福音の真理のことば

[コロサイ人への手紙 1:4,5]
キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。
それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。


信仰、愛、希望と聞いた時に、聖書をよく知っているクリスチャンの方は、1コリント13:13を思い出すであろう。
[コリント人への手紙 第一 13:13]
「こういうわけで、いつまでも残るのは信仰と希望と愛、これら三つです。その中で一番すぐれているのは愛です。」
だから愛が一番すぐれているから愛があればいいんだ!と単純に思うわけだ。
間違ってはいない。
使徒パウロが言っているし、聖書に書いてあるから。
ただ私たちが忘れてはいけないのは、信仰と希望も同じように大事なものだということだ。
なぜ大事か?
それは、前述されているように
いつまでも残るものだからである。

次の聖書箇所をもう一度見てほしい。
[コロサイ人への手紙 1:4,5]
キリスト・イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対してあなたがたが抱いている愛について聞いたからです。
それらは、あなたがたのために天に蓄えられている望みに基づくもので、あなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞きました。

つまり、信仰と愛は希望に基づくものだと書いている。希望は信仰と愛があって生まれるのだ。
逆も然りだ。信仰と愛があっても、希望を覚えなければ価値はない。なぜなら希望もいつまでも残るモノだからである。
マルティンルターは言った。
「いくら信仰が篤くても、希望がなければ何の価値もない。希望はいつまでも人と共にあって、悪と不幸を克服するからである。」
では、希望とはなんであろう。
コロサイであなたがたはこの望みのことを、あなたがたに届いた福音の真理のことばによって聞いたとパウロはコロサイの信徒たちに言っている。
つまり、福音の物語だ。
イエス様が十字架で僕たちの為に、死んで下さったこと、3日目に死を打ち破って復活して下さったこと、昇天され、今も神の御座の右に着座されているということ、そしてまた来られるということ。
これこそが希望である。

過去の偉大なる信仰者たちも希望が原動力だったに違いない。この世は霊的な戦いの連続だ。
邪悪な時代に生きてるかもしれないが、私たちの国籍は天にある。だから迫害されるし、うまくいかないときの方が多い。
でもそんな時に希望を忘れずに歩みたいものだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?