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PISA成績を報道するメディアから分かる日本の異質な文化

 12月6日の新聞では、日経、産経、読売の各社が、2022年のOECDによる国際的な生徒の学習到達度調査PISA(ピザ)の結果を取り上げた。

 この調査は3年おきに実施され、2021年はコロナの影響で中止、1年繰り越して2022年の実施になった。対象は81カ国・地域の15歳、計約69万人、日本からは約6000人の高校1年生がPISAを受けた。

 6000人を調査したというのは妥当な人数であると言える。著書「統計学が最強の学問である」(西内啓、ダイヤモンド社)より、全体の0.5%の人数だけを調べることで、全数調査(日本のすべての高校一年生を調査)をした場合と比較すると、標準誤差を約2%に抑えることができるという。2023年3月に卒業した高校3年生は全国で109万7,148人であるので(以下のHP参照)。よって高校1年生の人数は同数、または少子化を考慮、また計算のしやすさも兼ねて100万人とする。すると、その0.5%は5000人となり、日本全国の高校1年生を対象にした学力調査と標準誤差約2%の結果を得ることが可能になる。

 話を元に戻す。

 結果として日本は、読解力が3位(15)、数学的応用力が5位(6)、科学的応用力が3位(5)、(カッコ内は前回の順位)となった。この結果に対し、各新聞社は、「15歳の読解力15位から3位に回復」「日本、読解力3位に改善」などというタイトルで取り上げた。

 著書「日本辺境論」(内田樹、新潮新書)より、どうやら日本には他国との比較でしか自国を語れない、という文化があるらしい。オバマ大統領の演説のあと、感想を求められた当時の日本の総理大臣は「世界1位と2位の経済大国が協力してゆくことが必要だ」というコメントを出した。という。

 これは総理大臣に限らず日本人全体の国民性であると言える。日本ではなぜか、どんな仕事をしているのかではなく、どこの企業で働いているのかを気にする。大学で何を学んでいたのかではなく、どこの大学を出ているのかが重視される。早慶を出ていたら、「頭いいんだね、賢いんだね」という考えになり、日東駒専を出ていたら。「MARCHの下か」といった反応になり、そこで何を学んでいたのかは、ほとんどの人が注意を向けない。これは日本特有の文化である。

 日本と違う文化を持つ国の一例として、フィンランドを挙げる。フィンランドは2018年、2019年に幸福度ランキングで世界一になり、また、PISAでも上位に入っている国である。著書「フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか」(堀内都喜子、ポプラ新書)より、フィンランドの大学には偏差値による階級が存在しないという。学校名によるレッテルがないので、個人が何を学び、何を選択するか、もっと自由に考えることができるという。

 日本が他国、他人との比較でしか自国、自分を語れないというのはとても悲しい現実である。かく言う私も、日本とフィンランドを比較しているのででかい態度は取れない。しかし、たとえ2018年に日本が読解力15位であったとしても、81カ国・地域で15位なんだから誇らしいことだし、その順位に固執することに意味はあるのかと疑問に思う。順位が上がろうが下がろうが、代替不能な日本の存在価値は変わらない。日本人に必要なのは、他と比較しなくても存在意義を見失わない個の精神ではないか。

参考文献
日本経済新聞、産経新聞、読売新聞(12月6日)
「統計学が最強の学問である」(西内啓、ダイヤモンド社)
「日本辺境論」(内田樹、新潮新書)
「フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか」(堀内都喜子、ポプラ新書)

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