教えて!森路さん!(上)~マンガ業界の夢と希望~
まえがき
新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、取材をしたのは遡ること10月だ。道行く先々の葉は色づいていた。スポーツの秋、文化の秋、読書の秋などと言われるが「どうして読書の秋は文化の秋に含まれず独立しているのだろう」と、曲者の思考をいかんなく発揮させている。
筆者は「読書の秋が文化に含まれるかは分からないが、マンガは読書に含まれる」と強く確信している。
そんな新春一号目のインタビューは、花沢健吾先生の『アイアムアヒーロー』や朝基まさし先生の『IWGP電子の星』『サイコメトラーEIJI』『クニミツの政』などの名作にアシスタントとして携わり、現在はマンガ背景.net (まんがはいけいどっとねっと)店長の森路雄斗(もりじ・ゆうと)さんから『マンガの仕事』について熱く語って頂く。
明日は(下)を掲載するが、上下合わせて2万字に及ぶ大作である。
それでは、タイトルコール。せーの、
教えて!森路さん!
(森路さん近影:奇跡の一枚)
① どうしてマンガ業界に進まれたんですか?
元を辿れば、一番最初にマンガ家に憧れたのは小学校低学年の頃だったと思います。自分が育ったのがちょうどジャンプ黄金期だったので、キャプテン翼とかドラゴンボールなどを模写して、漠然とマンガ家に憧れていました。
でもその頃に「マンガ家は寝られないんだよ」という大人の“芽潰し”的な言葉を真に受け(笑)。一旦マンガ道から離れた気はします。
(森路少年とキン肉マン)
ただ、絵を描くこと自体は得意ではあったので、小学生の頃の美術課題でよく飾られたり誉められたりはしてましたね。中学時代は美術部に入ったりもして、その中で学年1位を取ったり、絵画コンクールで入賞したのをきっかけに、徐々に絵の道で食べていくことを意識し始めた気がします。
高校時代はマガジン全盛期でもあったので、「金田一少年の事件簿」の目玉企画でもあった、「真相当てクイズ」とかに夢中でした。当時は今よりもマンガ界自体の勢いももの凄く、そんな“マンガパワー”に囲まれて育っていくうちに、「自分をこんなに楽しませてくれるマンガに恩返しがしたい」「自分もマンガを描いてみたい」という想いが再び芽生えたんだと思います。
その後の進路を語る前に、実は自分、小学生時代に中学受験をしたんです。そこで、いじめやらのストレスで血尿を出しながらも無事合格できたんですね(笑)。そこはお笑い芸人のオードリーの母校でもある日大ニ中というんですが、高校、大学へとエスカレーターでほぼ勉強しなくて行ける学校なんです。ただ、大学の美術学部だけが異常にハードルが高くて、美大からマンガ家という道は遠回りにも感じたので、マンガを扱う「東京アニメーター学院」という専門学校に入りました。
その学校での卒業制作で当時の学長の目に留めて頂き、推薦で朝基まさし先生の職場を紹介して頂きました。これが自分がマンガ道へ入った“本当の”経緯です。“本当の”とつけたのには理由があって、実はYouTubeでもマンガ家を目指すきっかけの話を動画で出してるんですが、そこには「当時の彼女に振られたから」とか、おちゃらけて話してるんです(笑)。なので、真相は今話した感じになります。 振られて一念発起した、というのも事実ですが(笑)。
② 好きな漫画や影響を受けた漫画は?
やっぱり最初は「週刊少年ジャンプ」でしたね。黄金期の作品が好きなんですが、中でも強く影響を受けたのが「ドラゴンボール」「ジョジョの奇妙な冒険」「ろくでなしBLUES」ですかね。
当時はとにかく「ドラゴンボール」が毎週楽しみ過ぎて、日曜日にフライングで発売している近くのお店でわざわざ買ってました(笑)。最終的には土曜日にフラゲしてた気がします(笑)。でも、この業界に入ると金曜日とか木曜日には読めることもあったんで、日曜日にゲットして喜んでいた当時の自分に自慢してやりたかったです(笑)。
ちなみに、その頃の週刊少年ジャンプへの愛は凄くて、1号から2000年くらいまでのジャンプを、いまだに500冊近く実家で保存しています(笑)。
(積み重なるジャンプ。床が抜けそう…)
「ジョジョ」の荒木飛呂彦先生や「ろくでなしBLUES」の森田まさのり先生がいまだに現役でご活躍されているのも嬉しい限りですね。
憧れの荒木先生とは、アシスタントになってから1度集英社のパーティーでお会い出来る機会があって「ポルナレフというリク亀を飼ってるくらい大好き!」という想いを伝えたくて。当時30歳くらいだったんですが「20年前から大ファンです!」って伝えたんです。つまり「物心がついてからずっと好きです」と告白したんですが、すぐに理解して頂いて、「嬉しい事言ってくれるね~」と喜んでくれたんです。
残念ながらそれしか会話は出来なかったんですが、マンガ業界に入って一番嬉しい出来事になりました。いまだにあれを超える出来事はないですね。
森田先生は残念ながらパーティーでもお見かけすることはなかったんですが(荒木先生の時と同じ会場にはいらしたらしい)、一番自分の絵柄に影響を与えて下さった先生でもあります。「サイコメトラーEIJI」の職場でも、度々森田作品の背景画を参考にして描かせてもらってました(笑)。今でも、リアル系マンガの背景画では一番好きだし、憧れの背景です。
特に「ろくブル」の主人公「前田太尊」が好き過ぎて、学校が休みの休日も学ランを着てたくらいです(笑)。ここだけの話、友達には私服が買えないくらい貧乏な人だと思われてました(笑)。
学生時代は「こんな背景絶対自分では描けない」と思っていましたが、朝基先生の下で背景画を描いていくうちに、何度か「追いつけたかも!」と思える瞬間があって、その時は本当に本当に嬉しかったです。もちろん、森田先生の描く人物も大好きだし、話作りにおいても全マンガ家のうち3本の指に入るくらいに尊敬しているのは言うまでもありません。
(アナログ時代の背景たち)
③ どういうジャンルのマンガを描きたい、関わりたいとかはありましたか?
元は「ドラゴンボール」でマンガを覚えたので「ファンタジー/バトルマンガ」を描いてみたいという想いは今でも持っています。ただ、現実的に自分の得意なことで戦わないと勝てないと知ってからは「リアル系のマンガで勝負するのがいいだろうな」とは思いました。
ここのニュアンスが、商業誌でやっていこうとする場合と同人誌などで描く場合の違いでもありますね。自分の適性を正しく判断たうえで、描きたいこととやれることを判断しないと、“職業マンガ家”としては不利ですので。ただ、森田先生にも憧れていましたから、現在自分の主戦場であるリアル系マンガが好きな素養も、もちろんありました。
なので「描きたいジャンルは?」と問われたならば、“全ジャンル”と答えたいです(笑)。実際「RAVE(作者:真島ヒロ)」というファンタジー作品のヘルプに行った時も、特に違和感なくアシスタントの仕事を出来ていました。まぁ1日だけでしたが(笑)。あとさっきから現在進行形で“描きたい”と言っているのは、「隙あらばマンガを描きたい!」という欲がまだ自分の中に残っているからです(笑)。※詳しくは明日公開の(下)で。
好きなジャンルはSFなので、一番描きやすいのはSFということになります。SFといっても「スターウォーズ」みたいなものではなく、海外ドラマの「HERO'S」的なものが、もっとも描きたいのかも知れません。そういう意味では、ここで「ジョジョ」の影響が多大に出ているかもですね。
“関わりたいマンガ”という括りで言うと、さっきお話したジャンプ黄金期の先生方の下で働きたいとは思ったことは、実はあまりありません。憧れは憧れ、仕事は仕事ですからね。ただ、自分の役得で、自分がかつて読者として読んでいたマンガ家さんと出会ったりお話しさせて頂けたのは、すごく有意義な時間だったなと思います。
④ アシスタントにはどのようにしてなるのですか?
主に2パターンあって、ひとつは自分でアシスタント募集に応募するパターン。もうひとつは、持ち込みなどで編集者から紹介されるパターンです。
自分はどのパターンも経験してますが、花沢先生の時には自分で応募しました。ある程度経験を積むと入りたいところに入れるんですが、そこから先は完全に実力主義な世界です。
具体的に言うと、大体どこの職場も人材不足なんで、“お試し”ではほぼ100%入れるんです。ただ、そこからレギュラーになるには“付加価値”がマストになってきます。例えば「圧倒的画力がある」「圧倒的人間性がある」「圧倒的努力が出来る」といった感じです。
自分が朝基先生の下に紹介されたのは特例ですが、その時も、面接→お試し→レギュラーという順でした。これは学長の紹介であっても変わらなかったです。
しかも何も経験がない状態で、いきなり当時マンガ界でもトップクラスの背景を描く職場に入ったわけですから、苦労したのは言うまでもありません。
そこでどう生き残ったかというと、まず面接の段階で必ず提出する「背景画」があるんですが、これはどこの職場に行くにしても必ず必要で、「渋谷109」を精巧に描いたものにしたんです。あとは「電車内」とかの絵も見てもらったと思います。
つまり「人がやりたがらない難しい背景画」を提出したんですね。当然自分にとってもハードルの高い絵だったんですが、そういう『ちょっとした努力』というか知恵を絞って就職活動をしていたというわけです。
(渋谷の背景は今も描き続けているようだ)
花沢先生の時もその要領は変えず、その時自分の出来る120%くらいの作品を提出しました。でも花沢先生の職場は70%くらいデジタルでの作業で、自分はほぼ未経験だったので、そこはアナログ作画で培った実績と努力でなんとか食い下がって、スタッフに入れてもらった形になります。花沢先生の職場ももの凄くレベルが高くて、実際自分がレギュラーで入る前にお試しで雇われた人が20人くらいいたと聞いています。
結果的に仕事内容が厳しめな両職場に長くお世話になる事になりましたが、どの職場でもやっていける自信や、何でも出来るスキル習得にも繋がりましたので、これから就職を考えてる人には厳しめの職場を第一候補にオススメしたいです。
(アイアム時代の森路さん。写真のブレから熱気が伝わる?)
⑤アシスタント時代の仕事を振り返って。(仕事内容、担当漫画について)
アシスタントに無事就職したあとは、朝基先生の場合いきなり「背景画制作」を任されます。もちろん背景画の大小は実績によって変わりますが、いきなりプロのマンガ家さんの原稿に自分の絵を入れるのは緊張しましたね。
作業は完全にアナログで、『先生のあたり下書きを渡される→自分が下書き→OKが出たらペン入れ→トーン貼り』までが基本の流れになります(※あたり・・・どこにどういう構図で絵を描くか印をつける)。初めは「ベタやトーンだけ」という職場も多い中、全行程を素人同然のスタッフにやらせるやり方は、荒療治だけれどすごく自分の身になりました。
ちなみに勤務形態は週4日の日帰りで、時間は朝の10時くらいから、夜の9時くらいだったと記憶しています。時期的には、「サイコメトラーEIJI」の途中から入って、「クニミツの政」「I.W.G.P」を経て「シバトラ」の立ち上げくらいまで関わらせて頂きました。
やっぱりアシをやり始めの頃は試行錯誤の連続で、タバコ一箱描くのに3時間くらい掛けてました(笑)。今なら15分くらいで出来る作業です(笑)。
それでもずっと背景を描かせてくれる職場だったんで、否が応でも成長する道に乗って歩いてたという事になります。当然、ほぼ同年代のスタッフがいい背景を任されたりすれば悔しいですし、みんなの前で笑われて、下書きした背景を消されたりする事も日常茶飯事なので、茨の道ではありましたが(笑)。
ただ、そういう生き恥をガンガン若いうちに掻いた事で、成長のスピードは段違いに早かったと思います。21歳の時に入って、23歳の時には大ゴマを任されたりしてたと思います。もちろん朝基先生の育て方が良かったというのは言うまでもありませんが。実際、どの職場に行っても「あそこでやってたの!すごいね!」と言って頂けることが多かったので、そういう経験を積むうちに「ありがたい経験を出来ていたんだな」と、身に染みて感じるようになりました。
そうやって信頼を得ていくうちに、朝基先生の担当編集者からもヘルプのアシスタントに行ってくれと頼まれる事もありました。さっきお話しした「RAVE」のほか、「スクールランブル(作者:小林尽)」「ガチンコ」がそれにあたりますが、「芸人交換日記」といった作品にも短期間お世話になったこともあります。今では大御所になられた先生方の、デビュー初期の“生活感溢れる職場”を体験出来たのも貴重でした。
中でも「ガチンコ」というラグビーマンガでは、アシスタント人生で初の「泊まり」でヘルプに入ったんですが、東京の西の西が職場だったんですね。ちょっと通うのには遠すぎるし、雇う先生も「交通費がかさむから」とかの理由で、泊まりになったんです。
ただ、その職場環境がなかなかの過酷さで。作画部屋の隣がスタッフ3人の寝室(4畳半くらい)なんですが、プライベートな時間もほぼなく、『起きてすぐ仕事を始めて終わるのが深夜』なんてことも経験しました。それが約1ヶ月間。週に2日くらいは休めるんですが、20代でもさすがにキツかったのを覚えています(笑)。
「芸人交換日記」という作品では、職場が郊外にも関わらず日帰りで、通勤に2時間くらい掛かってたこともあります。大体そういう過酷な現場ではギャラも上がるんですが、心や身体の疲弊を考えると、あまりオススメできる働き方とは言えないですね(笑)。先生の人間性が良い方ばかりでしたので、そこが救いではありましたが。
最後にアシスタントでお世話になった先生が花沢先生になります。ここでは「デジタル技術」を主に学ばせて貰ったのですが、本当にやっている事のレベルが高く、その後の人生に役立つスキルの大半を教えて頂きました。
実は自分、ものすごく遅筆である事がコンプレックスでもあり弱点だったんです。これまでアナログの現場しか経験がなかったんですが、そこでは「丁寧」「綺麗」が自分の強み・武器でした。実際、そこまでの出来にするには「時間」が必要で、だからこそ他の人が描けない背景画に仕上げる事ができて、それが評価の元になっていたんです。
でも、花沢先生の下で求められたのは「スピード」でした。もちろん、自分の「丁寧」「綺麗」は最大限に誉めて頂けたのですが・・・。なので、最初は慣れない事の連続でとても苦労しました。
そこで具体的にどうスピード化を果たしたかというと、「簡略化の徹底」です。花沢先生の場合「70%がデジタル作業」なんですが、アナログで描く30%の時間をとにかく減らすよう努めました。例えば、『指定の背景画を渡されて、1枚あたりのアナログ作画を平均3時間で終わらす』といった具合です。たばこ一箱描くのに3時間描けてた男がB5サイズのフル背景に3時間の感覚が、いかに尋常でない事か想像して頂きたいです(笑)。
簡略化すれば良いとはいえ、リアル系マンガのトップランナーである「アイアムアヒーロー」ですから、自分の合格ラインと先生の合格ラインの妥協点を探りながら、徐々に習得していったという感じになります。
を繰り返してました(笑)。
(アイアム最後の月のカレンダー)
デジタル作業に関しては、トーンはアナログの応用ですし、あとは職場のルールに則っての事務的な作業でしたので、覚えてしまえば決して難しい仕事ではありません。もちろん相当努力はしましたが(笑)。
仕事時間は昼の12時から、夜の7時で終わる時もあれば、翌朝7時8時までなんて事も。月平均で20日前後は入っていたと思います。基本的に全員日帰りなんですが、徹夜の時は本当にしんどくて、ここだけの話「昭和かよ!」と思いました(笑)。
仕上げ日が週に1回必ずあって、MAX27時間くらい作業をした事もあります。もちろん途中で休憩時間は何度かあります。 ただ、マンガ業界では割と起こり得る話ですし、決してブラックとは思わずに働いてはいました。その思考が今考えるとヤバいですが(笑)。
⑥ 朝基まさし先生と花沢建吾先生。お二人の仕事ぶりや人間性、忘れられない思い出などありますか?
朝基先生に関しては、「若い」「マジメ」「繊細」という印象です。
まず外見が、出会った頃から20年以上経つんですがほぼ変わってません(笑)。世間では「荒木飛呂彦先生」が若さを保っている代表的なマンガ家だと言われていますが、自分的には朝基先生が最強だと思っています(笑)。一切メディア露出されない方なんで、分かって頂けないのがとても残念です(笑)。
あとはマジメな印象も強いですね。ほぼ原稿を落としたことがないですし。ただご本人はそういうイメージを編集者にも持たれるのが嫌だったみたいで、わざと1回原稿を落とすのを目の当たりにしたことがあります(笑)。
マンガに対する姿勢はマジメでしたが、自分らスタッフへは気さくに話して下さいますし、色々なマンガ家さんとお話しさせて頂く機会がありましたが、緊張しない空気を醸し出しているマンガ家としては第1位だと思います。それ故に、自分より後輩のスタッフがぞんざいな態度で接する場面もありましたが、自分的にはそれが許せませんでした。「ちゃんと先生を立てろよ」と(笑)。自分的には、そこの気遣いに関しては過去のアシスタントも含めて、一番出来ていたと思います。ただ、それが通じている感じは残念ながら1ミリも感じませんでした(笑)。
朝基先生は「ガラスのハート」の持ち主だとも思っています。ある日単行本の表紙打ち合わせを電話でしてた事があって、その時に編集者と揉めていたんです。ふと手元を見ると、手を小刻みに震わせていたのが印象的でした。
あとは、スタッフを怒ることはほぼない先生ですね。作画で失敗しても怒られた記憶はないです。一番最初の最初に託された背景画で「こんなのも描けないの??」という強烈な一言を浴びたことはありましたが(笑)。 でも、それは自分があまりに出来なかったから仕方のないことです。
そんな先生を激怒させたのも、朝基スタジオでは自分しかいないと思います(笑)。詳細は長くなるんで割愛しますが、「背景画を拒否する事件」を起こしまして(笑)、「前代未聞だ」と言われました(笑)。 他にもあるんですが、その話はいずれまた(笑)。
いずれもその後和解し、今でもたまに会ったり、いつでも連絡取れるくらいな関係を築かせて貰ってるのでご安心を。
そんな紆余曲折あった朝基スタジオでは「ドラマ撮影」にもお邪魔させて頂く機会があって、「サイコメトラーEIJI2」「クニミツの政」を見学する事が出来たんです。今では大御所監督である堤幸彦監督やTOKIOの松岡くん、当時若手俳優だった押尾学、伊東美咲、佐々木蔵之介氏らを生で見られたのも、ミーハーな自分としては嬉しかったです。
さらには、毎年年末になると講談社マンガ部の忘年会が帝国ホテルであったんですが、歴代ミスマガジンの水着姿を最前列で見られたのも興奮しました(笑)。
あと忘れられない思い出といえば、「サイコメトラーEIJI」の連載終了とともに行ったハワイ旅行ですね。先生含めスタッフと編集さんで行ったんですが、初海外・初ハワイを無料で、しかも現地では美味しい食べ物をたくさんご馳走にもなり、それはそれは楽しかったのを覚えています。
(EIJI連載終了時の慰安旅行)
花沢先生に関しては、「そのまま」「命を削ってる」「イケメン」というイメージです。
まず「アイアムアヒーロー」の主人公である「鈴木英雄」のモデルが花沢先生ご本人ということもあって大分近いイメージでした。ただ、深くお付き合いするうちに、両者の違いは多少感じられるようにはなりました。実際花沢先生曰く「自分と英雄は全然違う」とも仰ってましたし。とは言え、英雄が部屋に鍵を何重にも掛けているのに対し、花沢先生も職場のセキュリティーをかなり厳重にしていたのも事実ではあります(笑)。
仕事に関してはとても熱心で、今まで一緒に仕事をさせてもらったどのマンガ家さんよりも、ストイックに作品と向き合っていた気がします。例えば、自分たちスタッフが休みの日も、先生は毎週のように作品に使う写真を自分で撮りに行かれてましたし。毎日スタッフが帰った後も作業をしてる感じが伺えました。なので仕事中は基本的にいつも疲れた感じで小声ですし、「命削ってマンガを描いている」という印象を強く受けました。
よくTwitterやインスタで垣間見る大物マンガ家の余暇は、本当にごくごく稀にする贅沢の一端なんだと思います。
あとはとにかく心がイケメンですね。何かのお祝い事などがあった時、すごく自分の事のように喜んで下さいますし、それに伴うご祝儀なども、こちらが心配になるくらい気っ風(きっぷ)がよいです。人のためにする事が嫌味じゃなく気持ちよく映る人。こういう聖人がたまにいますが、花沢先生がまさにそれでした。
仕事外ではもの凄くお優しく、お酒の席では“兄貴”と呼びたくなるくらい距離を縮めて下さいました。自分がカラオケが好きだと言うと、ご自身はあまり行かれないのに連れて行って下さいましたし、職場にある先生の持ち物も、欲しいと言えばなんでもくれそうな雰囲気でした。自分は遠慮してあまり言い出せませんでしたが(笑)。
(アイアム忘年会in浅草今半)
他方で、仕事中とプライベートの人格が正反対の人でもありました。どのマンガ家さんも、多少なりともそういった側面はありますが、花沢先生の“スイッチ”は分かりやすかったです。自分はあまり人に緊張しないタイプなんですが、仕事中は「レヴェナント」という映画に出てくる“大熊”と対峙してるくらいの緊張感がありました(笑)。
花沢先生ご自身も「そういう性質ゆえに迷惑を掛けた」なんて事を後の懇親会でスピーチされていましたが、自分は全く迷惑だと思ったことはありません。むしろそれくらいの“鋭利さ”がないと、一流のマンガ家にはなれないと思ってましたし、そういう感性がビンビンに尖ったところが魅力の1つだと感じてました。元々ファンで花沢先生の職場に自ら応募しましたが、出会ってさらに好きになったのは花沢先生だけです。
(アイアム懇親会in帝国ホテル)
忘れられない思い出は、「年齢詐称事件」「すべてはスタッフのため」でしょうか(笑)。
実はアイアムの職場に入るにあたり、どうしても採用して欲しかったんで、提出した書類に年齢をだいぶ誤魔化して書いたんです(笑)。労働基準法とか無視の業界なんで、だったらこっちも正規の入り方なんてしてたら損ですからね。 完全実力主義の世界でもありますし、入って“コイツ使える”と思わせれば雇って貰える、そういう目論みも当然ありました。
そして、採用後の確定申告の時にすぐバレたんです(笑)。当然もうクビだと思ってすぐ謝罪して辞めるつもりでした。でもその時に言って下さった一言が「うちに来てくれてありがとう」だったんです。「この人なら抱かれてもいい」と思ったのと同時に、「一生懸命仕事してお役に立ちたい!恩返ししたい!」そう強く決意させられたのを今でも覚えています。
そこでの心残りが1つあって、スタッフ仲間にも当然年齢のことは黙って働いていたんで、バレた時に謝ろうと思ったんです。でも、アシスタントチーフでもある花沢先生の奥さんに「言わなくてもいいんじゃない?」と言われて。それでも言えば良かったんですけど、そのまま黙っていることにしたんです。
なので、この場を借りて謝りたいと思います。
スタッフの皆さん、今日まで黙っててスミマセンでした。
そして、花沢先生にもたくさん色々な経験をさせて貰ったのですが、それがすべて「スタッフが巣立った時に役立つように」というメッセージが込められているんです。例えば「超一流ホテルの最上階での食事」だったり、「ジビエ料理体験」「有名料亭での食事」だったりも、「非日常体験」をさせることで「自分のマンガに活かしなさい」という毎回そんな優しいメッセージ付きなんです。実際に言われたわけではないです。なので、MAX27時間徹夜勤務に関しても、「スタッフに経験させる」という側面も大分あったと思います。
(ジビエ料理体験中の森路さん)
⑦ 森路さんが関わった漫画で思い入れのあるマンガと好きなシーンはありますか?
一番長く携わらせて頂いたのが朝基先生の職場なので、必然的にその中からになってしまいますが、中でも「IWGP電子の星」は完全に立ち上げから終わりまで関わったので、思い入れは強いです。
「EIJI」も途中からですし、実は「クニミツ」も途中ちょこちょこ抜けたりしたんです。「シバトラ」も最後までいなかったので、「IWGP」時にタイトルのロゴを決める段階から見られたのは貴重でした。ちょうどその頃、立場上一番上になっていたので先生の次に色々と出来る立場になったのも大きいと思います。
好きなシーンは、やはり自分が描いたシーン全てです(笑)。それを抜きにするならば、「アイアム」でスペインが出る回があるんですが、そこにガスマスクを付けた顔だけのゾンビが登場するんですね。アイアムの現場では、フキダシは最後に先生が配置等を決めるんで、スタッフは「セリフなしフキダシなし」の状態で作画作業をしていくんです。で、ひたすらそのゾンビの背景を描いていて、暫くしてゲラ原稿が届いてみたら、そいつがめちゃくちゃお喋りな奴で、自分らの描いた背景画がほぼフキダシで消えてたんです(笑)。思わず職場で読んでて吹き出しちゃいました。でもこれは嫌なことじゃなくて、自分が描いたシーンに意外なセリフが入ってたりするのは楽しかったです。
今回インタビューを受けて頂いたマンガ背景.net 森路雄斗さんの関連リンクはこちら!
・マンガ背景.netのHP⇒ https://mangahaikei.net/
・Twitter⇒ https://twitter.com/moriji_yuuto
・YouTube⇒ https://www.youtube.com/channel/UC5SA6a_9VPogT_FQomwKikw/videos?view_as=subscriber
・instagram⇒ https://www.instagram.com/mangahaikei/
(文責 デイリーチャンネル編集部)
https://note.com/dailychannel365/n/n1e4ce827ebe5
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