【ライヴレポート】人生初ライヴをポルノグラフィティに奪ってもらった話【18thライヴサーキット「暁」@武道館】
ポルノグラフィティにハマって、というより再会してハマって、早3年の月日が流れようとしているが、今まで好きなバンドやアイドルグループがいても「ライヴに行きたい」と心の底から思ったのはポルノが初めてだった。そんな私が、ポルノに初めてを奪ってもらった話を今からしたいと思う。
2022年9月から始まった暁ツアーも、ラスト2日を残すのみとなった。新しい年が明け、25周年のキックオフがされた2023年。ここまで大きなトラブルもなく、いよいよツアー最後の地・武道館まで来た。それだけで涙が出そうになるし、まだ酒が飲める気がしてる。
なんでも、ポルノが武道館でライヴをするのは彼らにとって実に8年振りのことらしい。2023-8=2015。2015年のツアーなら、ダイキャスにあたるか。そのくらいサッと割り出せるくらいには、私もポルノのファンになっているのである。
1月23日(月)、暁ツアー武道館1日目のセットリストはこう。
悪霊少女
バトロワ・ゲームズ
カメレオン・レンズ
ネオメロドラマティック
プリズム
愛が呼ぶほうへ
クラウド
ジルダ
うたかた(アコースティックver.)
瞬く星の下で
Zombies are standing out
インタールード(スーパー晴一タイム)
証言
アゲハ蝶
ミュージック・アワー
VS
暁
〜アンコール〜
OLD VILLAGER(※新曲)
Century Lovers
ジレンマ
なんだこのセトリあたまおかしいんか。
そう思ってしまうくらいの見過ごせない曲名や注意書きがあるが、まずは落ち着こう。落ち着いて、膨大すぎるこのライヴレポを読んで頂き、参戦した人は当日を思い出しつつ読んで頂ければと思う。
なお、今回はファンでない人が誤ってここを読んでしまった場合を一切考慮しない、「人生初ライヴ&大好きなポルノグラフィティのライヴを体験した、おれによるおれのためのおれが書いた日記」という体裁なので、「この曲知らない」「それいつのツアー?」といった詳細まで懇切丁寧に書いてやりません。某音楽ナタリーとか某Real Soundとか、プロの文に一任します。餅は餅屋。
※レポといっていいのかもためらう驚異の長さなので、疲れたとかもう読めないとかつまらないとか一瞬でも思ったらブラウザを閉じてお休みください。書いた私もびっくりしてる。
はじめに
1月23日。これまた実は人生初となる武道館の地を初めて踏んだ感動を静かに噛みしめたり、ファンの集団にビビったり、フォロワーさんたちとのご挨拶等諸々を終えた、開場時間の17:30頃。「ここに並んでる人たちは皆同じ階の座席からポルノを見る……」という謎の感慨と、外気温の真冬の寒さに包まれながら、私は「2階スタンド入口」と書かれた看板の前で列に並んでいた。寒い。
列が進み消毒を済ませ、スタッフに電子チケットを表示させ、求められるままスタッフの手元に初心者丸出しの挙動でかざすと――画面上方についていたピンク色の指紋が消えた。すげえ!このための指紋マークだったのかとわかった瞬間に用済み。
これで入場済みの証明となったわけだ。もうこの瞬間から「やっぱりむりですかえる」と度を超えた緊張のせいで腰が引けて後ずさった後どうにか呼吸を整えてもう一度入場しようとしても、絶っ対にできないのだ。
今回が人生初のライヴ参戦という経験。ポルノのライヴでは何が必要かはわかっていたので、会場にはサブバッグに詰めて以下のものを持ってきた。
まずは、ポルノのライヴにおいては重要な役割も果たすツアー名あるいはバンド名ロゴ入りタオル(私がポルノに再燃して最初の単発ライヴ「REUNION」で、初めてライヴのグッズなるものを買ったものを持ってきた!当時配信参戦の私は、自宅で控えめに数回しか振っていない)。
それと、今回のツアーTシャツ(なんと彼らの故郷・因島にある折古の浜のマジックアワーが胸にプリントされている。♫夏盛り折古ノ浜♫買わない道がない!)。デザインは他にもあったが、こんなエモいプリントをするならこのTシャツしかない。
そして、連れて来てくれた友人・Aちゃんのご厚意と協力のもと、今回のグッズのミサンガ(緑と白の二色展開で、私は緑にした!)。
さらに。コロナ禍におけるポルノのライヴでけっこう活躍しているボイスストラップ(「Fu-Fu!入れてこい」って公式からも昭仁本人からもアナウンスがあったから、羞恥心と闘って入れてきた!)
以上の4点を身に着けて、いざ武道館の中へ。どう取り繕うとも私はライヴ初心者。周りは恐らく玄人集団。お、お手柔らかに……。
恐らくここがロビーだろう場を抜けて、会場の中へ。目の前に広がった光景はたくさんのファン、と、準備万端のステージ。
あっ、むり。
「ちょっ……と待ってぇ……」東京駅に着いてもメトロに乗っても武道館に着いても緊張しなかった体が、現実を目の前にした途端、早鐘のように打ち出した心臓により急に血流が良くなった。つまりド緊張の極み。入っていくAちゃんの背中に弱弱しく声をかけ、腰が引けて数歩後ずさり壁にへばりつく。セミなのか。迷惑だからやめろ。
意を決して会場内に踏み入れた時、意外に大きくない武道館会場をテーマパークよろしく見回し、思わず出た第一声が「会場内とかステージって、写真撮っちゃダメなんだっけ……」。私がどれだけテンパっているかをわかって笑ってほしい。
そうして、開演10分くらい前だったろうか。突如、ステージ裏から流れたギターの試し弾き。肩が跳ねた。隣のAちゃんの肩をぎゅいっと掴む。「ねえ、今のギター!!!晴一!!!?誰!!!?!」晴一だよ、絶対にきっときっと晴一のギターだ。何ちょっと楽しそうにワクつきながら鳴らしてるんだ。始まるもんね武道館。ライヴが始まるもんね。そうだよねワクワクするよね!
Aちゃんは苦笑しつつ頷いてくれる。優しいね。私が何もかもが初めての身でここに放り込まれた事を知ってくれている。今日から毎夜、彼女の健康を祈って眠ろう。それくらいに感謝している。
ここで、本日のメンバー及びサポートメンバーを改めて紹介しておきたい。
ポルノグラフィティ:
Vo. 岡野昭仁
G. 新藤晴一
サポートミュージシャン:
B. 山口寛雄(寛雄さん)
Dr. 玉田豊夢(豊夢さん)
Key. 皆川真人(みなちん)
G. 遠山輔(tasuku)
サポメンが続ポルの布陣じゃん。これは強いぞ。
1曲目からどうぞ
1. 悪霊少女
ホーンテッドマンションのような見た目と雰囲気をガンガンに醸す作り込まれたステージ、ホーンテッドマンションの館の主そっくりな場内アナウンスが繰り返していた「悪霊達が」で、始まる前からわかってしまった。わかってしまったが、その衝撃を受け止められるかどうかはまた別の話である。
客電が落ち、スモークの炊かれ始めたステージ。サポメンが登場し終わり、うわあ、あれは。あの人は。
晴一だ。うわ足なげぇ
あ、ということは、ああ、次、次に出てくるのは昭仁。ああ昭仁だ。昭仁が出て来た。
暗闇でもわかる、新藤晴一の足の長さ。続ポルでは「このシルエットはサポメンかメンバーか」が判別つかなかった私のザルの視認も、2階席から見ているのに手に取るようにわかった。
BGMが高まり、いよいよ始まる。会場の期待と興奮もピークだ。私は吐きそうだ。そしてステージが明るくなり、やっぱり流れ出した悪霊少女のイントロ。妖しい光に映し出されてくっきりしっかり姿を現す岡野昭仁と新藤晴一。スタンドマイクに手を添え、息を吸い込む昭仁。
想像以上にデカい音にビビるおれ、「神父は言う 少女には悪霊が憑いたのだと」CD音源では何度も何度も聴いてきた昭仁の歌声、マイクとスピーカーを通した生歌、2階席からの意外と豆粒ではない昭仁から放たれる、武道館とおれの鼓膜に響き渡る悪霊少女、「甘美な夢から逃れられない」の岡野昭仁のロングトーン、新藤晴一のギターソロ、弾いてる動き、仕草、音色……四方八方からの情報に撃たれた。体がのけぞるかと思った………実際のけぞって立っていられてなかったかもしれない。片手はAちゃんのTシャツだか肩だかを掴み、もう片方の手では、マスクをしているのにずっと口を覆っていた。もはや何に感動したのかわからないまま見る見るうちに浮かぶ涙。
間奏に入ると、ギターソロを弾く新藤晴一を間近で見たいがために、私は隣の友人の双眼鏡を借りて息を飲んで覗き込んだ。私が初めて見る新藤晴一のギターソロ、悪霊少女。双眼鏡を持つ手がちょっと震えた。間奏が終わったら双眼鏡を返す。これをこの後のライヴ中、大体10回以上は繰り返した。
そしてその後も、片手はAちゃんのTシャツだか肩だかを掴み、もう片方の手では、マスクをしているのにずっと口を覆っていた。もはや何に感動したのかわからないまま未だ溢れる涙。
悪霊少女で泣く事になると誰が想像できたろうか。思いがけず、人生の推し曲になってしまったな……。
2. バトロワ・ゲームズ
私を置いてけぼりにして、ステージ上のスクリーンに、某プレイステーションのロゴが浮かぶ。バトロワ・ゲームズのイントロは、ゲームの起動音だ。
2番Bメロ「痛み忘れさせる薬投げてよこせ」でアリーナ前方の特定のお客さんにでも言ったんかってくらいに、狙い定めて「よこせ」した岡野昭仁。サビの「ヘッショ」でまた狙い定めて「ヘッショ」した岡野昭仁。
「常にヘッショを狙われてるのってこっちじゃないのかな…」「痛み忘れさせる薬」ってポルノのライヴの事じゃないのかな……赤い目のままでもう一度起動させてしまいそうになる。ライヴアレンジとして、アウトロで「バトロワ・ゲームズ」を2回繰り返したのもよかったし、「バトロワ」が「ブアァトロワァ」発音だったのもよかった。
バトロワ・ゲームズって3分にも満たない曲なのだけれど、なぜ4分半くらい聴いた気になるのかがCD音源を聴いていてもずっとわからない。生で聴いてわかるわけがなかったし、何よりそれどころじゃなかった。爆音は相変わらず響くけれど、早くも世界観に引き込まれている私がいて、もちろんまだ、ついていくのに必死な私もいた。なにせ2曲目。
3. カメレオン・レンズ
2018年リリース当時から、その曲の強さにより数年間ずっと「カメレオン・レンズを越えるシングル曲はねえ」とファンの間で言われ続けてもいたこの曲を、わずか3曲目に持ってくるポルノの気合の入れようをおわかりいただけるだろうか。
特徴的なイントロが流れた瞬間、小さく声を上げかけた。もうここでそれやるの?このあと10何曲分、一体どんなセトリになってるんだこわいかえりたくない。
背後で光るスクエアのLED、確かREUNIONでは丸だったんだよな。また趣が変わるなあ。
サビ明けから次のAメロに入るまで軽やかにステップを踏む岡野昭仁が確かいたのだが、あれが好きでな……カメレオン・レンズはそんなノリノリな曲じゃないし、何なら艶っぽく、そして思いの丈を哀しく歌い上げる曲だろうに、要所要所でステップ踏む岡野昭仁が好きだな……マイナー調の曲ってこういところがあるのかな。
2番Aメロ「色を失くし泣いてるの?」の後に鳴る音、CD音源では破裂したみたいな音だけなんだけれど、それがまた切なくて苦しくて大好きで、ライヴではどうなるのかなそのまま流されるのかなと期待して待っていたら、アレンジされた音だったのがとても良かった。胸かきむしられる。
間奏のギターソロを震えて聴き、間奏明ける間際、「くるぞ…くるぞ…」と立ちながら身構えた。いっそエロチックなギターソロから、胸が苦しくなる大サビの昭仁の歌との掛け合いのようなギターメロディー、そして「かぁなァ〜〜〜〜」の歌声を生で聴いたら、狂おしさにこの身を焼かれて塵となり果ててしまう……………。
バトロワ・ゲームズのキャッチ―な、それでいて挑発的な「若い」曲が終わったと思ったらアダルティーな大人の二人の世界。MVは大人向けとも言われた(※ファンの間で、である)独特な世界観に、ステージ演出とバンドサウンドと岡野昭仁の歌声と新藤晴一のギターだけで作り変える。見事がすぎる。
ちょっとMC
初めてマイクを通した生声の昭仁の第一声を聞いた時は「あ、あぁ、昭仁だぁ……!カワイイ…!」なんてちょっとまた感動しちゃったのに、晴一の番になったら、わかっていたのにその場でズッコけるくらいカワイイ第一声だったから思わず、もうすぐ50になる初老男性(※現実)に向かって「なんっ……カワイイな…」と素で声が漏れた。ステージ上の新藤晴一、MCでさえ若返る。
ていうか、この日の晴一ずっとカワイかったな。どうかしてる。
4. ネオメロドラマティック
昭仁「アルバムの曲はこのあと聴いてもらうので、ここからはポルノ24年分の歴史の曲を聴いて爆上げしていこうかなって」
「へ〜何くるんだろ(心臓早鐘)」って思ってたらCD音源で聴いても「キタキタキタ〜〜ッ!」と心が跳ねるあのイントロ、晴一のギターがネオメロだもの。あのイントロで悲鳴だよ。
いやもう「私でよければ…!!」感がスゴイ。
晴一のギターソロだって、CD音源でもライヴ映像でも聴いてきていたのに、このかっこよさ言葉にできない。
もうね、昭仁が\ワイ!/とか\イェイ!/とか煽るから、「わ、私も…!」と思ってみんなと一緒に飛び跳ねたかったんだけれどね、ここでスタンド側2階席という悔しさを感じたよ。
武道館、意外とけっこう傾斜があって狭いから、落ちそうでちょっとしか跳ねられなかったんだよね。ネオメロだけじゃない、例えばミュージック・アワーとかハネウマとかジレンマとかセンラバとか、そういう飛び跳ねる曲は安全な平地で飛び跳ねたい。次こそ足くじいてもいいし、なんなら折れてもいい。骨を折らせてくれ(※物理)。
5. プリズム
「ポン♪ピン♪パン♪なんてイントロの曲、ポルノにあったっけ?」
これはネオメロが終わりハァハァしていた私が、アレンジされたプリズムのイントロを耳にして最初に思った事だった。武道館3日後の私から23日の私へ。その1秒後に耳を疑うぞ。
弾けるような、空から降って足元へ辿り着いた夢の雫のような、そんなメロディーがプリズムのイントロだとわかった瞬間――つまりこれから歌う曲がポルノのライヴにおいて、この曲がリリースされた4年間一度も披露されなかったプリズムであるとわかった瞬間、私とAちゃんはほぼ同時に顔を見合わせた。その時の彼女の表情をよく覚えている。例えマスクから隠れて目だけしか見えてなくても、目は時に何よりも雄弁に語るパーツだという事を私は知っている。
だって、プ、プ、プリズムだぞ。まさかそんなにも程がある。イントロ中、顔を寄せてAちゃんは言った。「セトリ変わった………!!!」。
ついでに言うと衣装も変わっているらしい。右隣のおねえさんは、目を丸くしたまま口を覆っていた。サビになっても2番になってもたぶんずっと覆いっぱなしだった。だがしかし彼女はもちろん、勢いよく右手を突き上げリズムに乗る事も忘れなかった。恐らくあれは泣きながら……そりゃそうっすわ………プリズムだもん…………。
昭仁を照らす、七色の虹のような照明たち。間奏のギターソロはどこまでも続く青空を駆けてゆくようなすがすがしさと、もう迷わない勇気を抱いたメロディーだ。
遡る事4年前の2019年、20周年の節目に出されたシングル「VS」のカップリング曲だった「岡野昭仁およびポルノグラフィティからスタッフやファンの皆様への感謝」を込めて書かれたプリズムが、その歌詞から目前の20周年の東京ドームでやりそうな雰囲気をバンバンに出していたプリズムが、25周年を目の前にした2023年の今、8年振りとなった武道館の地で披露されたこの驚き。そして少しの戸惑いと、じわじわと胸に沁み渡る嬉しさ。
そうか、昭仁にとっては、彼らにとってはここだったんだな。
20周年のタイミングではなく、今ここで、武道館で、ラブレターを渾身の笑顔と歌力で届けられてしまった。この愛と決意表明、胸に抱きしめるにはあまりにも大きすぎる。
余談だが、初ライヴを体験中のおれ。プリズムはリズムのせいか、サビをつい裏拍で取って右手を突き上げてしまっていた。周りを見て「あ、みんな表でやってますね……」とそっと軌道修正をしたのも、ちょっとはずかしくて、いい思い出になっている。
6. 愛が呼ぶほうへ
この曲が流れれば、身を任せて最後まで聴けばいい。改めて歌詞の力に驚きながら、曲に身を委ねればいいと会場で感じられた。
「ポルノといえば」と聞かれたファン以外の人が、恐らく5番目くらいに挙げる曲をここに入れてきた。しかしこの曲って、ベスト盤に入る彼らの代表曲でもあるんだよな。ライヴでは定番といってもいいような曲なのだが、この曲がポルノとファンの間でどれほどの年月をかけて「大切な曲」になったのかの過程も感じたかった。だがそれをすっ飛ばして今からファンになって聴いても肌でわかる「名歌詞」と「名曲」……プリズムの次に愛が呼ぶほうへを歌う、これはもう、これでハッピーエンドじゃなくてハッピーコンティニュー(?)。
聴いていて思ったのだが、昭仁の歌は年々上手くなってきているというより(もちろんそれはある)、歌うたびに歌声に深みと優しさが増している気がする。それが例えば、愛が呼ぶほうへなどのミディアムバラードによく表れる。ごまかしが利かない曲だからね。
7. ナンバー
「ここからはアルバムの曲を」と昭仁が語った通り、MCを挟んで次の世界は、アルバム暁の曲。
まずはナンバー。ステージ上のスクリーンに映る、夜の高速道路。見覚えのあるロードムービー……おいちょっと待て、まさか例のVisual Album暁のMVからそのまま持ってきたのか。後日公式チャンネルで証言と悪霊少女以外のMVは観ていたが、「これをライヴに持ってこられると…」と思ったら一抹の不安がよぎってしまった。彼らの挑戦は受け止めたいけれど、それはそれとして、個人の好みというものはある。終わりまで一切人物が登場せず、看板や標識などの抽象的な数字だけをセレクトしてきたのは超個人的ながら納得の出来だ。
続ポルでは新曲として披露されたばかりで、リリースされる気満々の「ナンバー(仮)」というタイトルだった。どこか不思議の国のアリスを感じさせるような、のどかだけれど緩やかに自身を見失いかけ、存在意義を問いかけたくなるような、けれど混ぜ合い溶け切らず、「自分」というものを自然に委ねて行く――というような曲を(仮)で出しておいて、そこからわずか8ヶ月後。(仮)の取れたアルバム曲として収録されると所々歌詞が変わっており、「ジェリービーンズ」なんて急にポップにされた時には、歌詞が変わる事はわかってはいたはずなのに聴きながらひっくり返ってしまった曲だ。
正式にライヴ曲として組み込まれて初のライヴ披露になる。メビウスもそうなのだが、時の流れが光陰矢の如し。
バトロワ・ゲームズやネオメロやプ、プリズム(未だどもることを許してほしい)を歌ってきて7曲目。珍しくと言えばいいのか、ここで昭仁の声は少し掠れ始めた。
8. クラウド
聴いた人にどこか遠く懐かしい過去を思い起こさせるようなイントロ。
クラウドは、言ってみれば普通の事しか歌っていないのになぜか「こんな恋愛と失恋、した事がある」と少しの痛みを以て思い出させるに十分な、ポルノにも全く新しい恋愛ソングかもしれない。2サビの「ひとつずつ消える 歴史というか 名残というか 不意に涙」なんて、歌詞じゃなくてもはや詩みたいだとも思ってしまう。
カメレオン・レンズやネオメロやプリズムを歌ってきて、この音域3つ以上のクラウドを持ってくる8曲目。クラウド、改めて音域広すぎるだろ。「ツアーのセトリのうちどこで歌っても昭仁の喉しぬぞ」と思っていたけれど、なめし続けて約30年、化け物ボーカリストの岡野昭仁の喉は青筋を立てつつも伸びやかに歌い上げる。基本的に全力歌唱で、それでいてあんなに綺麗に出る高音や外れないファルセットを出すボーカルを、恐らく他に知らない。
9. ジルダ
ジルダのイントロって、CD音源だとバルの店内の程よい喧騒から魔法にかけられたようなシャラララ〜ンが流れて「夕方のバルは賑やかな盛り」って昭仁がメロウに囁いてくる、そんなイントロだったよね?
ライヴアレンジの素晴らしさ。このイントロで、いつもより長めの魔法がかかったかもしれない。
スクリーンに映るMVにサポメンの出演が追加されたのは既出MVにはなかったシーン。寛雄さん→tasukuさん→みなちんさん→豊夢さんの順で流れていた。こうした、ライヴ限定仕様も嬉しいサプライズだ。メンバーが出演しているからという安易な理由だけでなく、こういうMVは大歓迎なんだ。
もう一度観たかった「I love you」で同じフレーズを口ずさむ新藤晴一が、生のライヴ会場で観れた事もちょっと嬉しい。
「音域広すぎ失恋ソング」のクラウドに気を取られ、実はジルダにもあった鬼畜ファルセットによって、さすがに掠れてゆく岡野昭仁の歌声。
ジルダの、きっと私しかそう呼んでいないであろう「メルティ―なギターソロ」はCD音源でも好き所なんだけれど、ライヴだとより一層メルティ―に響いていてもっと溶けそうになった。
新藤晴一の指先って、何よりも魔法を生み出すんだなって思っちゃったな。絶対大事にして。
10. うたかた(アコースティックver.)
メロウでオシャンなラブソングを終えて、ステージが暗転した時、私の座席からは袖から出てきた数人のスタッフが、椅子を持って中央に2脚、置いていった。ここでピンときたのは、続ポルにおいてサウダージとミステーロをアコースティックver.で披露したから。
はは〜ん、次もアコースティックver.だな?
このツアーで引っさげているアルバム暁(約5年振り・昨年夏リリース・15曲中9曲が新曲という3コンボ)の初回盤に収録されている、「これまでライヴで一度もやったことがない曲」を3曲映像収録したディスクである通称「稀・ポルノグラフィティ」は、確かにあった。アルバムの威力がデカすぎてこの日も忘却の彼方だったけど。
その「稀ポルノグラフィティみたいなことをやったんじゃけども」と、プリズムの初披露後にニコニコしながら話す岡野昭仁。「みたいなことをやったんじゃけども」じゃないのよ。
以下、MC中の岡野昭仁への私の心中のツッコミをご覧ください。
情緒を右往左往させるな。頼むから。こっちゃ人生初のライヴを絶賛体験中なんだ。
念のため、隣のAちゃんの顔を覗き込み「まほろば…?」と囁いてみたが、彼女は過去の公演に参戦済みのためセトリを知ってここにいる。その彼女の反応的に、「まほろばではない」とわかって安心したはいいものの、じゃあ何をやるんだという恐怖が今度は襲ってきた。
みなちんさんの、紙に色を落とすような優しいピアノの音色が流れ、昭仁の歌が乗る。いやいやいや……うたかたかよ!!!!!!
うたかたをアコースティックバージョンでやるとひとっつも思わずで(うたかたをやるとすらも思ってなかった。当たり前だ)、この新鮮味はアコースティックバージョンだからなのか14年振りに歌うからなのか、私が初めてライヴに参戦して初めて生歌を耳にするからなのか、もうわからんです。うたかた大好きなんだよな。歌詞から「岡野昭仁」という漂いがある。
CD音源では二湖が使われているうたかた、このライヴアレンジではみなちんさんのピアノの音色や晴一やtasukuさんのアコースティックギターなどが、また別のうたかたを奏でた。原曲もテンポはそんなに早くはないが、演奏する楽器の違いやまた少しテンポを落としたアレンジになると聴きどころもまた変わってくる。
14年分のブランクを物ともせず、堂々と武道館の地に現れた。
曲紹介中、「座ってもらうけど、みんなならきっと立ち上がるタイミングがどこだかわかってくれる」と昭仁は言っていた。ファンに全幅の信頼を置く昭仁の発言だったが、私自身、本当にそのタイミングがわかると思わなかった。豊夢さんのカウントがあったのもあるが、それにしたってである。隣のAちゃんや反対隣りのおねえさん、下方のお客さんたちの様子を伺う間でもなかった。音がもう「ここだよ」って言ってたもんな。
あれは感動した。まだ思い出せる。
11. 瞬く星の下で
まさかの「14年はやっていなかった」うたかたから、「また2曲続けてアコースティックver.だろうか、何をやるんだろう。サウダージかな!?」とぼんやり予想していた私を、静かに笑って裏切るギターのアルペジオ。暗闇の中から、スタンドマイクの前に立ちギターを手にした岡野昭仁が浮かび上がる。えっ、何でまだギター持ってるの。
そうして昭仁が歌い出した頭サビを聴いて、思わず口を覆った。……嘘でしょう、これやってくれるの!?
頭サビを歌い出す岡野昭仁の、いや、この曲の詞を書いたのは新藤晴一で……と認識した途端、歓喜に息を呑んだ。青に抑えられた照明の中、ただ一筋、昭仁の上方から差す赤い光。瞬く星の下で。
1番のサビに差し掛かると、ギターだけでなく他楽器の演奏も加わった。まるで、何もない夜空に星空が瞬きだしたかのような浮かび上がりだった。そしてサビ終わり、「世界がわずかに輝く」ここでステージ上のスクリーンに、星がひとつ流れていった。
昭仁の歌声に静まり返っていた会場内が、豊夢さんのドラムスティックのカウントによって目が覚めたように手拍子をし出す。テンポが変わり、サポメンたちのバンドサウンドが加わったら、もういつもの瞬く星の下でだ。しかしひとつ違うのは、このステージのみの世界だという事。
当然、CD音源の前へ押すような疾走感とも違う。1番が終わるまでがアコースティックギターと昭仁の歌声という、ほぼシンプルな作りだけで会場を引き込み、2番に入る頃にパッと世界が開ける。これは確か、続ポルの元素Lと同じか近い構成かもしれない。元素Lはミディアムバラードだったし、瞬く星の下ではラブソングではないのだが、昭仁の歌声と晴一のギターでまるで腕を取り導かれているように感じた。押しつけがましくなく、膝をついても自らの力を信じてくれる彼らは、時々こうして彼らのほうから腕を取ってくれるように感じる歌がある。
瞬く星の下での主人公は、広大な孤独に折れそうになりながらも幸せや変化を待つよりも自ら立ち上がり、手を伸ばし、空を見上げ走り出す。
この、世界観の切り替わりのスムーズさと観客の手拍子。本当に泣きそうになった。
リリースされた2013年当時は、アニメの主題歌としてタイアップされた楽曲だ。しかし曲の持つメッセージ自体は、この時代の私たちに今改めて響く。
私はこの曲が好きだ。知ったのは2020年なのだが、生で聴ける日がいつか万が一来るとしても、通常のライヴ演奏で歌ってくれるのだろうと思っていた。まさか弾き語りとはね。やってくれる。右腕を前方に突き上げ続けて感覚がない。
流れ星が流れたスクリーンはいつのまにか星の瞬きが映る窓になり、私たちはきっと同じ夜空を見上げていたのだ。
12. Zombies are standing out
しっとりと、しかし力強く終えた瞬く星の下で。照明がついたステージの上で、少し息の上がった昭仁が「皆さんが、生ける屍となる時間がやってまいりました」と会場に語り掛ける。
生ける屍。この言葉で実はやっと、「ここがおれの墓場」になる事を思い出せた。このいちいち濃いセトリのせいで、そして初めてのライヴ環境のせいで完全にゾンビをやることを忘れてしまっていたわけだが、一体そんな私を誰が責められようか。
ゾォオンビイィズアァ……スタァンディングアァ……
デデデレデレデレ デデデレデレデレ
クラアァイングアァ……スタァンディングアァ……
デデデデレデレデレ ピイィイアアーーーーーーーー
ゾォオンビイィズアァッ
昭仁「Zombies are 、
crying out!!!!!!」
火柱ァ!!!????!!!!!!
2階席奥にいる一人のファンの必死の懇願なんぞいっそ優しくフルシカトし無慈悲に始まるゾンビのイントロ、容易く覚悟の決まった観客の手拍子、壁際に追い詰める晴一のギターリフ、サビの昭仁の爆発、そして、そう、火!!!!!!!
1階席やアリーナ席が、燃えた。いやきっと武道館も燃えた。炎に照らされ、唖然としている観客の表情が見えるようだ。実際は頭と、それこそ豆粒大の反対側にいる観客の顔は朧げにしか見えないけれど。アリーナ席にいた人達、熱かったろうな。いいな。
頭サビを終えた瞬間出てきた、上下でトルネードする真っ赤なライト。私はこのトルネードライトを「変態照明」とこっそり呼んでいるのだが、これ、アンフェで観たゾンビに似てる。
Zombies are standing out――忘れもしない2022年9月5日、TBS系の某音楽番組にて、配信リリースから実に4年の時を経て初めてお披露目された、近年のポルノグラフィティにおける「異常にデカい隠し玉」ともいえる脳幹ブチ抜きロックなわけだけれど、初めて地上波で、しかもフル尺でやったもんだから「今のポルノってこんなかっこいい曲作ったの!?いつ出したの!?」「めちゃくちゃかっこいい!何の主題歌?」と最近のポルノを知らない人たちからの絶賛の声が非常に多かった事は記憶に新しい。それ、2018年に出たんだぜ。いつまでも新人気分でいられても困るんだよゾンビくんよ。
と、記憶には新しいが、23日の武道館にいてまさに生で浴びてる私にはこれらの記憶はミリとも呼び起こされない。
文字通りそれどころじゃない。ゾンビのどのメロも歌詞もパートも捨てるところがないので、祈るようにこの曲を浴びた記憶はある。自分の全身の細胞が意思を持ち、狂いだしたかのよう。なんっで声出し厳禁なんだほんとコロナの野郎てめえ首洗って待ってろ。
後にAちゃんも興奮気味にこう語っていた。
Aちゃん「ホール公演のときは火の演出はなかったの!!武道館だからだよ!!!」
この時ほど2階席の奥の座席でよかったと実感した時はないかもしれない。元々、「どの席でもいい…!初めてなんだから、おれの情緒が持つ場所ならどこでも……!」と思っていたが、武道館の2階席は最高かもしれない。
何といってもステージの演出は見渡せるし、アリーナ席の皆さんが続々しんでいったのも見れたし……。右腕を狂ったように振り上げ突き出し、リズムに乗り炎に焼かれ、死と再生を繰り返し救いを求め続ける生ける屍達。壮絶な光景だった。
ゾンビが終わってから、後ろの立ち見の柵に手を伸ばして片腕ついてゼェゼェして言葉にならない言葉を発していたのはこの私です。立ち見の方、本当にその節はご迷惑をおかけしました。
13. メビウス
立見席の方達には相当に迷惑だっただろうが、未だ柵に片腕をついて、のけぞりたくても、もたれかかりたくても、どうにもできない半端な体勢のまま呼吸を整えていた私の、耳に届くメビウスのイントロ。時間は止まってくれない。息をつかせてくれ。立ってるけど立てないんだまだ。
「ころしておいてまたころすのか……!?」とうつむいたまま心中で呻いた記憶がある。「ああメビウスだ、ゾンビの次がメビウスだ、メビウスなのか、ゾンビときてメビウスなのか」立ち見席の方達、その節は本当に以下略。
ステージのスクリーンに映る、白銀のメビウスの輪。太く輝きうねりながら漂う映像は、言ってしまえばそれだけだった。それだけがゆえに、狂気とこの曲に確かに存在する愛の形を否応にも感じる。
というかですね、武道館メビウスに関しましては少し苦情を申し上げたい。どえらい音響狂ってませんでした?
楽器の音が異常にでかくて、昭仁の声が消されかけるくらいだった。歌と音のズレも起きていたように思う。これは完全に音響調整ミスではなかったのだろうか。大好きな曲なのに苦行の時間だった……なんて誤算だ…………。ライヴ用の耳栓も頂いたからそれ使えばって話だろうけど、そんな暇もなく……というか忘れてきたので(テヘペロ)、急遽REUNIONタオルで耳を少し塞いで聴くしかなかった。円盤化するんだからその時に調整されていてはほしい。
とはいえ、続ポルで初披露されたメビウス(仮)の時より、(仮)の取れたCD音源より、この暁ツアーのラストを飾る武道館2Daysの、1日目で歌われたメビウスが恐らく一番、強かったと思う。岡野昭仁の喉がとか、新藤晴一のギターがとか、それ以前に曲が強かった。(仮)の時にその歌詞の異様さと、別方向に「今までにないポルノ」を表した様に物議を醸し、のちに昭仁本人が「Twitterがざわついとったねえ」と無垢な笑みを浮かべて語ってファンを凍り付かせたあの日を思い出す。本人のその発言に「なにわろてんねん」と私は思った。みんなも思った。
仮歌詞では「Wasted Love」が「わかってんだ」に変更されたのはわりとけっこう長く引きずったけれど、この「わかってんだ」のリフレインがやるせなさを醸しすぎている。正直、仮歌詞のほうが衝撃的すぎて……。例えるなら「春のまどろみの中でいつのまにかあなたを殺してわたしも死ぬメンヘラ」だったメビウス(仮)が、本ツアーでは昭仁の歌の力も相まって「冬の山中で五感をゆるやかに確実に破壊されながらどのルートを辿っても必ず心中をキメるメンヘラ」に化けていた。おわかり頂けますか。
いやもう、本当に。音デカすぎたくらいの記憶しかない。口惜しいったらない。舌噛んでしにそう。
インタールード(スーパー晴一タイム)
メビウスの、ライヴアレンジなのか晴一のギターが不穏なアウトロを残し終わり、次の曲までわりと長い間があった。MCかな?と首を傾げた私を、「そうじゃないよ」と教えてくれる会場の空気。
実は寛雄さんのそばに置かれていた、コントラバスが出す不穏な軋み。「何が始まるの……瞳の奥を覗かせて?えっ、まさか」と震え、みなちんさんのアコーディオンで「サウダージでも始まる…?いにしえの名曲を聴けてしまうのここで」とまた震え、曲の検討をつけていたらまさかのインスト曲だった事を、新藤晴一のソロタイムだった事を知った時の衝撃を誰かわかってもらいたい。
ここから曲調が変わる。たぶん木琴の小さなリズムが小人たちの足音のように。2階席から見ると、ステージの床を水玉に交互に照らしていく、色とりどりの照明がカラフルで可愛らしい。ドラムもリズムよく打ち鳴らされ、どことなく「上から見ると照明がツイスターみたいだな」と感じる程には、まだ楽しい気分を感じる余白はあった。
すると、唐突に世界が大きく暗闇に包まれる。曲調の変化によって、それまでと大きく舞台を変えた。
満を持して新藤晴一のソロなのだが、私個人はやや悪魔的といえばいいのか、とにかく大きな印象を受けた。壮大な、例えば南極とも宇宙ともつかない美しさと、掴み切れない幾分かの恐怖。現実に押し寄せる感情のようで、現実には存在し得ないような感覚。音に飲み込まれ、作られていく世界に引き込まれていく。
大勢の妖精達が一斉に歌うかのようなコール、そこを切り裂く新藤晴一のチョーキング(というらしい)は、救いのようでもあり、再び嵐を呼ぶようでもある。「もしかしてTrulyか?」と思った私を許してほしい。「とぅるり〜」なんてかわいらしいもんじゃなかった。
同時に何となくではあるが、続ポルの、鉄槌でのギターソロをふと思い起こさせた。「私が現地組だったら座席シートに張り付いて動けなくなってる。なんで立ち上がって帰れる?」(※当時の私の談)と、あまりの威力に腰が抜けんばかりだった、あの鉄槌に。だが全然違う。あれはギターソロ、これはインタールード。ここはずっと新藤晴一の独壇場だった。双眼鏡で覗く暇も惜しい。目に焼き付けて焼き付けて、彼の作る世界に真っ逆さまに落ちていく。
まさにミュージカル的といおうか。コントラバスやアコーディオンや木琴(たぶん)、エレキギターやキーボード、そういった楽器までもが感情を持ち、声を出して訴えかけてくる。
自分の中の、魂という場所すら生易しい、意識すらしていないもっと奥のほうをグラグラと揺り起こされるような……巨大で、荘厳で、音が意思を持ち羽ばたくような。さすが、今夏に東京は明治座、大阪は新歌舞伎座で自身初となるオリジナルミュージカルを上演する男じゃん…………。
俗にいう「スーパー晴一タイム」なのだが、それはそれとして、リーフレットの表記にも見当たらないので「なぜだ」と憤慨した。本当になぜ。
そして同時に、スーパー晴一タイムは「岡野昭仁のトイレタイムおよび喉に注射を打ってくるタイム」でもある。前半の信ぴょう性はあるが、後半は完全に妄想である。だがしかし、あながち妄想とも言い切れない事が、この後わかってくる。
14. 証言
なるほどこういう繋がりになるのか。そうか、ついにきてしまったんだな。ポルノグラフィティの、最新にして至高のラブソングがここで。
インタールード(スーパー晴一タイム)が終わり、昭仁がトイレ等から戻ってくる。ギターのアルペジオが奏でるイントロが流れ始め、……イントロが流れ始め???待ってくれ、証言にイントロってないよな????
それが「証言だ」とわかってしまった瞬間、私は心の底から覚悟を決めた。「証言を生で浴びたら魂が飛んでしまう」などとのたまっていたわりには、証言の存在をうっかり忘れていた程にセトリの一曲一曲が私にとって濃すぎるんだ。
ステージ上のスクリーンは大きく広がった、ように見えた。映し出された映像は黒いカーテンのような幕。それが開き、「SHOGEN」と赤い文字で曲タイトルが映った。森の枯れ枝、季節すら消えたようなモノクロカラー、黒い翼を持っているかもしれないと思わせる悪魔のような手、冷たさを肌で感じるような風――まるで一枚絵のように開いた映像が、会場をその世界へと誘う。
間奏に差し掛かったところで、森が燃え始めたと思う。モノクロの中に生じた橙の炎。この曲のギターソロは必聴だ。まるで泣いているかのような、泣かずとも涙の膜を張りながら願いを込めた眼差しで星を探しているような、孤独を感じ尽くし痛みを抱えたまま、壊された愛の躯を抱えたまま、それでも信じる「希望」を歌うような、晴一のギターソロ。
証言は、アルバムの詳細が発表されてカフェイレで初めて流された際、誤解を恐れずに言うとCD音源だというのに涙してしまった、個人的に早くも思い入れの強い一曲なのだ。それがライヴで、生で聴けてしまえば圧巻としか言えない。言葉などいらない。
証言を作る際、作曲した岡野昭仁は言った、「歌の神様が歌っているようなイメージで歌った」と。
作詞した新藤晴一は言った、「歌詞の世界観は曲調から。愛が全部を覆すって、ミュージカルでしょ」と。大意だけれど。そして、自身のラジオで晴一はこうも言っていた。
当時のカフェイレを聴いて思った事をもう一度言うぞ、なぁにが手前味噌だ新藤晴一。こんな曲を作っておいて。頼むから己を誇れもっと。
個人的に、証言は作詞した新藤晴一の書くラブソングとしてもはやこれ以上のものはないのではないか、と思う程の曲だ。こんなものを今出して大丈夫か、このあとも続くポルノグラフィティの活動があるのに、早まってしまったのではないか。そうやってむしろこちらが血迷う程に、完璧な歌詞だと思ってしまった。新藤晴一、出し切ってはいまいね……。
イントロがついた事により、この曲の持つ色とメッセージとが、もともと強くあったものからさらに具現化され目の前に現れたようだった。まさに、曲が立体的にそこにいた。歌の神様どころか、確かにステージ上に存在していたものがあった。5分程のこの曲に内包される物語。再生へと帰結するためには「愛は壊されないといけなかった」。その喪失の痛みから始まり、究極の愛のひとつの形を描く。
これはライヴじゃない、舞台だ。
CD音源の証言はイントロという助走がなくAメロから急に入るはずなのに、暁ツアーでイントロをつけようと最初に口に出したのはどなたでしょうか。新藤晴一でしょうか。あなたまたそういうことしたんですか。
15. アゲハ蝶
アゲハ蝶は歌詞のどこを切り取っても名曲なのだが、サビに「愛されたいと願ってしまった 世界が表情を変えた」という詞がある。
いや、証言からアゲハ蝶は世界変わりすぎだろ。
だがこれにより、より希望の近くへと引き上げる。これがポルノグラフィティのライヴである。
頭サビが終わり、Aメロに入るまでの間にクラップがある。このクラップのリズム、ちょっとしたトラップだった。
途中、指示アリの手拍子も、「8拍子続けんのちょっときついけど」って思っただけで、手のひらの痛みなんて感じなかった。どっちかっていうと、腕のほうが痛い。だけど、本当に、とっても楽しかったのだ。
「ここからは自由に!」と昭仁が促せば、「自由にったって、声も出せないしラララも歌えない、じゃあ何をするか。ラララのリズムで腕を左右にワイパーするじゃないか!」これが一瞬で会場中から聞こえるような空気感だった。声は出せなくても、こんなにも楽しい。
3年前のREUNION。そこでは晴一が「我々は拍手にも魂を込めれる」と語って、この曲が始まっていた。その当時は自宅から配信で参戦していた私は、しかしリズムを未だ掴み切れず、しかもどこか恥ずかし気にしてしまった。おれのばか。
ところがなんという事でしょう、これが現地参戦の力。人生初のライヴ兼ポルノのライヴ初参戦の私でも、とても自然にクラップを揃えられた。REUNIONではうまくいかなかったクラップを、「いつかやりたい」と思っていたクラップを、隣や周りのファンの動きどころか呼吸とタイミングで揃えられた。太鼓の達人なら「フルコンボだドン!」くらい言われてもおかしくない。何回かちょっとミスったけれど。
でも、3年前に比べれば及第点のはず。私にもいつの間にか、アゲハ蝶のクラップがDNAに組み込まれていたのかもしれない。
たぶんこのあたりで晴一は、衣装のアウターを脱いでいた。それに気づいた私は、隣のAちゃんの肩を叩いて耳元で尋ねてみる。
私「晴一、脱いでるね!」
Aちゃん「???」
爆音の中で聞こえるはずもなかったな!
16. ミュージック・アワー
アゲハ蝶のやや夏を感じる空気から、そのまま夏真っ盛りのウェーブを感じるイントロ。しかしこの時点でも、何の曲をやるのか私にはわからない。流れ的に、アレなんだろうけど………。すると昭仁が叫んだ。
昭仁「あか!つき!武道館からFunky Time!」
「いや、ダッサイな!」と思わず笑ってしまった。このダサさを差し置いて、なぜ「Fu-Fu!」をダサい認定するのか皆目わからない。でも楽しい。ダサいけど楽しいんだ、ミュージック・アワーは。
サポメンたちのソロ回しが、寛雄さんから始まる。昭仁が一人ずつ名前を呼び、それに応えるように実に楽しそうに回していくサポメンたち。この、ワクワク感が高まっていく中で、まさかtasukuさんのターンで、颯爽とステージ中央に走り出し、同じく出てきた晴一と向かい合ってセッションし出すなんてよ!!アツイぜ!!!!
そしていよいよ「新藤!晴一ィ!」と昭仁が高らかに叫ぶと、晴一のソロ回し。言葉にするまでもなくかっこよく華麗にキマれば、また私にとっては聴き慣れないイントロが流れ出したが、スクリーンに大きく映し出された文字に目を見張り、同時に心躍った。
ああ〜〜っそうか!ミュージック・アワーだ!
ミュージック・アワーは当時のエライ人から「フリをつけなさい」と言われ渋々メンバーがつけたのが「変な踊り」なんだったよな。「恋するウサギ♡ちゃん」のウサ耳ポーズもお客さん達にやってもらいたくなかった――というような内容の、ファンのブログなどを見た事がある。当時の彼らは文字通りのロックを目指していたし、若さもあったのだろう。それを不意に思い出した私は「やっていいのかな…ウサギちゃん……」と恐る恐る控えめに顔の横でやってみたものだ。
それがなんという事でしょう(2回目)、ボーカルが率先してやってたなんて。ほんとにこの目で見たかった。やっと実感してきた楽しさにそれどころじゃなかったんだ。ツアー前のカフェイレで、晴一自ら頭文字を暴露して「やるよ!」と言っていた事も、レポを書きながら思い出したが私がやっと「楽しい!めっちゃ楽しい!!」と心から実感できたのは、このミュージック・アワーからであった。いろんな「初」が入り乱れすぎればそりゃこんな終盤にもなる。
たあぁのしいいよおおおめっちゃ飛びたい!祭りの囃子みたいに昭仁が煽ってくれてるのに全然飛べない!!おのれ武道館2階席!!!次に会ったらその床沈ませてやる!!!!
でも隣のおねえさんめっちゃ飛んでたんだよな。何が違うんだ、体幹???熱い心???
17. VS
熱に包まれた盛り上がった会場を、次の熱へと連れて行く。VSのピアノイントロの音色が、美しく響いた。アルバムでも一番最後のトラックに収録される、20周年の節目に出されたシングル。
VSは、やっぱりこのロゴなんだなと確信した。
彼らにとっても、神神からずっと続いてるんだ。2019年の20周年東京ドームライヴはそれほど特別だったのだ。この先も、彼らは続けてくれる。
そう改めて感じられた時間だった。
20周年の東京ドームには私はいなかった事を、何度か寂しく思う事は今もある。
どころか、2019年にポルノがデビュー20周年を迎えた事も知らなかったし、ワイドショーやエンタメコーナーでバンバン取り上げてもらっていただろうに、1ミリも視界に入ってすらいなかった。率直に言って興味がなかったのだ。別のアイドルにご執心で、その別のアイドルがデビュー20周年だったものでね…………同い年なんだな、ポルノと嵐は。
あと個人的に、この晴一が生で見られた事が本当に嬉しかった。かっこいいったらないなホントにこの男は。
これは余談と言ってもいいんだけれど、VSが始まってサビに差し掛かる頃までだったか、私は喉の渇きに負けた。
高まる興奮によって生じる熱気。水分は必須の環境だった。それはわかっていたけれども、「どこで飲めばいいんだ」。繰り返すが初めてのライヴ初めてのポルノという私は、喉の渇きを覚えても水を飲むタイミングを逃し続けた限界がここできた。
昭仁、晴一、サポメンのみなさん、そしてここにいるファンのみんな。本当にゴメン………と前屈みたいな姿勢で自分の荷物を探りペットボトルを手にしようとしたものの。見つからない。地味に暗くてどこにあるかわからない。
それを2回ほど繰り返した結果、初のポルノであるというのに30秒〜1分程全く前を見なかった時間が発生してしまったのである。この、VSで。悪霊少女やナンバーやメビウスや証言やゾンビや、うたかたや瞬く星の下で、プリズム、全ての悲喜こもごもを抱えてきらめきに変えるこの曲で、私はまさかの給水タイム。
ポルノからちょっと目を離しちゃったんだよ。本当に悔い改める。
18. テーマソング
アウトロから間を置かず、豊夢さんのドラムが力強い鼓動のようなリズムを刻む。テーマソングだ。
この曲がリリースされた年のツアーは続ポルだったけれど、テーマソングの曲紹介で昭仁はこのように客席と配信組に呼びかけた。
続ポルから1年。未だ声出しは解禁されず、ボディと熱い想いで届けられるものがあるという希望。続ポルに続き、「絶対に成功させる」という努力と、同じ方向を向き続ける強さ。これが本ツアーを完走した一因だと思った。暁ツアーに携わった全ての人に、特大の感謝を送りたい。
この、わかりやすい安易な言葉では書かれていない応援歌。晴一が書く、「らしくない応援歌」でもあるが、ラスサビ「This is all my life」で振り絞るように、全身から届けるように歌う昭仁が印象的だった。テーマソングだってけっこうなハイトーンな曲だ……。
大サビの「その胸は震えてるか?」という昭仁の問いかけに、私は思わず自分の胸に手を置いた。鼓動すら、会場に響く音楽や光や歌声に覆い隠れてしまう程だったけれど、この興奮や感情は確かに感じ続けていた。声が出せるようになった暁には、きっと次こそ、次こそこの歌をみんなで歌いたい。そう、次を願える曲でもあった。
19. 暁
アルバムの1曲目に立ち、リード曲として音楽番組でも歌われてきていたのに、ライヴ本編の最後に持ってこられると急に風格を増す暁。セトリ濃すぎてうっかり忘れてた。
ライヴアレンジのイントロは、AメロBメロに星が落ちて来るような軽快な音に。しかしポップな音ではなく、夜明けを待ち望む期待と同時に感じる不安を感じさせる。頭サビ、暁が放たれる。
あゝ!!!!!!!!!!!!!!!
岡野昭仁、ついに「大地に膝ついたままで天を仰ぎ」を実写でやってしまう。リアルに大地に膝をつけと誰が言ったんだ。昭仁本人か。ステージに敷いてあるマットはそのためのマットだったのか。膝大丈夫?初老で膝イくのは後々響くぞ……。
これを2階席南東から見た衝撃をわかっていただけるだろうか。隣のおねえさん、目かっぴらいて口を両手て覆い続けてたんだよね。たぶん、曲終わるまで。その衝撃、わかる。
暁の「どこでブレスができる」というBPMの早いロック、右を向いても左を向いてもロックで強い歌詞と曲調。さしもの岡野昭仁も、15曲以上はやってきた本編の最後に暁を歌うのはきつかったようだ。終盤とはいえ、まだアンコールが残っている。全部出し切るジレンマも昭仁が呼びかける「えーぶりばーで!」のためにも喉の余力は、あるのだろうか。
そう。遅いかもしれないが、この時だ。私がだんだんと昭仁の喉および体力に恐怖を覚えていったのは。「掠れる」「枯れる」と言っても、音程は外れないし声量は衰えない。文字通り全身を楽器にして、声帯から出す声以上のものを振り絞り、ワンフレーズを歌うたびに彼から熱い何かが噴出してくるようだった。ゾンビの炎などぬるい。間奏で鳴った警戒を促すサイレンのような音も、未だ耳の奥で響いてる気がする。
MVがYoutubeでプレミア公開された際、視聴したファン達の息の根を止めかけた「体を縛った鎖を断ち切る」。ここ、MVばりのあのポーズをしていた。ものの見事に、己の体を縛った昭仁がそこにいた。一瞬だったけど、2階席からでも見えた。見えたんだ。これは暗示でも予告でもなく真実……………あの一瞬で明星を撃てる……………。
こんなもんじゃなかった。こんなもんじゃなかったんだって!!!なあ!!!!見たよな!!!武道館1日目に参戦した皆さん!!!!!!!
とんでもねえものを見た……と興奮と熱気で息が上がる。ステージ上の昭仁達はもっとだと思うが、曲が終わってサポメンやメンバーが袖にはけ、「もうアンコールか…」と気の抜けかける時間。けれどジレンマと、あとはまだやっていないセンラバがあるって事だけは忘れていなかった私は、「まだ2曲あるけどもうあと2曲」という矛盾した想いを抱えながら、徐々に始まるポルノコールに合わせて手拍子していた。この手拍子によるポルノコールに参加するのも、ちょっと夢だった。
熱烈なポルノコールに応えて出てきたメンバーたちの、昭仁と晴一が今回選んだツアーTは………ドゥルルルルルル、バンッ!
岡野昭仁…折古ノ浜
新藤晴一…サーモグラフィティ
昭仁とオソロ!!!!!!!!!!祝杯!!!!!!!!!!!!!🍻
そして。
20. OLD VILLAGER(新曲)
しんきょく??????????
武道館1日目の23日、あの時あの瞬間、会場がどよめいたと思う。声にはしっかり出せなくても、驚愕と歓喜と興奮が波動のように伝わってきたようだった。かくいう私の体の内側からも。そして、またもやAちゃんとほぼ同時に顔を見合わせた。「新曲って!?」目がそう叫んでた。
いや新曲……新曲て、おま。去年の夏に新曲出したばっかりだし、なんなら去年の冬に新曲を2曲も出したばっかりじゃんあなたら!!!なんで!!!!そんなに!!早く!!!!私たちに愛を届けてくれるの!!!!!!!!信じられない愛してる。
目の前にテーブルがあったら突っ伏してた。間違ってもひっくり返さないけど、それくらいの衝撃だった。よく立っていられた。おれすごい。
漢字変換の箇所とかは違っているかもしれないが、OLD VILAAGERの歌詞はこうだ。
考えてなかったんかい。会場中がズッコけたぞ。
しかし新藤大先生、「考えてなかった」と言いつつそれは照れ隠し兼ちゃんとした前フリである事をおれは知ってる。みんなも知っている。
曲紹介での言葉からも、「なぜそれを知っている」と聞きたい程だったが、新藤晴一も一人の人間。彼も悩んだり、苦しんだり、葛藤したり、叫びたくなった夜もあったはずだ。この曲が、彼自身の想いを投影しているとは思わないが、こうして近くに来てくれるからこそ真っ直ぐ届くものもあるように思う。
文字通りの初披露だったから、全くまっさらで「OLD VILLAGER」に込めた想いを聞けた。上手く言えないが、これにより、言葉に鮮度があったように思う。突かれたくないところを突かれてしまったといおうか。
新曲の説明だけで人の胸をえぐったり、覚えのある感覚を起こされて「それは明かさなんでくれ……」みたいな思わず後ずさりさせるような思いを抱かせる鬼才・新藤晴一…………ホント容赦なくて、マジで恋する5秒前なんだが………あなたと同じ国に生まれて同じ時代に生きていてよかった……………。
「ロックといえば」で個人的に思い浮かぶ関連ワードは「この世はクソだ」とかなんとかそういうものだったりするのだが、「政治家に文句のひとつもぶつけて」はいっそストレートだ。「人生観」が「死ぬまで続く」かと思いきや、「棺まで続く」という直接的すぎるワードチョイス。これリリースはいつなの?
韻のオンパレード、気持ちのいい四字熟語、「娑婆」「棺まで続く」など皮肉なワードを使いながら、Cメロで普遍的な事を挿入するのは、新藤晴一のテクニックのひとつだ。
通常なら「そう願うなら自分を変えろ そんなのわかってんだよ」とかそういう感じで続くだろうに、そうじゃないのが新藤晴一なんだよな。晴一は確かに、いつまでもロックスターに憧れるヤンチャなギター少年なんだけれど、同時にいつまでも奥底に燃やし続けるのは「優しさ」だったりする。安易に同情せず、励ましもせず、けれど寄り添う事の難しさを知っている。そんな男が書いた激しいロック、響かないわけがないんだが、リリースはいつなの?
トラックはバンマス兼ベースのtasukuさんが作り、それに昭仁がメロディーを乗せ、晴一が詞を乗せたという。そんなの絶対最高に決まっている。「攻撃的なロックナンバーを作りたかった」と昭仁は言ったが、その曲紹介の時点で「良曲以外の結果がない」と確信して聴いたら良曲以上のナニカだった。
ネオメロやクラウドやゾンビやメビウス、暁を歌ってきて、「もう喉が限界なんじゃなかろうか」と勝手に心配したおれやおれ達に、全身全霊で届けるパワーボーカリスト。全身が震える程のかっこいい新曲。
OLD VILAAGERには「作詞・新藤晴一」と聞かなくても強く感じる晴一節がたっぷりで、その中で特に「絶対に新藤晴一しか使わない表現」として異彩を放つ一節を感じた。「サンゴも諦めて石になるさ」……何それ………「海の底で物言わぬ貝になりたい」を書いたのは何歳の時だっけぇ………?
演奏を終えて、拍手はいつまでも鳴りやまなかった。いや、鳴り止む瞬間はあったのだ。しかし、だんだんフェードアウトしようとすると「いやまだだ」とばかりに熱い拍手がかぶさってくる。声が出せない代わりの、私たちからの渾身の言葉達。
その賛辞の声がようやく止んだ時、熱気と興奮の残る客席を見渡して「オッケーオッケー、それが君たちの答えなんじゃね」と、ちょっとはにかみながら、満足そうに言った昭仁。
その言葉と、わずかに見えた表情に、胸が熱くなった事を今でも覚えている。忘れられるわけがない。
マジでリリースはいつなの?
21. Century Lovers
あのアガるイントロが流れ出し、昭仁が豪快に叫び出す。テンション上がってんな〜〜私達もで〜〜〜す!!!!
アンコール用にツアーTシャツに着替えたラフな格好でもキマる。それがセンラバ。
言えねえよ上手くなんて。ポルノの事を想うと、いつだって言葉が胸で大渋滞だよ。当日だって、こんなに楽しいって事を上手く表せない。ライヴレポとして文字にするのも、到底表せてるとも思えない。
\Woo……カモン!!/
改めてすげえ歌詞だが、晴一すごいな。
2番サビが終わると、曲と曲の間(正確には次のMCタイムに入るだろうと察したの時)に「あきひとー!」「はるいちー!」ボタンを押して名前を呼んできた、この「ポの字型」のボイスストラップがついにやっと使う時が来た。時が来たけれど、「昭仁から合図があるんだろうか」と若干の不安も覚えていた。
ちゃんとそのコーナーが設けられて小さく安堵したのは秘密。
昭仁「えーぶりばーで!スタンドだけ!」
さあ今がその時!羞恥心と闘って自宅で一人の時に吹き込んだおれの「Fu-Fu!」!!……スタンド側が一体となって盛大なFu-Fu!が響いた。何だこれめっちゃ楽しい。アリーナ席は人が少ないため、それほど揃った音はしなかったものの、これを一度に鳴らすとまさしく壮観。2階スタンドを褒めてくれた昭仁が、アリーナ席や1階席を安易に「イマイチ!」と言わず「少ないからな〜もうちょっとがんばれ!」というふうに、ポジティブに励ましてくれた。やっぱり先生向いてる。
昭仁「えーぶりばーで!みんなで!!」
「何でこんなに揃うんじゃ!みんなで体育館かどっかで練習してきた?LINEグループとか作って入れてきたじゃろ?すごない!?入れるタイミングみんな違うじゃん!何でこんなにry」と喜びながらファンの凄まじい連帯力・団結力・盛り上げ力に今さら驚いていた岡野昭仁、その私達のパワーを受けて加速度的に喉の調子が良くなっていく。恐ろしい子だ。
昭仁「えーぶりばーで!押したり手を上げたりぃ!」
「ボイスストラップを持っていない人は手持無沙汰じゃけ」とちゃんと救ってくれる昭仁だったが、でもごめん、「押したり手を上げたり!」が当日何回目かでやっと聞き取れたんだよね。
ボタンを間違えなくてよかった。途中、センラバじゃないが何度か「あんたら最高じゃ」「今日は呑んでよし!乾杯!」って出ちゃったもんな。だから「ボタンにシール貼っておくといいよ」ってAちゃんも言ってくれてたんに…………。
声出しが解禁されたら、機械に吹き込んだボイスじゃなくて自分の生声でFu-Fu!を言いたい。声援も、悲鳴も、奇声も全て自分の声で。拍手にも魂は込められるし、コロナ禍でも工夫と努力でエンタメは生み出せる。
でもやっぱり、声だ。特に昭仁は、お客さんをノせるのが上手い。昭仁自身が何より楽しみ、時に晴一をも巻き込む。サポートミュージシャン、袖のスタッフ、そんな人達までも「楽しい!」の波に乗せてくれる。
前回のツアーから改良を重ねたこのボイスストラップ、どうやらもう使わなくなる未来が確定したようだから、私にとって彼が(彼……)まさしく最初で最後のグッズだったのだ。
22. ジレンマ
昭仁「全部出し切って、アホになって帰るぞ!!!」
たしかこんな煽りだったと思う。通常なら「イェーイ!」だの声で私達は答えるのだけれど、ここはまだ声出しの解禁されていない世界線。目一杯の拍手で昭仁に応えた。
ジレンマを歌う昭仁を見ていると思う事だけれど、まあ若返る事若返る事。ライヴ中はどんどん若返っていくのだけれど、ジレンマが特に顕著に感じる。気のせいか声まで若返る。もういくつだっけ、今度49なんだっけ………。
そういえば、「昔は歌に本当に悩んでいたけど、今は悩みゼロ!歌う事が本当に楽しいです」と昨夏いろんなところで語っていた昭仁。5年振りのリリースとなるアルバムのPRがなくても、恐らくどこかで語り文字となり声となり、私達の耳にも届いていたかもしれない。
アンコール用にツアーTシャツに着替えたラフな格好でもキマる。それはジレンマも。もう言葉にして文章にするのもまどろっこしい。ただただ楽しい。「たのしい」の4文字が脳にを支配して、余計な事を少しも浮かばせなかった。細胞まで楽しんでた。あの時間、慣れないながらも私は心から楽しんでいたと思う。
そんな感覚、この人生で感じられていただろうか?ライヴってきっと、魔法なのだ。
最後は、それぞれのツアータオルを持ち大きく掲げた。あれ?繋いでバンザイじゃないの?」と隣のAちゃんに聞くと、「今回のツアーからこうなってるんだよね」と教えてくれた。なるほど、ハネウマがない代わりか!考えられてるな〜〜〜……そういえばハネウマなかったな……。
2階スタンド側からでも見えた、色とりどりのタオルたち。ここに集ったファンのみんなの歴史が垣間見える瞬間だ。
ちくしょう、昭仁が煽ってくれてるのにやっぱり全然飛べない!!おのれ武道館2階席!!!次に会ったらその床以下略。
そして、熱い拍手を受けて本当の本当に帰っていく二人。晴一は「外は寒いから、……着て!(着込むジェスチャー)着て!(着込むジェスチャー)」、昭仁は「寒波が来るから!気を付けて帰ってください!!」だったと思うんだけれど、昭仁に至ってはマイク使ってる時とあまり変わらない声量なんじゃないかと思ってしまった。焼き鳥屋と引っ越し屋さんでバイトした経験と歌い続ける事によって鍛えられ、なめされ、近い未来に国が重要文化財に指定するであろう、持って生まれたよく通る声。喉大事にしてね。
あれっ、股間パフォやってなくね?????
MCはパパッと箇条書きで済ませますね
カメレオン・レンズ後
・MC入った瞬間に、昭仁は「近ない!?!?」ってビビッて何歩か晴一から離れてたし、「なんか、急に近く感じる…まあええか」って一人で解決して終わった間を、「何が?」って書いてある顔でそれを見つめたままの晴一がいた
・昭仁「正月何してた?報告し合おうや」苦笑いする晴一、微笑む会場
・スノボに行ってきた昭仁。新潟のほう。どこです?越後湯沢?
・昭仁「若い時はいいけど、もう今は年寄りだからコケたら足が取れる!手が取れる!バラバラになるんかってくらい痛い!」
・令和5年の計算方法を教える昭仁、めちゃくちゃ先生
・挙動がでかい昭仁
・黙って教えを乞う生徒晴一(「ウン」「へえ」と頷きつつ)
・昭仁「令和3年!?3!?それは時止まりすぎ!!!」(ぞっとしてどよめく会場、「3年じゃろ!?」と会場に聞く晴一。あなた働きすぎよ……)
うたかた前
・「着席して座って」昭仁の迷言。自分でツッコんでてみんな笑う平和
OLD VILLAGER曲紹介MC
・晴一「俺らがロックを夢見て、音楽で飯を食っていくって言ったらぁ……周りに馬鹿にされたりぃ…俺たちの周りの大人達はぁ……誰も分かってくれないとかぁ……!っていう歌です」
・昭仁「じゃないでしょ?www」
・晴一「俺が因島出る時、うち青果店やっとったんじゃけど、持ってるトラックの荷台に荷物置いて前3人乗れる所に俺と母ちゃんと父ちゃんが乗って……それで大阪まで行ったぜぇ!母ちゃんは、新しい家のワンルームの床を掃除してくれたぜぇ!ありがとう母ちゃん、俺頑張ってるよ!」(沸き起こる拍手)
・昭仁「〇〇〇さん…!笑」まさかの晴一のお母様の名前をボソッと晒すんじゃない昭仁ったら
・昭仁「わしらの曲を、大海に届けるようにしていたけど、もうこれからは届ける先がしっかりしたよ。君らです」「あんたらは、わしらの誇りじゃ」やめろ泣くありがとう、あり愛してる、ありがとう
まだあったかもしれないけどさすがに記憶が薄れてきたのでこれ以上思い出せない。無念。
それでですね、あとひとつ聞いてください。
余談に出来ない余談
いやホントに。
頼むよ、聞いてくれ。本編もアンコールも全てが終わって、サポメン達と握手やハグを交わした昭仁と晴一が、会場の上から下から隅まで挨拶をしてくれる時間がある。これも、ポルノにおけるライヴのひとつの特徴で、それは知っていた。だから、声は出せない代わりにめいっぱいに私も手を振るじゃないですか。突き上げたり左右に振ったりで若干感覚がなくなりつつある右手や両手を。
そうしてスタンド側、というより南側に晴一が来た時。めめちゃくちゃ手を振った。こんな機会絶対ないとばかりに(周囲の迷惑にならない程度に)めちゃくちゃ振った。
そうしたら、目が合ったんだよね。いや、「晴一見えてるわけがないだろ」って?あれは合ったよ。2階席だけど絶対合った。私を見たもん。
新藤晴一さん、私と目が合ったでしょ?
袖からステージに戻る時にこちら側にも手を振ってくれたあの時、あの一瞬がなぜだか10秒くらい長く感じた。あんな感覚はきっと、生まれて初めてだ。ファンあるあるの勘違いでもいい。いや、よくはないけれど。
2階席端奥の、もういいや2階席南東の、客電が点いているとはいえ数多いるファンの全員が手を振ったり笑顔を向けたりと自身に熱視線を送っていて、そのほんの一部、武道館に集った9000か1万ちょっとかそのくらいの人数のたった一人と視線が合う。現実的にはちょっと有り得ない。アリーナ1列目最前列ならともかくとして………うわやめろ、その座席を想像して動悸がしただろ。
あの「目が合った」と疑いもなく確信した瞬間って、一体何なんだろうか。経験のある人にはこの感覚、きっとわかってもらえるとは思う。
昭仁とは一個も目は合わなかったけどな。おれの常日頃の岡野昭仁への激重たい愛は、この日は新藤晴一が受け取ってくれたって事だ。本当に好きです。いや、別にポルノに誰派とかないですけど。同担拒否も私にはないです。
おわりに
安易に「奇跡」と表現したくはない。けれど、まさに奇跡のような時間だった。あの時間も、この瞬間も、全てが宝物になった。
帰宅する日の朝。「ポルノのライヴに行った人はもれなく肌艶よくなる」って聞いたのに、逆に吹き出物がひとつふたつ生まれていた。細胞も混乱を極めたよな、お疲れ。
帰宅して翌日の26日には武道館はもう3日前になってしまっていて、それでも、不意に脳裏によぎったり浮かんだりで思い出しただけで自動的に涙があふれ流れ落ちる現象は続いた。朝から涙が止まらない日もあった。この現象に誰か名前をつけてくれたらノーベル賞やるよ。
モニターやスクリーンに映る映像は、テレビ画面や配信画面で観るいつもの画角や大きさのポルノだ。しかし、ふと眼下に転じれば、己の肉眼で見える、確かに小さいけれど表情はわかる昭仁と晴一。この落差、あまりにも激しくて例えるならメガネの上にメガネをかけてるだとか、度の合わないメガネかけてるみたいだった。つまり現実感がない。3Dだった。ポルノグラフィティ、本物は3Dだった。
元々私は、お腹に響くような大きすぎる音や強烈な光や明滅が苦手だ。ライヴなんて最も怖い環境だったために、尻込みしていたどころか自分が行くような場でもないと思っていた事は確かだ。やはりと言うべきか、悪霊少女の時点で「音デッカ耳ムリ」と思わず体が縮み、このあと2時間半程に不安を覚えてしまっていたのだけれど。
どっこい今やこの通り。別に全く気にならなくなったわけでも、すっかり慣れたわけでもない。「大きな音は苦手だけど、綺麗だから打ち上げ花火は好き」くらいの例えでわかってもらえたらいいが、そのくらいの認識に格上げされたのだ。
だって、だってさ。生まれて初めて、マイクを通しスピーカー通した武道館に響く岡野昭仁の生歌を聴いてごらんよ。爆音にビビるより先に涙が頬を伝いそのまま足元に落ちたよ。悪霊少女のところでもすでに書いたけれどもう一度言わせてほしい。
武道館と私の鼓膜に響き渡る悪霊少女、「甘美な夢から逃れられない」の岡野昭仁のロングトーン、新藤晴一のギターソロ、弾いてる動き、仕草、音色……体がのけぞるかと思った………実際のけぞって立っていられてなかったかもしれない。Aちゃん、腕とか肩、まだ痛くない?
セトリもMCも演出も(多少)衣装も笑顔も笑い声も歌ってる時弾いてる時の表情も、きっと忘れない。現にこのレポを書き終えたのは2月になっているが、二人の笑顔と会場の一体感と見えた景色――みんなで熱くなれたこの日を、私は未だ覚えている。人生初ライヴがポルノで本当によかった。大好きなバンドのライヴに、本当に行ける日が来るとは。3年前の自分は露も知らないだろうな。
ライヴの記憶を書き留めるペンは持っていったのにメモ帳を忘れ、しかしやっぱりメモなどする余裕はなかった。ゆえにこのライヴレポ、全て己の記憶を頼りに書き綴っている。
それでも、ほんとに記憶からも色褪せないなあ、ポルノグラフィティは。大好き。身も心も奪ってくれちゃったからもう戻れない。
以下は思い出の一部。
終わってすぐ心に浮かんだ言葉は「初ライブ初生ポルノむり好き一生ついてく」だったが、これを戒名にしたい。
あ〜〜〜本当に楽しかったな〜〜〜〜!!どうにかしてまた行きたい。