幼少期に初対面の大人のオーバーな反応が苦手だった

最近縁があって、お菓子食べる集まりにたまに参加してて、そこに小さい1歳~3歳ぐらいの子供がくる。

幼い子供がいると、それ専用の声色を出す大人の女性とか、まあたまに男性もいたりして、幼い子供とその大人がいる空間にいるのが苦手やなって気づいた。(てか、子供に対してあの声色を出すってどういう意味なんやろな。誰が始めたん?あれ。ちなみに意味が分からんから苦手ってことではない。)

一応表面上は俺も声色を若干変えて子供に接するけど、それは子供のことを考えてというよりは、周りの大人から信頼ポイントを稼ぐためにやっていた。ん〜苦痛。多分その子供にはバレてる。余計に苦痛。

な〜んで苦手なんやろうなって思ってて、子供が嫌いなんかなとか考えてたけど、そうじゃなくて過去の自分の経験とそれにまつわる感情の抑圧が原因やった。(たどり着いたきっかけは後述。)

俺には結構年上の姉がいて、俺が3歳の時にはすでに中高生だったから、姉の文化祭とかなんかの発表会とかに親に連れられることが多かった。

そこで、初対面で中学生高校生の女性から、その幼い子供に向けた反応を俺がめちゃくちゃ喰らってた。

で、この反応が正直鬱陶しくて、なんやこいつらって思っていた。

考えて欲しいんやけど、初対面でさ、急に声色変えてハイテンションで関わってくる人って、どれだけ美人でもイケメンでも恐怖じゃね?

でも、子供ってすごく無力やし、周りの大人に可愛がられんと生きていけんみたいなところがあるから、その不快感を押さえ込んで、ニコニコ黙っていた。

ニコニコ黙っていると周りの女性から「カワイイ〜〜」(伸ばし棒が2本なのがポイント)と言われてその場はなんか丸く収まるし、まあそうやってどうしたらいいか分からん、安心感のない場面を乗り切っていた。

で、ニコニコ黙っている時って不快感を感じないように、自分が持っている不快感を無意識まで押し込んでいたんよな。(そんなこと出来る人間ってすごい。)

で、その無意識の領域に、自分が本来感じていた感情を抑圧して、それが大人になった今まで続いていたことが、俺が幼児と大人がいる空間が苦手な理由であった。

ちなみに、この現象については、心理学者の加藤諦三先生がyoutubeで解説してくれてるから、興味のある方はぜひ。


その空間にいると、その子供に投影を起こして、自分が苦しかった経験が想起されていた。その子供に自分を見出していた。(まあこれはちょっと難しいかも。詳しくは投影とか抑圧とかで調べてみてください。)
ただ、無意識に抑圧した感情が出てくる時ってモヤモヤ〜としたもので、ここまで言語化することはほとんど無理だったりする。

これが分かった理由・きっかけは、行きつけのカフェ(かっこいいやろ)で、心理学の勉強をしていたら(かっこいいやろ)、俺の幼少期の経験を思い出したのちに、フッと体感覚で理解できたから。

そういう空間が苦手って分かったってのは、自分にとってはポジティブで、それについて悩むことが無くなるから、気づくだけでも楽になれる。悩むって労力結構使うしな。あと、悩んで苦しんでる時って非言語コミュニケーションで周りの人間に伝わってて、苦しんでる人って心が健康な人から敬遠されがちやから、そういうデメリットが減らせるのも嬉しい。

今度からそういう空間に居合わせたら、俺は自分がされて不快だったことをなるべく他人にはしたくない主義だから、目線を合わせていつもの声で子供に挨拶しようと思った。

そんで、自分の幼少期の感覚を目の前の子供に当てはめずに、もしかしたら目の前の子供は大人からそういう反応をもらって嬉しい可能性もあるから、その子供も大人もそっとしておこうと決めた。



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