アメリカに居た時のハナシPart2
アメリカに居た時のハナシというタイトルながらも
Part1はまだまだアメリカに行けなさそうなハナシ止まり
特にどうやって書いてこうかなんて考え無いから
補足やらなんやらで本編が進まないのが
コチラのnoteと思ってください....
練習生を辞めてから東京で一人暮らしを始めたが....
その頃は無気力な日々が続いた
プロレスへの気持ちが途切れてた
ジムにも行かず、筋量、体力が減る一方
生活する為にバイトはしてるが
何の為に東京で生活しているのか
明確な目標を見失ってた
そんな無気力な時期は
記憶にも残りにくいし、時間も早く進む
あっという間に20歳になってた
この頃は、バイトして週末に草野球して....
プロレスのプの字も出てこなかった
トレーニングに対して精神的に拒否反応が出てたような
練習生時代のケガを言い訳にしてたような
まぁ、また明日にでもやり始めればいいかみたいな
時間を無駄にしてたと思う
何年か前まで
過去を否定して生きていた
あの時あの行動をすれば....みたいな
今は変わった
過去の行動があるから今の自分がある
今、知り合った友人も、今、プロレスしてるのも
今、生きてるのも
今ある悔しさ、悲しみは過去が原因かもしれない
だが、今ある楽しみ、喜びも過去の行動があるから
過去を否定する必要はなく、間違いを学んで行けば良い
当たり前の話かもしれないが....
話しを当時の頃に戻すが
とにかくこの当時の自分は悲観的だった
目指して無ければ.....
プロレスに対して憎しみを抱き始めるくらい悲観的だった...
そんな日々が何ヶ月も続いたが
ある転機が来た
練習生時代にケガした場所がまた痛くなったのだ
良い転機には聞こえないと思うが
転機だった
病院に行き検査したら
肘の神経が損傷していて
手術を勧められた
人生初の手術
何故かワクワクしてる自分がいた
と言うのも
練習生時代にケガしてからずっと違和感があり
それを放っておいた
まさか手術レベルとも思ってなかった
自然に治るだろうと
実際、退寮し、トレーニングをやめてから気にならなくなってた
だが、手術レベルだったとは
そう、ケガを言い訳にしてトレーニングしてなかったが
手術して治ったら?
手術すれば良くなってまた目指せる?
即手術した
リハビリが終わった頃
自分は
トレーニングをまた毎日の様にやり始めた
そして目標を作った
次、プロレスラーを目指すのは3回目
ラストチャンスと考え
夢だったアメリカに行ってみて
ダメなら諦めよう!
年齢的も大学を卒業するくらいの年齢
ダメなら北海道に帰る
と、目標を立てたのは21歳頃だったが
この後も紆余曲折あり、知り合いの紹介でレスラーの下で仕事したり、でもなかなか練習出来なかったりなんやらかんやら.....
全てを話すとめちゃくちゃ長くなるので省略....
とにかく時間はかかった
時は流れ23歳になった
今年行こう、アメリカ、決心した
さてアメリカ
どうやって行くのか......
そりゃ飛行機に乗ってなんだが
プロレスの練習はどこで?
どこに泊まるの?
どれくらいの期間?
アメリカいる間の日本の家は?
帰って来てからの家は?
色々問題は山積みだ
そんな沢山の問題が
色々な人の縁によって解決された
先程、書いた
過去の行動により今の自分がある
"バタフライエフェクト" そんな感じ
自分は草野球をよくやってた
時間があれば色々なチームに参加し
一時期は4チームに所属し自分のチームも持ってるくらい草野球を楽しんでた
その草野球チームの人が不動産屋をしてて
使ってない事務所みたいなのあるから
日本に居る期間、帰って来てからを毎月更新で住んで良いよと言ってくれた
"日本での住居"問題が解消
続いてアメリカでの滞在地問題
コレも元を辿ると草野球からだった
草野球のチームメイトと飲みに行く→店を紹介してもらう→たまに行く様になる
そのバーで出会ったのだ
1つ年下のアメリカ人の青年と
彼は日本が大好きで何度も日本に来ていた
映画や音楽の趣味が合い意気投合し
よく飲みに行くようになった
そんなある日
アメリカでプロレスラーになるという夢の話しになった
自分が語り終えた時
デビッドが
"マイアミだけど、部屋が空いてるから使って良いよ!"
なんとアメリカでの宿泊先が見つかってしまったのである
いや、今思えば、めちゃくちゃ良いやつだが
信用して行く自分もなかなかぶっ飛んでるなと...
それくらい藁にもすがる状況だったのもあるが
実際行って家族みんなでアメリカの生活をサポートしてくれた
本当にめちゃくちゃ良いやつだったんだが
さて、ここまで聞いて
コイツ、運良いヤツだなって思っただろ
ココからが更に凄い運が待ってた.......
2016年9月23日
アメリカに飛び立った
初の海外
もう、全てがワクワクだった
何も保証は無い
だがずっと夢見たアメリカへ
WWEに憧れる前からアメリカ文化が大好きだった
MLB、NBA、HipHop、ハリウッド映画、あとシンプソンズ
父親の趣味の影響だがアメリカに憧れがあった
飛行機が離陸した時のあの興奮は昨日の様に覚えてる
ダラス空港に到着し
ほとんど乗り換えの時間が無かった
スーツケースを受け取り
マイアミ行きのゲートへダッシュした
荷物預けの場所に迷ってたが
荷物を乗せるレーンの前に居たスタッフが
"マイアミ行きはここに置け"
と言ってくれて一安心
預けて、更にダッシュして間に合った
とにかく空港が広くて
乗り換えもヒヤヒヤだった
そして合計20時間くらいかけて
マイアミに到着した!
空港にはデビッドも迎えに来てくれて
さぁスーツケースを受け....
スーツケースを....
スーツケースが来ない.....
おや?
スタッフに確認してもらった
スタッフが残念そうな顔で
「この番号のバッグはダラスにあるわ」
あのダラスのスタッフーーー!!!!!!!!!
アメリカ初上陸はまさかのトラブルスタートだった
(翌日、家まで配送してくれました)
さて写真と共にマイアミに到着してからの数日間を振り返ったが
話しを戻そう
日本の住居やアメリカの宿泊先
人の縁があり運があった
更に凄い運が.....とちょっと前に書いたが
スーツケースを置いていかれた事を指してるワケではない
今回の目的、プロレスの練習をしてデビューを目指す事だ
そう、マイアミに来たのは良いが
宿泊先があるからマイアミにしたものの
どこの団体に問い合わせるか実は決めてなかったのだ
見切り発車とはまさにコレ
本当勢い任せな人生だ
一応、日本に居る時に、フロリダのプロレス団体はリサーチはして来てた
8個ほど連絡先が記載されてる団体があった
片っ端から連絡した、しかし
電話が繋がらない
調べたらもうやって無い
興行しかやって無いから練習は見れない
おやおや雲行きが怪しいぞ.....
リストは残り3つ
その3つの中で唯一、頻繁にFacebookを更新してる団体があった
期待を込めて、祈りながら電話した
プルルルルルルルルルルルルルルルル
ガチャ.....
ハロー?....繋がった
"何の用だい?"
自分"そちらはプロレスの団体で今も活動されてますか?"
"あぁやってるよ"
自分"プロレスの練習をしたいんだが可能かな?"
"道場があるからそこに来ればできるよ"
自分"日本から来てる者なんだが、滞在期間は......
"Japan!?"
"ワタシ!パブロ・マルケス!ムカシニホンイマシタ!!"
急にテンション高くカタコトの日本語を喋られて動揺した
"なんで先に教えてくれない!是非道場に来てくれ!"
あれよあれよと話は進んで、2日後に道場に行く事になった
何だ?そんな偶然があるのか?
自分は全く知らなかったが
その団体の代表は1999年〜2002年に
みちのくプロレスさん、KAIENTAI DOJOさんで活躍された
パブロ選手だったのだ
本当に偶然だ
怖い
そして2日後、自分は道場に向かった
家からマイアミの駅までバスで20分
マイアミ駅からフォートローダーデール駅まで
約50分
駅から道場まで徒歩だと30分
片道2時間というそこそこ大変な距離
しかし遂にたどり着いたのだ
挫折の連続から
またプロレスのリングがある場所に
5年ぶりにリングに触れた
リングがあり、練習してる選手が居て
そしてパブロコーチと出会った
"君がソウか!日本からはるばる来るなんて凄いな、よろしく!"
気さくで、優しく、何より日本人への理解がある方だった
本当に恵まれた環境だったし
周りの選手も優しく
挫折の経験からプロレスに対してトラウマみたいなのがあったが
それを忘れる練習の日々を送った.....
そしてまたこれも運なのか
素晴らしい方に出会う
パブロコーチの繋がりで新しいコーチとして
ギャングレルが来た....
これがまた自分にとって大きな財産となる出会いになる......
Part3へ....
色々な経験、挫折、決断
今は何一つ過去の自分の行動を否定しない
むしろ何か一つでも欠けたら
こんな素晴らしい人々に出会えてないから
オマケ↓
Part3に続く....