当に挙げました。もう何も残っていないのです。私には何も……」
もう生きるのに疲れた。ゴブリンに喰われるのも怖くない。全て貪り尽くされた私には空の身体しか残っていないのだ。
「何も残っていない訳はない。お前はしっかりと俺の子供を身篭っているのだからな。グハハハハハ! 喜べ、エリザ。王妃なんだぞお前は?」
「なっ! う、おぇぇぇぇぇぇ」
その発言に忌まわしい記憶がフラッシュバックした私はとっさに吐く。人形のようにすれば耐えられるかと心を殺していたが、もう無理である。死ねるものならさっさと死にたい。
「ヒトは俺たちよりも強欲だ。だからお前には全てを与えてやる! その代わりにお前も全てを寄越せ! 憎き俺に心から恭順し一生をかけて尽くせ!! それが王に見染められた義務だ!!」
「そんなの……死んでもごめんです! ぷっ!」
私は親玉に唾を吐く。そうすると彼は青筋を立てるが、ふと笑うと私をベッドに押し倒した。
「やはり、俺には庶民の真似事は好かんようだ。王に歩み寄りなど不要。全ては王のためにあるのだ。こうなれば、体で教え込んでやる。お前が散々喘いだこれでなぁ!!」
「くたばれ。クソ野郎」
そう毒づくと奴は嬉しそうに笑う。そうして私の服に手をかけると――
「失礼します、我らが王! 可及のお知らせ、ぐべ……」
「俺の部屋に許可を取らず踏み入れるとは万死に値する。それで後ろの雑魚よ。これは何のようで俺の楽しみを邪魔したんだ? 質問に答えろ」
奴は部屋に入ってきた兵を殺すと、後ろの兵に問いかける。
「はっ、申し上げます! 東西南北の砦が夜襲によって全て潰されました! 人間側の兵によって!」
「なっ! 一夜にして全て潰されただと⁉︎ ありえん。砦の内部にはそれぞれ、一万の兵が駐留しているのだ。それが夜襲を仕掛けられたから滅ぶなんてありえん! 敵の兵は何万だ。五万か? それとも十万か?」
本当の神はこの世にはいない。それがこの三週間の地獄で私が気づいた真理だった。
それなのにこれは何の奇跡なんだろうか。涙腺はとっくに枯れ果てたと思っていた。それなのに私は涙が止めどなく目から溢れ落ちるのだった。
「いいえ……一万ではなく、五万でもありません。敵襲はたった一人です」
「っ、王を愚弄するな! お前も死にたいのか!」
「いいえ! 嘘は一言も申してありません。早くお逃げになられて下さい。既に賊はこの砦に侵入しました。あなたも早くお逃げに――ぐふっ!」
突如伝令兵の内側から純白の剣が臓物を引きちぎって飛び出す。それは一撃でゴブリンを絶命させ、奥の壁へとブッスリ突き刺さるのだった。
「ぐっ、なぜだ! なぜこのタイミングで攻めてきた。下等な人間風情がぁぁぁぁぁぁ!」
「きゃっ! 何をするんです。もうあなたは破滅が決まってます。大人しく――ぐっ!」
殴られた。口の中に鉄臭い血の味が広がる。だが、私はその痛みでさえ、救われる思いだった。
「うるさい、うるさい、うるさい! 俺がこんなところで終わる訳がない! 王とは凡俗の庶民とは違う選ばれた血統なのだ。そんな尊い血が賊如きに奪われるなどあっては――ひぃぃぃぃ!」
奴の耳をもう一本の投擲された黄金の剣が弾き飛ばす。惜しかった。もう少し右です。救世主様。あぁ、我らが神よ。神罰を神罰をこの愚か者に与えて下さい。
「ははははは! あなたはもうおしまいだわ。報いを受けなさい。あなたは神の、私たちの父であり母である、大いなるお方の怒りを買ったのよ。おお、神よ。紛い物ではない真の神よ。ここにあなたの標的はいます。私ごとで構いません。どうか、この下賤な生命を断ち切ってくださいませ」
「女ぁ! 少し目をかけてやれば調子に乗りやがってぇぇぇ!」
奴は私の忠信の言葉に腹を立てたようだ。顔が変形するほど殴られる。しかし、大いなるお方のとてつもない波動を感じるだけで私は全ての痛みから解放されるのだった。
「生温い、生温い。私を止めたければ殺しなさい。もう私は何も怖くないわ! あなたの運命は既に決まっているのだから!!」
「お仕置きが必要なようだな! 覚悟しろ。死にたくなるほどの痛みを与えてやる!!」
ゴブリンの王は私の頬にナイフを当てると肉をハムでも切り分けるように削ぎ落とす。己を抑制できない、ケモノ同然の魔物に嫁ぐなど死んでもごめんだった。殺してくれるならこっちも本望である。
私は、為されるがままに、死への階段を一歩一歩登ってゆく。
死ぬのは何も怖くありません。でも……あぁ。そうか。私は一目だけでもあなたにお会いしたかった。願わくばあなたの信徒に私はなりたかったのですね。
私は己の意地汚い本心に自嘲する。死にたい、死にたいと願っていた私が生きたいと思った瞬間に命を落とす。あぁ、なんてこの世は残酷なのだろうかと。嘘でもつけばよかったかな……私は血で真っ赤に染まった肉を撫でると、目を瞑った。
あぁ、大いなる真の神よ。私の神よ。この脆弱な身をどうかお許し下さいませ。一足先に私は世界へと還ります。あなた様のお力になれないことが本当に心苦しい。ですが、私は空からあなた様の成功を心から願っております。死にゆく私を安らかにしてくださり、どうかありがとうございました。エルザは少し眠ります。
そうして私は、痛みを子守唄でも聞くように微睡へと変えると、意識をどこまでも黒い暗闇へと落とすのだった。