妨害者
[エズラ記 4:1,2,3,4,5]
ユダとベニヤミンの敵たちは、捕囚から帰って来た人々がイスラエルの神、主のために宮を建てていると聞いて、
ゼルバベルと一族のかしらたちのところに近づいて来て言った。「私たちも、あなたがたと一緒に建てたい。私たちは、あなたがたと同様、あなたがたの神を求めたいのです。私たちをここに連れて来たアッシリアの王エサル・ハドンの時以来、私たちはあなたがたの神に、いけにえを献げてきました。」
しかし、ゼルバベルとヨシュアと、そのほかのイスラエルの一族のかしらたちは彼らに言った。「私たちの神のために宮を建てることは、あなたがたにではなく、私たちに属する事柄です。ペルシアの王キュロス王が私たちに命じたとおり、私たちだけで、イスラエルの神、主のために宮を建てるつもりです。」
すると、その地の民はユダの民の気力を失わせようとし、脅して建てさせないようにした。
さらに、顧問を買収して彼らに反対させ、この計画をつぶそうとした。このことはペルシアの王キュロスの時代から、ペルシアの王ダレイオスの治世の時まで続いた。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ユダとベニヤミンの敵たちというのは、のちにサマリヤ人と呼ばれる民族である。新約聖書を見れば、ユダヤ人とサマリヤ人との関係は最悪であるのが見て取れる。ユダヤ人はサマリヤ人と話すことですら許されていなかったほど、サマリヤ人に対する差別が酷かった。
一見、彼ら(のちのサマリヤ人)のほうから歩み寄り、「一緒に働きましょう」と言ったことから
受容的かつ寛容的に聞こえる。ゼルバベルたちが排他的に思える箇所だが、本当は逆である。
総督ゼルバベル、大祭司ヨシュア、そしてその他のイスラエルの指導者たちは、彼らの本当の姿を知っていた。彼らは本当に唯一の神を求めていなかった。儀式的に神の名前を使っているだけであり、人間が作った沢山の神々を信じる混合宗教を行なっているにしか過ぎない偶像礼拝者たちであった。ゼルバベルたちはそんな彼らから激しい妨害を受ける。
主のみこころを行う上で、あるいは正しいことを行う上で、失望と恐れは大きな障害となる。
大抵それらは予期せぬ時に起こる。
キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受ける (Ⅱテモテ3:12)。
不信仰者や悪の力は、神やその神を信ずる者たちに常に反抗して働くものである。
失望は意欲を蝕み、恐れは私たちの行動に制限をかけようとする。その結果、私たちのやる気は消沈し、何もできなくなる。
そんな悪の策略と攻撃に遭っても、怯えてはならない。神が用意された私たちひとりひとりがなすべきことを諦めずに愚直に続けていくことである。悪の攻撃は私たちにはコントロールできない。しかし、私たちにできること(コントロールできる事柄)は何であろうか?と祈り、考え、主から答えを求める姿勢が大事であると思う。