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強制不妊にまつわるQ&A


誰だって、何かを人に強いられるのはいやなもの。

からだを誰かに傷つけられる、機能までも変えられてしまう。それは、気持ちの上でとても悲しくつらく、そして体の上でもとてもとても痛いこと。また、人権というものがひとしく人に与えられているのならば、正当な理由もなくからだを傷つけられるのは、とても怖い、そしておかしなことですよね?

わたしが大学で議論したり、Twitterなどでお話させていただいたり、そして本や新聞記事で調べてみたことをまとめました。Q&A形式にしたのは、比較的誤解が多い箇所をわかりやすくするためです。

わたしの頭の程度なので、けっして難しいお話ではないと思います。また、調べ切れていない、知識に不足があったり論理構成に甘いところがあったりしますので、随時加筆修正していきます。


1.強制不妊ってなに?

戦後(1948年)に施行された「優生保護法(現:母体保護法)」で定められた手術のことです。さまざまな障害のある人たちの【性機能】を奪うことにより、「不良な子孫の出生を防止する」目的でした。お医者さんが申請すれば、ご本人の承諾がなくとも、諸条件を満たせば実施できるものでした。約40年にわたって実施され続け、わかっているだけでも全国で1万6475件、手術が行われました。1996年に、優生思想に基づく条文を削除して「母体保護法」に改正されるまで。

資料が散逸しており、中には手術されたのが明らかであるのに記録が残っていないケースなどもあります。 ひどいですよね!

それに加え、中にはいろいろな事情もありますが、ご家族が積極的に手術を受けさせようとしたケースも…。その場合、ご家族がお亡くなりになった場合には、当然手術があったことを証明できる人もいらっしゃらない、そんな不利益が生じています。

時代背景としても、保守政党だけではなく、革新政党である社会党までも率先して法案を支持。全会一致で採択されています。障がいのある人たちにとって、どれだけ厳しい時代だったかということも、察するに余りあります。

想像してください。普通は具合が悪ければお医者さんのところへ行き,説明を受けた上で,同意して手術を行いますよね?具合が悪くもないのに体を切り刻まれることの恐怖,屈辱,絶望を。


2.障がいのある人は、子どもを育てられないでしょう?それなら仕方ないんじゃないの?

こういう風におっしゃる方が、比較的Twitterでも多かったです。中には、ごきょうだいに障がいをお持ちの人もいらっしゃって、正直わたしでは何も言えなくなることも、ありました。

でも、一般論としてなら、この問いはおかしいといくらでも思えます。少なくとも、当事者でもない方々がひどいことを言っているときに反駁するのには次の2点で充分です。

まず第一に、「障がいがある方だって、立派にご家庭を築かれている方はたくさんいます」ということ。むろん、特定のケースを言っているのではなく、中にはサポートを得て生活できている方も(こう申し上げるとそこに反発される方もいますが、私的・公的なサポートを受けずに生活できる人などいません)。または、もともと経済的に自立されている方もいらっしゃいます。

そして第二に、「お子さんを持つかどうかは、ご夫婦それぞれの選択です」ということ。近年は「子供は三人産め」とか、「女性は産む機械」という政治家さんもおられますが、それが暴論なのはお分かりだと思います。そしてこれこそ、障がいがあるなしに関係なく、当たり前のお話ではないですか?お子さんを持たない、そういうご夫婦が最近は増えておられるから、ご理解いただけると思うのですが。

そもそも、からだの機能だけでなく、「機会」を奪っていることが、おかしいと思いませんか?「選択」すらも与えないのは、これはもうとんでもない人権侵害そのものとわたしは思います。


3.障がいって、遺伝するんでしょ?

そもそも、障がいにはいくつも、それぞれ人の数だけの種類というか、文字通り人によってちがいます。一つにまとめて「障がい」と呼んでしまうのは無理があるとも思いますが…。

中には、遺伝性疾患の患者の方々が含まれていたのは事実です。だからといってご本人の承諾なしに手術をするというのは、許されることだとはわたしは思いません。

そして障がいといわれるもののうち、明確な因果関係は認められていないものも多いのです。中には遺伝的要因もあるけれど、環境的要因も非常に大きな影響を与えるとされるものもあるんですね。精神疾患の多くがそれにあたるようです。生まれてからの環境次第、というものもとても多くあるんですよ。

また、当然のことながら後天的に(生まれてから)障がいを持った方の場合は遺伝によるものではありません。例えば、大病や事故などで、お身体が不自由になられる方は、決して少なくないと思います。ご高齢にさしかかって、お体のあちこちが機能低下することも、考え方によっては障がいとほぼ同じではないでしょうか。実際、生まれた後の麻酔の影響でお身体に障がいが残った方、伝染病がもとで障がいの残った方々にまで、強制不妊手術は行われていました。

いずれにせよ、個別具体的なケースを見ずに、安易に「遺伝する」と断言することは、暴論であると言えます。

また、毎日新聞の記事ですが、GHQ(連合国軍総司令部)は、ナチスの断種法を引き合いに出し、優生保護法の「遺伝に対する正当性が不透明である」との旨を具申したといわれています。それでも日本政府は聞き入れず、採決しました。この部分をもって、わたしはこの法律の成立から何から、この国の自画像だと考えています。


4.でも、今さら何十年も前のことで、訴訟を起こすなんて…もう終わったことなんじゃないの?

まずは感情論から反駁してしまうことになってしまいますが、「あなたの身体に酷い、そして屈辱的なことをされて、それが何年も経ってから言える状況になったとします。そのときに不満の声を上げて、『終わったことだから』と言えますか?」

まずは、自分の、身近な人の身に起きたことだと『想像』しましょう。まして、強制不妊手術は、ご本人がよく中身も説明されず、ずっと後になって気がつかれることがとても多かったのです。そして、1996年まで、何十年もの間、手術は続いていました。簡単に言い出せるようなお話でもありません。

次に,情緒的な答えだけだと難しいと思いますので,法的なところに落とし込んで考えます。一つ言われるのが,質問の通りで,「今さら」論に対して。

法理には「法の不遡及」というテーマがあり,日本国憲法第39条でも「何人も、実行の時に適法であった行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問われない。」という文言があります。これに従えば,たしかに「当時強制不妊手術を行った側には落ち度がない」ということになります。

しかし,これをもって「終わったこと」とせざるを得ないのか,ということが問題になるのですが,その答えはNOです。なぜなのかというと,それは「救済立法を行えばよい」ということです。事実,自民・公明のワーキンググループや,超党派の議員連盟が立法を目指し動いています。

また一方では,「救済を怠ってきた」というものの見方もあるかもしれません。その場合には,国の不作為責任(やるべきことがあったのにやっていなかったということ)が問われます。

それに,「救済」することが主眼になるのならば,例えば実際に手術を行った医療関係者の方々や,当時の厚生省の方々のそれぞれの関係者の責任追及といったことにはことは及ばないのです。ここを混同させたデマ,フェイクも残念ながら多数ありました。

一方で,このような報道もあります…。(有料記事ですが要旨は読めます)


「え?何が問題なの?」と思われた方は,下記の記事もごらんください

実際に手術を受けられた方々には,もうご高齢の方も多いのです。そして,「補償はいらない」と訴える方もたくさんいらっしゃいます

切実なみなさんの声をしっかり聞きもせず,「たかりだ」「弁護士にそそのかされた」などと,外野の人が言う権利などありません。

被害者のみなさんが求めておられるのは,「国の謝罪」であり,「過ちだったことを認め,明るい将来を作っていこう」ということにほかなりません。そう思えば,スタートは何なのでしょうか?

それは,真摯にこの問題を受け止めること主語を明らかにし(わたしは「国」とすべきだと思っています。なぜなら、被害者の方々にとってのお詫びになっていなければ意味がありません。謝る側の都合など重要でないからです),誠心誠意おわびをすることです。つまりは、

過ちを認めること

これを譲ってはなりませんし,そうした視点で政治家の皆さんの行動・言動をしっかり注視していきましょう。


おまけ

お前は障がい者でもない,弁護士でも関係者でもない。なのに強制不妊の事を言う。お前は偽善者だ。

言葉通りではありませんが,実際にこうしたおことばをちょうだいしたこともあります。偽善者,ということについては,わたしは自分で否定することができません。偽善者とお呼びになるかどうかは,その人におまかせします

一応言い訳がましいことを申しますと,わたしには人工妊娠中絶手術をうけた経験があります。中絶手術は,病院にいって「はい,やってください」というものではないですよね。同意書の提出など面倒な手続きもあります。体への影響も大きいと言われます。

いずれにせよ,わたしが人工妊娠中絶手術をうけるにあたり,「母体保護法」という法律があったので,手続き的に問題なく手術がおこなわれることになりました。

手術からだいぶたって,その「母体保護法」を調べてみた,そんなきっかけです。不思議なものです。

それと,家でとっているのが毎日新聞だったということもあります。毎日新聞のこの問題に取り組んでおられる方々は,ものすごい熱量でやっておられ,この問題が日の目を浴びたということもあるでしょう。メディアのちからはやはり,すごいのですね…。





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