行動だけでなく、心の動機も

[民数記 22:1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24,25,26,27,28,29,30,31,32,33,34,35]

イスラエルの子らは旅を続け、ヨルダンのエリコの対岸にあるモアブの草原に宿営した。
 ツィポルの子バラクは、イスラエルがアモリ人に行ったすべてのことを見た。
モアブは、イスラエルの民の数が多かったので非常におびえた。それでモアブはイスラエル人に恐怖を抱いた。
モアブはミディアンの長老たちに言った。「今、この集会は、牛が野の青草をなめ尽くすように、われわれの周りのすべてのものをなめ尽くそうとしている。」ツィポルの子バラクは当時、モアブの王であったが、
同族の国にある、あの大河のほとりのペトルにいるベオルの子バラムを招こうと、使者たちを遣わして言った。「見なさい。一つの民がエジプトから出て来た。今や、彼らは地の面をおおい、私の目の前にいる。
今来て、私のためにこの民をのろってもらいたい。この民は私より強い。そうしてくれれば、おそらく私は彼らを討って、この地から追い出すことができるだろう。あなたが祝福する者は祝福され、あなたがのろう者はのろわれることを、私はよく知っている。」
 モアブの長老たちとミディアンの長老たちは、占い料を手にしてバラムのところに行き、バラクのことばを告げた。
バラムは彼らに言った。「今夜はここに泊まりなさい。主が私に告げられるとおりに、あなたがたに返答しましょう。」モアブの長たちはバラムのもとにとどまった。
神はバラムのところに来て言われた。「あなたと一緒にいるこの者たちは何者か。」
バラムは神に言った。「モアブの王ツィポルの子バラクが、私のところに使いをよこし、
『今ここに、エジプトから出て来た民がいて、地の面をおおっている。さあ来て、私のためにこの民に呪いをかけてくれ。そうしたら、おそらく私は彼らと戦って、追い出すことができるだろう』と申しました。」
神はバラムに言われた。「あなたは彼らと一緒に行ってはならない。また、その民をのろってもいけない。その民は祝福されているのだから。」
朝になると、バラムは起きてバラクの長たちに言った。「あなたがたの国に帰りなさい。主は私があなたがたと一緒に行くことをお許しにならないから。」
モアブの長たちは立ってバラクのところに帰り、そして言った。「バラムは私たちと一緒に来ることを拒みました。」
 バラクはもう一度、先の者たちよりも大勢の、しかも位の高い長たちを遣わした。
彼らはバラムのところに来て彼に言った。「ツィポルの子バラクはこう申しました。『どうか私のところに来るのを断らないでください。
私はあなたを手厚くもてなします。また、あなたが私に言いつけられることは何でもします。どうか来て、私のためにこの民に呪いをかけてください。』」
 しかし、バラムはバラクの家臣たちに答えた。「たとえバラクが銀や金で満ちた彼の家をくれても、私は私の神、主の命を破ることは、事の大小にかかわらず、断じてできません。
ですから、あなたがたもまた、今晩ここにとどまりなさい。主が私に何かほかのことをお告げくださるかどうか、確かめましょう。」
夜、神はバラムのところに来て、彼に言われた。「この者たちがあなたを招きに来たのなら、立って彼らと一緒に行け。だが、あなたはただ、わたしがあなたに告げることだけを行え。」
 バラムは朝起きて、自分のろばに鞍をつけ、モアブの長たちと一緒に行った。
しかし、彼が行こうとすると、神の怒りが燃え上がり、主の使いが彼に敵対して道に立ちはだかった。バラムはろばに乗っていて、二人の若者がそばにいた。
ろばは、主の使いが抜き身の剣を手に持って、道に立ちはだかっているのを見た。ろばは道からそれて畑に入って行ったので、バラムはろばを打って道に戻そうとした。
すると主の使いは、両側に石垣のある、ぶどう畑の間の狭い道に立った。
ろばは主の使いを見て、石垣にからだを押しつけ、バラムの足を石垣に押しつけたので、バラムはさらにろばを打った。
主の使いはさらに進んで行って、狭くて、右にも左にもよける余地のない場所に立った。
ろばは主の使いを見て、バラムを乗せたまま、うずくまってしまった。バラムは怒りを燃やし、杖でろばを打った。
すると、主がろばの口を開かれたので、ろばはバラムに言った。「私があなたに何をしたというのですか。私を三度も打つとは。」
バラムはろばに言った。「おまえが私をばかにしたからだ。もし私の手に剣があれば、今、おまえを殺してしまうところだ。」
ろばはバラムに言った。「私は、あなたが今日この日までずっと乗ってこられた、あなたのろばではありませんか。私がかつて、あなたにこのようなことをしたことがあったでしょうか。」バラムは答えた。「いや、なかった。」
 そのとき、主はバラムの目の覆いを除かれた。すると彼は、主の使いが道に立ちはだかり、抜き身の剣を手に持っているのを見た。彼はひざまずき、伏し拝んだ。
主の使いは彼に言った。「何のために、あなたは自分のろばを三度も打ったのか。わたしが敵対者として出て来ていたのだ。あなたがわたしの道を踏み外していたからだ。
ろばはわたしを見て、三度もわたしから身を避けた。もし、ろばがわたしから身を避けていなかったなら、わたしは今すでに、あなたを殺して、ろばを生かしていたことだろう。」
バラムは主の使いに言った。「私は罪を犯していました。あなたが私をとどめようと道に立ちはだかっておられたのを、私は知りませんでした。今、もし、あなたのお気に召さなければ、私は引き返します。」
主の使いはバラムに言った。「その人たちと一緒に行け。しかし、わたしがあなたに告げることばだけを告げよ。」そこでバラムはバラクの長たちと一緒に行った。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

 この22章のざっくりとした流れとしては以下のようなストーリーだ。
イスラエルの民は、約束の地であるカナンを目指す途中、モアブの草原に宿営していた。
そこで、モアブの王バラクがイスラエルの民に侵略されることを恐れ、魔術師であったバラムという男にしがみつく。
バラムは、他の人々に呪いをかけることができる魔術師だったそう。呪いや祝福を信じることは当時の時代では一般的であった。それゆえモアブの王であるバラクは、魔術師バラムの力を使って、イスラエルの民を呪い、イスラエルの神である主がイスラエルの民から背を向けるように仕向けようと試みた。
そして、バラムはバラクの頼みを一度断るも、2回目の頼みが功を奏してモアブに出発することを決める。そのモアブに行く途中に、神の御使いが現れ、バラムの乗っていたロバとの口論を通して、バラムが悔い改めるという箇所だ。

このバラム物語から学ぶ教訓は、
「行動も大切だが、心の動機の方が大切である」
ということだ。

新約聖書にはバラムに関する記述が2箇所存在する。
1箇所目はペテロの手紙第二2:15〜16。
「彼らは正しい道を捨てて、さまよっています。ベオルの子バラムの道に従ったのです。
バラムは不義の報酬を愛しましたが、自分の不法な行いをとがめられました。口のきけないロバが人間の声で話して、この預言者の正気を失ったふるまいをやめさせたのです。」
2箇所目はユダの手紙1:11。
「わざわいだ。彼らはカインの道に行き、利益のためにバラムの迷いに陥り、コラのように背いて滅びます。」
ここから読み取れるのは、新約聖書ではバラムが非難されているということだ。
それも、不義の報酬や利益のために行動したことだと書かれている。
22章の前半だけ見ると、神に従順な預言者であるかのように見えるが、実はそうではなかったのだ。外見は霊的な見かけを装っていながら、内面の生活や心の動機は腐敗していた。
神への服従と利益という二つの動機が入り混じる信仰者がバラムであった。
 
 私たちもこのバラムから習い、気をつけなければならない。神のみこころだと言って外面は霊的に装っていても、私たちの心の動機は利益を貪る醜い姿かもしれない。
エレミヤ書の17章にあるように、
「人の心は何よりもねじ曲がっている。それは癒しがたい」のだ。
私たちは日々、私たちの心を探らなければならない。心を探り、心の奥を試し、それぞれの生き方により、行いの実にしたがって報いる我らの主から目を離さないでいよう。


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