自殺についてぼんやりと考えていた

眠れない時に自殺と検索ワードに入れる。かれこれ5年ぐらいのクセ。

検索結果には、死にたい人とか死んでみようとしたけど死ねなかった人とか、死んだ人の家族とか、なんかの機関とか出てくる。

死にたいと言っている人は俺からしたら正常に見える。むしろこんな世界で正気を保って週5で働いている人のほうが訳がわからない。

検索していて5年もの間に変わったことといえば、安易に死ぬなとか励ますようなことを言っている人が減ったと思う。まあまだいるけど。

死にたいと言っている人に励ましてはいけないというのがどこからか流れてきて人の目に入って、それがSNS上では急速に広まったのだろうか。

今日もどこかで誰かが自殺するのだろう。年間2~3万人だからな。もしかしたらこの瞬間に誰かがひっそりと、または盛大に自殺したかもしれない。

正直まあ他人が死のうが知ったこっちゃない。実際のところみんな自分の生活でいっぱいなのだ。自分の感情は自分で面倒見て欲しいし、無理なら病院とか然る機関に行って欲しい。

まあ他人に助けてもらうというのも生きていく上では大事だけど、自殺希望の方ってどうしてもその他人の選び方が下手くそなんだよな。
そいつに助けてもらおうとしても無理だろうってのに行ってしまう。まあ死にたいと思ってる脳が正常な判断を下せる訳がないので当然の結果なのだが。

俺は自殺しようと思っても恐怖が余裕で上回って出来なかったけど、もしそうじゃなかったら死んでたと思う。あの頃の自分を此岸に繋ぎ止めたのはなんだったんだろう。今でも確信を持てるものはない。生物としての本能が恐怖を生み出していたのが解答の第一候補ではあるけど。

まあ死なずに生きてきてだいぶん人間というものがわかってきたと思う。全体からすれば微々たるものだろうけど過去の自分と比較しての話で。なんかこういう言い方をするとお前はまだまだわかっていないとかいう大人いるよな。死ねばいいのに。

そういえばこの前行ったバーで話したおじさんの話がつまらなかったな。
俺は若い人と話したいんだ!とかいいながら自分語りばっかりで、若い人と話したいと思うのがカッコいいと思っているタイプの老害なんだな〜って思っていた。実際は若い人と話したいなんて思っていなくて(そのことに自分で気づいていない)自分の話を聞いてくれる都合のいい人間が欲しいだけなんだろうな。可哀想だな。まあ今の日本社会・世間の言うとおりに生きていたらそらそんな人間になるわな。てかさっきからおなら止まらんわ。いっぱい出しとこ。

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