毎日がテスト

[へブル人への手紙 12:10,11]

肉の父はわずかの間、自分が良いと思うことにしたがって私たちを訓練しましたが、霊の父は私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして訓練されるのです。
すべての訓練は、そのときは喜ばしいものではなく、かえって苦しく思われるものですが、後になると、これによって鍛えられた人々に、義という平安の実を結ばせます。

聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会 

神への信仰を持って生活するときに、実際に神の約束をこの目で見ることができない場合がある。
例えば、モーセは信仰においては神からの称賛を受けたが、約束の地であったカナンに入る前に昇天してしまい、自分の目で神の約束の成就を見ることができなかった。

ヘブル人への手紙11章では、このモーセのような信仰者が沢山いたことに触れている。
キリストについて預言したり、宣べ伝えたり、証したが、神が救い主キリストを私たちのために贈るという約束を見ないまま死んでいった人たちが多くいたということだ。

私たち信仰者の歩みとは、実際は神の約束とは正反対に思える場合が多くある。
言い換えれば、苦しみに満ちた歩みである。
神のために正しいことをしているにも関わらず、悲しい出来事やがっかりするような出来事の連続の人生と言っても過言ではない。
そのようなマイナスと思える場面に出くわせば出くわすほど、神への信仰が徐々に揺らぎ始めるのだ。
つまり、試練によって信じるという行為そのものが試されるのである。
神が私たちひとりひとりのために特別なご計画をお持ちであられ、約束を破らない誠実なお方であることを認めている反面、同時に「本当にそうなのか?」という疑いが生じてしまうのが信仰者の現実であろう。
その神の約束への疑いの積み重ねが不信仰へと繋がっていくのだ。

では、私たち信仰者はどのようにその疑いを対処していくのか?
ヘブル人への手紙によると、
それは忍耐であると教えている。

[へブル人への手紙 10:36]

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。

忍耐。それは令和に生きる私たちにとって、程遠い言葉であると思える。
現代社会の風潮はスピード主義である。
会社では、すべてのことにおいて生産性向上が求められる。少しでも非効率と思われる行動をとれば、上司から指摘を喰らう。
私生活では、エレベーターの扉が自動で閉まるわずか2〜3秒ですら待てないありさまである。
現代人は基本的に待つこと、忍耐ができなくなっている。
聖書はそんな忍耐できない私たちにチャレンジを与えている。「忍耐しなさい。」と。
普段の生活や仕事の中で、ほんの些細なことも忍耐できない者が、神の約束など到底待てないであろう。
キリストが地上に来られ、天に上られてから神から私たちへの約束は、またイエスが来られるということだ。その約束を忍耐を持って、待たなければならない。
私たちはまず、小さなことから始めたい。
待つことに慣れていない人間が、いつ訪れるかわからないキリストの再臨を到底待つことなど不可能である。だからこそ、小さく始めよう。
エレベーターの閉ボタンを連打しない。
休日には生産性のことなど考えない。
そのような小さなことができるようになれば、聖霊によってきっと忍耐力は身に付いていくであろう。
毎日が神からのテストだ。
今日も忍耐を働かせ、
キリストの再臨を待ち望みたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?