60代で尖る。終わらない冒険。
「...ああ...もう後戻りはできない...」
60歳を前にしての一大決心。
血圧が上がり、
動悸がした。
デキる人なら
あっさりと越える壁なのかもしれない。
でも、私は満足に動けない。
満足に眠れない。
時間ばかりが過ぎる。
期限が近づき、
ますます高くそびえ立つ。
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2024年12月21日(土)
60歳を迎える日だ
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この日までに
𝕏で万垢(1万フォロワー)になる
私は、そう決心した。
もう進むしかない。
恐怖も迷いも、
これからは力に変えていく……
申し遅れました。
元気な60代を増やすため
Xで発信している、
だいもんと申します。
私のnoteを開いてくださり、
ありがとうございます。
このnoteでは
𝕏で万垢チャレンジをするに至った
経緯や想いを綴っています。
このnoteを読んでいただきたい方
気になるところだけでも読んでいただけると幸いです。
序章:波乱の幕開け
まさかこんなことになるなんて。
55歳。定年まであと5年。
このまま逃げ切れる。
そう思っていた。
世間はラグビーワールドカップで
盛り上がる。
最寄り駅が
スタジアムに向かう外国人で
溢れかえる。
パブリックビューイングで
見知らぬ人と盛り上がる。
インバウンドの爆買いで
会社の業績が上向き。
海外からのお客さまを
呼ぶため、
海外出張して
現地で話を聞き
街を歩いて
肌で文化を感じる。
このまま勢いを増して行けると
感じていた。
ところが、
突然飛び込んできた
「コ・ロ・ナ」
あっと言う間に
日本にも広がり、
インバウンドは
ほぼ皆無。
会社では
インバウンドの部署がなくなり、
私は別の部署へ異動。
役職定年で
給料減は想定内だったけど、
業績が急降下で
ボーナスが吹き飛ぶことは
想定外。
子どもは
私立大学に入学。
大学院までの
学費だけで
国立より600万円は
多くかかる。
「どうする?だいもん」
本業だけの
一本足打法では
やっていけない。
副業?
でもどうすればいいか
わからない。
情報収集で
使うこともあったけど、
SNSとは
無縁の生活を送ってきた。
知識もスキルもなにもない。
Twitter(𝕏)なら
文字だけで勝負できそう。
文章を書くことは
苦手だけど
できなくはない。
藁をもすがる想いで
はじめたけど、
全く反応なし。
少しずつ
伸ばしてこれたけど
3年近く
ほぼ毎日発信して
フォロワーさんは
3,000名。
少し掴みかけても
また分からなくなり、
成長しないまま
時がすぎる。
気づいて見れば
定年まであと4ヶ月。
もう後がない。
昔から
ギリギリのギリまで
動かない、動けない。
悪い癖が出てくる。
なかなか
万垢宣言できずに
思い悩み、
本当にやるのか?
やりたいのか?
デキるのか?
自問自答する日々。
宣言をしたものの
プレッシャーが
大きくなってきて
ますます動けない。
多くの人に
読んでもらえる
ネタにせねば。
ポストの質を
上げねば。
交流を増やして
いかねば。
ねばねばねば...
時間は待ってくれず
ハードルは
どんどん上がって行く。
これだけ上がると
もう怖いものはない。
第1章:60代を迎えるにあたって
2024年12月21日に
私は60歳になる。
そう還暦を迎える。
十干十二支が一回りして
赤ちゃんに還る。
人生の2周目。
私はこのタイミングだからこそ、
もう一度「尖る」
瞬間にしたい。
60代にもなると
多くの人が
「そろそろ落ち着く時期かな」
と感じ始める。
体力は若い頃に比べて
落ちてきたことを自覚する。
「人生の後半を穏やかに過ごしたい」
「無理せず平穏な日々を送りたい」
と思うのも自然なこと。
最初に書いたように
私も55歳まではそう思ってた。
「毎朝コーヒーをゆっくり飲んで、
午後は近所の公園で散歩。
それも悪くない」
と思った。
どこかで
「自分はもう何も新しいことができない」
という諦めに近い感情も伴っていた。
一方で
定年を迎えた先輩たちを見ていると
意欲が失われたり、
なんとなく日々を過ごしているように
見える。
口を開けば、
体の不調と過去の話ばかり。
残りの時間を
そんな風に使いたくない。
そう感じていた時に
時代が一気に変わってしまった。
当たり前のように感じていたことが
あたりまえじゃない。
新しい生活様式、新しい働き方に
変えざるを得ない状況。
それでも時が経つにつれて
意識が薄れて
一部を残してまた元の生活、
もとの仕事のやり方に戻って行く。
仕方がないことだと受け入れつつも
何となく違和感を感じながら
過ごす日々。
今年の1月のこと。
毎年訪れる厄除けで有名なお寺で
本厄のお祓いをしてもらう時のこと。
厄年一覧表を見てあることに気づきます。
これより後に厄年がない。
人生で最後の厄払い。
これから
もうこれで人生最後
ということが増えてくる。
ずーっとこのままでいいのか?
このまま人生を終えていいのか?
という疑問が湧いてきた。
いや、まだ自分は終わっていない。
まだ何かを成し遂げることができる。
若い頃のように忙しく働くことは
できないかもしれないけれど、
違った形で自分を尖らせることが
できるはずだ、と。
「60代だからといって、
人生の情熱や挑戦が
終わるわけではない」
そう思い直した。
それでも日が経つにつれて
薄れて行く情熱。
そんな時、
新たな環境に飛び込むチャンスが
巡ってきた。
定年退職まであと1年を
どう過ごすか?
それによって
定年後の生活も変わる。
セカンドライフを
スタートする前の
ラストチャンス。
即決して新たな扉を開いた。
少しずつ、
でも着実に新しい風が
自分の中に吹き込んでくる。
前に進んでいる感覚。
それでも1ヶ月もすると
またもとに戻ってしまう。
気づいて見たら
今年もあと4ヶ月。
60歳になる前に
何かを成し遂げたい。
そう思うようになり、
私は新たな決意を固めた。
12月21日の誕生日までに
𝕏で万垢を達成すると宣言。
ところが
宣言したものの
行動が伴わない日々。
プレッシャーだけが
大きくなって
気持ちが
追いついて行かない。
月日が流れ
あと2ヶ月。
3年近く続けて
3,000フォロワーなのに、
残り2ヶ月で
7,000名増やす。
単純に考えて不可能。
でも、挑戦する価値はある。
今の延長線上では
全く届かないのはわかってる。
いつ終わるか分からない
人生ゲーム。
人生最後の時に
「楽しい人生だった」
と言っていたい。
ずっとそこを目指して
生きていれば
いつ終わってもいいんじゃないか?
と最近は感じてる。
60代になる私が
60代を元気にするための
60歳を前にしたゲームの始まり。
働かないおじさんも
きっかけがあればまだまだ働ける。
周りの若手の不満も解消されて
生産性が上がる。
一番お金を持っている世代が
活発にお金を使えば
世の中に回って行く。
60代が元気になることは
日本が元気になること。
そう信じて発信を続けて行く。
私一人の力ではどうしようもない。
どうか力を貸して欲しい。
第2章:60代で「尖る」とは?
「尖る」と聞くと
若い人たちの自己主張の強さや
無謀な行動を思い浮かべる。
20代や30代の頃は
社会の中で自分の存在を示して
他人よりも頭一つ抜け出すために
必死に尖ろうとする。
若いエネルギーが溢れ、
競争心が燃え盛り、
周囲と比べて自分をどう
優位に立たせるか、
どう目立つかが
「尖る」こと。
今から40年近く前、
私が社会に出た頃は
バブルの絶頂期。
今思えばパワフルで
みんなが浮かれていた時代。
金銭感覚も狂ってしまい
欲にまみれていた。
ショッピングローンで
DCブランドの服を買って
着飾り、
高級車を乗り回して
外見の贅沢を競い合う。
実体を伴わない
ハリボテの生活。
年功序列、終身雇用が
当たり前の時代に
なんだか違和感を感じながら
働く日々。
ヘッドハンティング以外では
転職はあまりなかった時代に
一部上場企業(現プライム企業)で
理系の研究職から
未上場企業で全く畑違いの
文系だらけの会社に転職。
親からは「なんてことするんだ」
と強く反対された。
それでも、
自分の進みたい道へ進む。
自分ならなんとかデキると
根拠のない自信があった。
今思えば「尖った」
行動だった。
59歳になった今、
年齢を重ねる中で
いつのまにかぬるま湯に
浸ったまま
ふやけて丸くなった
自分がいる。
途中で転職も考えたど
踏み出す勇気が
持てなかった。
60歳で一律に定年になることに
違和感を覚えている。
でも、どうしようもないこと。
だったら、定年を期に
新たな世界に飛び込んでみたい。
再雇用をして副業するのが
生活の安定には
ベストな選択だとは思う。
でも、
それでは人生は楽しめない。
最後まで新しい挑戦をして
楽しみ尽くす。
「もう歳だから」と諦めない。
今だからこそできること、
今しかできないことをやり続ける。
60代にもなると
タワマンに住みたいとか
高級車に乗りたい
というような
欲求はなくなっていく。
ミニマムな生活ができれば十分。
きれいごとのように
聞こえるかもしれないけれど、
ここまで生きてこられたことに
感謝して、
自分が受けてきた
社会からの恩恵を
還元していく。
未来を作って行く
子供たちやその親たちの
力になって行く。
シニアと子供が交流できる場で
ボランティアとして働く。
会社員経験を活かして
コーチングでキャリアに悩む世代の
力になって行く。
派手さはないけれど
自分自身の内面の成長と
社会への貢献を
両立させる。
歳を重ねても好奇心は
失わない。
新しいことに
挑戦し続ける。
経験や知識を
最大限に活かして
社会を変えて行く志を持つ。
それが60代の
成熟した大人の「尖り方」
だと私は思う。
第3章:挑戦し続けることの大切さ
人間は挑戦を諦めた瞬間に
老いが始まる。
年齢を重ねると、
体力の低下や
頭の回転が遅くなることは
避けられないけれど、
挑戦する意志を
持ち続けることはできる。
心は自分次第で
いつまでも若々しくいられる。
体の老化が始まっても
心が若々しければ、
行動するエネルギーや
情熱は衰えることはない。
60代だからこそ
人生の新たな局面でも
燃えるような情熱を持って
何かに挑むことができる。
新しい趣味を始めるのも
立派な挑戦。
私が今やってみたいのは
パン作りと神社巡り。
子供のころからパンが好きで
朝食は今でも食パンを食べている。
健康を気づかって
全粒粉の少し味気ないパンだけど
満足してる。
売り切れで買えない時に
普通のパンを買って食べると
塩気が効いて
以前には感じなかった
美味しさを感じられる。
理想のパンを作るのは
至難の業だと聞いたことがある。
パンは生き物。
気温や湿度などによって
ベストな状態にするのは
難しいらしい。
食べるより生み出す、
育てる感覚を楽しんでみたい。
子供のころからなぜか
神社にお参りにいくことが多くて
親しみがある。
人生の節目には神社があった。
全国の神社を巡ってみたい。
御朱印帳も一つの楽しみ。
歩き回って体力もつくし
パワーをもらって
心も強くなる。
体力が衰えたと言っても
まだまだ動ける。
お金、時間、体力がある
60代は「黄金の時代」に
変えていける。
SNSやコーチングを続けて行く。
SNSは今はXだけだけど、
YouTubeの配信もしていく。
新しいことに挑戦するのは
不安もあるけど
ワクワクする。
新しい出会いや
対話を通じて
脳も気持ちも若返って行く。
好奇心を持って
新しいことに
挑戦し続けることが
若さを保ち、
元気に過ごす秘訣になる。
第4章:60代の「成功」とは?
成功は年代とともに変わって行く。
20代や30代は
地位や名声、収入など
目に見えて
他人と比較してしまうことに
目を奪われる。
60代にもなると
外からの評価より
内からの評価が重要になる。
自分らしく生きる、
自分を満足させる、
自分を喜ばせる。
他人への貢献を通じて
自分が生きた証を実感する。
それができることが
成功になると思う。
自分らしさとは?
よく自分らしく生きると
言われるけれど、
自分らしさって
どういうことか
言語化できてないことが多い。
私自身も
数年前までは
あまり考えたことが
なかった。
セカンドライフと
言う文字が
身近に迫ってきた時、
ふと
これからどう生きて
行けばいいのかと思う。
自分はどうしたいのか?
すぐには分からなかった。
あるブログに出会って
読み進めるうちに
「世界一やさしい
やりたいことの見つけ方」
という本があることを知り、
これだ!と思って読み進めた。
質問に答えながら
なんとなくは
分かってきたものの
しっくりこない。
確かなものを見つけたい。
そう思って
「自己理解プログラム」
というものに出会い、
3ヶ月かけて
自分と向き合った。
「好きなこと×得意なこと×大事なこと」
3つの重なることが
本当にやりたいこと。
自分らしさとは
自分の価値観を満たしながら
「好きなこと×得意なこと」を
していくこと。
私の価値観の
最上位にくるのは
「楽しさ」
ここを追求していくことが
自分らしく生きる道
だということに
ようやくたどり着いた。
私にとっての「成功」は
人生の最後の時に
「楽しい人生だった」と言って
終わること。
60代にもなってくると
どうしても残りの時間を
気にしてしまう。
でも、
最後の時のことを思い浮かべて
日々を過ごしていれば、
いつ終わってもいい。
そんな風に思えるように
なってきた。
第5章:60代で尖る覚悟
ここまで書いてきたように、
60代で尖るということは、
単に若さを取り戻すことや、
派手な自己表現をすることではない。
60代で尖るとは、
自己理解を深め、
過去の経験を活かし、
新しい挑戦に向けて踏み出すこと。
それには、
いくつかの覚悟が必要になる。
1.自分の価値観に沿って生きる覚悟
過去にとらわれず、
自分の本当にやりたいことに
正直になり、
それに向かって行動する。
たとえそれが
周囲の期待に反するものであっても、
自分の軸で生きることこそが
60代での尖り。
2.失敗を恐れない覚悟
60代の挑戦には、
リスクが伴う。
失敗は避けられないものであり、
それを受け入れることで
新たな成長が待っている。
挑戦することでしか得られない
達成感や喜びがあり、
それを味わうためには、
恐れずに一歩を踏み出す
勇気がいる。
3.他人や社会に貢献する覚悟
若い頃は
自分の成功に集中できたけれど
60代では
成功が周囲や社会にどう影響を
与えるかを考える。
次の世代に何を残すのか、
どのような形で
社会に貢献できるのかを考え、
自ら行動を起こしていく。
4.自分を受け入れる覚悟
60代は人生の「総決算」の時期。
終わりを意味するのではなく、
新しいスタート。
これまでに築いてきた
自分自身の土台をもとに、
さらに新たな自分を創り出すという
覚悟を持つ。
それが、
60代で尖るための最終的な鍵になる。
終わりに
60代で尖るということは、
年齢を超えた挑戦。
年寄りの冷や水。
そんな声も聞こえてくる。
人生の後半戦。
最後の時への
カウントダウンを
強く意識する今だからこそ
理想を追求する価値がある。
同じことをしていても
同じ結果が繰り返される。
新しい事に挑戦しないかぎり
夢は実現しない。
60代の成功は
若い頃に抱いていた
成功の定義とは違う。
社会的な評価や
外部の価値観に
縛られることなく、
これからは自分自身が
どれだけ充実感を持って
生きるかが
問われる時期。
その挑戦には、
覚悟と多くの努力が必要になる。
自分の限界を超え、
新しい自分を見つけ、
失敗を恐れずに歩んでいく力が
求められる。
60代で尖るという決意は、
単なる人生の「延長戦」ではなく、
真の意味での「第2の人生」を
スタートさせること。
これまでの人生の集大成であり、
さらなる挑戦への道。
やりたかったけれど
諦めていたことをする。
世界の大自然を見に行くのも
その一つ。
人生観も変えるような
偉大な自然を感じたい。
これからの時間を
どう生きるかは
自分の決断次第。
尖る覚悟を持って
一緒に
自分の新しい人生を
切り開いていこう。
それこそが人生を充実させ、
成功を手にするための
最善の道。
自分の人生の最期に
「ああ、楽しかった」と
思えるように
今この瞬間から
尖ることを恐れず、
挑戦し続ける覚悟を持って
進んでいこう!
早ければ早いほど
可能性は広がる。
人生は、
いつからでも
新しいスタートを
切ることができる。
私にとっては
60代こそが
その最高の時期。
最後まで読んでくださり、
ありがとうございます。
このnoteを通じて
一人でも多くの人が
勇気づけられ、
自分らしく生きる道を
進んでいかれることを
願っております。
そして、
少しでも
共感していただけたなら、
私の挑戦を応援して
いただけると幸いです。
私も挑戦している人を
応援し続けます。
2024年10月25日 だいもん。
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