なすべき良い事を行わない
[ヤコブの手紙 4:17]
こういうわけで、なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行
昨日の出来事だ。
私は大阪の御堂筋線のとある駅のホームで電車の到着を待っていた。一つ前の電車に乗り遅れたこともあって先頭で待っていた。
左側から「ガタンゴトンッ」
ようやく電車が到着し、扉が私の目の前で止まった。
すると、30代くらいだろうか?
2人組の女性が列を遮って、私の前に無理矢理入り込んできたのである。
私は思わず笑ってしまった。
「この人たちはどういう神経をしているのか?笑」
私の他に待っている人たちの様子を確認しようと後ろを振り返ると、全員が明らかに嫌な顔をしていた。
そして、電車の扉が開く。
私は女性2人組に絶対に席を取られたくなかった。
ルールを無視し、不正をする者どもに座る資格などないと、その時は本気で思っていた。
扉が開くと同時に私はすぐさま客席を確認した。
3人用の客席が右側にそしてその向かい側にあった。
扉側の3人用客席には空席が2箇所。
その向かい側の3人用客席の空席はど真ん中の1箇所。
咄嗟に私は頭を働かせ考えた。
「2人組で先頭に割り込んできたということは必ず2人隣同士並んで座りたいはずだ。だから自分が座るべき場所は扉側の3人用客席の空席2箇所のどちらかだ。これが成功すれば、彼らの不正は水の泡になる。絶対に奴らに座らせるものか。不快な思いをした後ろの皆さん、見ていてください。私が仇を討ちます。」
そんな思いで強引に座りに行った結果、
作戦成功だ。
2人組の女性は私の顔を見て、不愉快な表情を浮かべた。
だが私にとってそれは全く気にならなかった。
むしろ、ざまぁみろという気持ちでいっぱいだったのが本音である。
扉が閉まり、車内アナウンスが流れ、車内が静寂に包まれた途端、我に帰った。
「オレはいったい何をやっていたんだ。」
冷静になってはじめて、自分の器の小ささを痛感したのである。1人で恥ずかしくなり、思わず眠たくないのに寝たフリをしたほどである。
どんなに目の前の人が悪人であれ、席を譲ったほうが神は喜ばれると私は思う。
なぜなら、イエスが私たちに見事な見本を見せてくれたからである。
汚い心を持った私たち人間のために、イエスは私たちの代わりに十字架で死んでくださったのだ。
私が電車内でした策略と行動は、罪である。
ほとんど復讐に近いものである。笑
きっとイエスなら、どんな悪人でさえも赦し、復讐は天の父にお任せし、笑顔で女性2人組に席を譲るであろう。
神を信じ、みことばを読んでいるのに、みことばが実生活の中で働いていない。
まさに、次のみことばの通りである。
「なすべき良いことを知っていながら行わないなら、それはその人には罪です。」
今日も私たち、なすべき良いことを行うことができるように祈っていきたいものである。