Elvis has left the building
少し前になるのだけれど、ミカエル・アース監督作品「サマーフィーリング」と「アマンダと僕」の2本を深夜に続けて鑑賞しました。
「サマーフィーリング」は夏の喪失。ベルリン、パリ、ニューヨークと場所を変えながら、穏やかに、けれども確かに過ぎていく時間。
彼女のいない夏が今年も来る。
ガールフレンドの突然の死という重いテーマながら、夏のヨーロッパの淡い日差しがすべてを優しく包みこんでくれるように感じる。特にアヌシー湖の映像美はあまりに美しく、思わずため息が出る。
「アマンダと僕」もまた喪失と再生がテーマ。
シングルマザーの姉が無差別テロで亡くなり、残された姪のアマンダと僕、デイビッドはお互いに深い傷を負いながらも健気に生きていく。
映画「グッバイ・ゴダール!」でゴダールのミューズでおなじみのアンヌを演じたステイシー・マーティンが“僕”のガールフレンド役で登場。
公園、坂道と自転車、動物たち。ミカエル・アースが描く日常のひとつひとつが愛おしい。
何かを失っても、それでも人生は続いていくという残酷さと、希望。
「Elvis has left the building(エルヴィスは建物を出た)」というのは、英語の慣用句で、もともとエルヴィス・プレスリーのコンサートが終わっても帰らない観客に向かって、エルヴィスは登場しない、もう望みはないのだという意味で発せられた言葉。
現実的思考の母親に育てらえたアマンダはこの言葉をそういうものだと疑いもせず理解してしまう。
ラストシーンでは、アマンダがあきらめかけて放ったその言葉をきっかけに、物語りに静かに感動が訪れる。
Elvis has left the building でもまだあきらめないで。
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