盆踊り
夏の風物詩といえば、
「盆踊り」
私の住む地域でも「盆踊り」が開催された。
盆踊りを支える裏方の人
”コロナ禍”という時が幻だったかのような、熱狂する時間となった。
私の住む地域では、コロナ前は7月末に2日間の「盆踊り」が毎年開催されていた。それが、コロナ禍後はできることから始めようということで、昨年から1日だけの開催となり、今年も同じように1日のみの開催となった。
主催は地域の区長さん達”三役”と1年ごとに変わる協議委員。それと、子供会のお母さんと私たちオッサンのボランティアである。
おっさん達のボランティアは、メンバーが変わらないので、毎回やることは同じ。事前にミーティングをして買い出しや準備などを確認し当日を迎える。
しかし、毎年メンバーが変わる、三役、協議委員や子供会のお母さんは、前年の資料を読み、前年の役員に聞きながら準備を進めていく。
どこの役割も大変そうだが、特に子供会のお母さん方は大変そうに見える。なぜなら、子育て世代真っ最中の年代、日々、家事、子育てや仕事までこなしながら、空いた時間で祭りの準備を進めていく。年寄りの三役や、オッサンボランティア達との話を合わせることもしなければいけない。
私の妻も子供会の役員になったことがあるが、ちょうどコロナ禍だったので、人が集まるイベントは中止されていたので、役割としてはかなり楽な時を過ごしていた。
盆踊りの今後
終わってみれば、たくさんの人が集まり、大成功だった。
人はリアルに集まりたい、人と楽しい時間を共有したいのだろう。
しかし、それを支える裏方さんを考えると、このままの体制ではいつか盆踊り自体ができなくなってしまう日がくるのもそう遠くは無い。
なぜなら、少子化による子供会の存続自体の問題。
協議委員の高齢化(地域在住者の高齢化)
変化を好まない高齢者と、それ以下の年齢との関係性
”やらされている感”という言葉がある。正にその状態が続いているし、今後も続くだろう。
オッサンボランティアでは、
この地域で住むなら、将来の人との関わりを考えて、このオッサンのボランティアに入るべきだ。
という意見がある。
確かに、”地の人間”と言われる人は昔からの歴史があり、そこで培ってきた人間関係の結束が、私の想像を超えるところにある。
しかし、本当にそれでよいのだろうか?
人は楽しそうで元気な人の姿を見て、影響を受けて仲間の輪が広がっていく。
義務や、やるべきといった強制ではないが、見えない圧力がある中で取り組む事が、どのような結果を生み、今後に受け継がれていくのか、よく考えれば答えは明白である。
今後のために、何ができるのか?
そんな問いを自分自身にぶつけ、オッサンボランティを続けています。
今日のしつもん
何か楽しいことをするなら、誰と一緒にやりたいですか?
色んな楽しいことを考えると、その分だけ人の顔が浮かんできます😊