以下のページに掲載されている、Mateus Nunes による解説文の試訳です。拙いところが多く見受けられるかもしれません。適宜修正、推敲、更新することもあると思います。
Mendes Wood DM New York 27 Jan - 2 Mar 2024 メンデスウッドDMは、Paulo Nimer Pjotaのニューヨークでの初個展「Na Boca do Sol」(ナ・ボカ・ド・ソル)を開催する。この個展タイトルは1972年に発表されたアルトゥール・ヴェロカイ(Arthur Verocai,1945-,ブラジル)の楽曲『Na boca do Sol』に由来し、この曲は「サンプル」として国際的にも、ブラジル国内でもしばしば断片化される。歌詞は、地方の田舎町に育った者の抱く郷愁が伝記的に綴られ、その郷愁の念は、富んだ陽光によって暴かれている。 「暖かな夕日のなかに佇む、空っぽの線路。祖父はいつもその風景について話してくれ、曲を聴くとすぐ思い出します」とPjotaは話す。本展覧会における作品群は、まさしく自伝的な回帰 ──作家の故郷、家族、忘れがたい思い出、これらが初期衝動的かつ闊達なドローイングによって描かれている──と言え、いずれの作品も漏れなくPjotaの故郷であるサンパウロ州サン・ジョゼ・ド・リオ・プレトを懐古している。文学者は、この一連の回帰的動作と懐古心を「ノストス」(ギリシャ語:νόστος)と呼ぶだろう。「ノストス」とは、古代ギリシア文学に見られる物語の原型である。物語では英雄が自宅に戻り、家庭的な風景を夢想し、送るはずのない手紙を心のうちでしたためる描写が見られる。ジョーゼフ・キャンベル(Joseph Campbell,1904-1987,米)による「モノミス」(神話の原形)にならえば、Pjotaの制作の中心にあるのは、未知なる深淵へ飛び込み、のちに帰還し、さらに啓示と償いの瞬間に直面するといった円状の旅路のなかで、再起を決意する英雄像である。「Na Boca do Sol」ではより成熟したPjotaの作品が見られる。しかしこれらの作品は、Pjotaの軌跡を辿り、振り返るには言わば不眠的であり、公にされた歴史のうちに埋もれ、取り残された記憶を掘り起こす力に乏しい。 Pjotaの主な問いは、所謂エリート層と大衆文化表現を歴史上で分断するに至った、階級的な知識体系に向けられている。ステッカーやタトゥー、幼稚園児の落書きといった下位文化(カウンターカルチャー)的表現物と、プレ・コロンビア美術や古代ギリシャの壺などの、学問的に高く評価され、且つ博物館館の基準によって触れることのできない事物。それぞれが抱える「時間性」は異なっているわけだが、これらを同列に並べ、繋ぎ留める試みのために、Pjotaは制作上で斜線的な視線誘導を採用している。彼の作品は、現在、歴史的な聖歌として認められるに至った唱歌の数々が、本来は非公式な集まりのもとで形成されたという事実を呼び起こさせる。《Jardim de faunos》(2023)そして今日、「考古学的」と認められている品々が生産される瞬間には、「瞑想的」(contemplation)「機能的」(function)「献身的」(devotion)という各要素の区分けが存在されていなかった事や、植民地主義(Colonialism)が敷いた差別的な構造は、「放射状に発現する文化の本質」(cultural radiating)を、無菌の人工物に放り込んでは分離させるという悪循環を生んでおり、そしてその手段というのは依然として有用的だと認められている事を示している。作品のように、「歴史のリミックス」を実践することは即ち、覇権主義的で暴力的な文化構造に反抗することを意味し、又、象徴性・精神性・文化的表現の対立関係によって生まれる時間性・歴史性・イメージの必然的な「汚染」(contamination)の保護を意味する。 展示作品において、Pjotaは夢想的かつ幻視的な構図を取り入れることで、より一層の神話的な雰囲気を引き出すことを試みている。西洋文化における神話史が主な関心事であったこれまでの作品群と画し、現在、彼は神話の生むダイナミクスをより自由なアレンジメントへと融合し、昇華させている。かつての作品でも見られた落書きのある都市部の壁の描写にも、儀式的背景を彷彿させる粒状の霧が加わることで、夏至や黄昏時の印象を強めている。絵画上で描かれた象徴が何を表しているのかを追跡、あるいは特定させようとするのではなく──つまり、各工芸品の地理的・文化的起源や、美術史へ直接的な言及を残すのではなく──Pjotaはあくまで視覚体験としての絵画制作に追従しており、鑑賞者には「考古学的指標」に代わって、言わば「残留記憶」(residual memory)としての鑑賞体験を供することに徹底している。夜想的な絵画(《Noite com frutas》,《Noite com Julia》,《Noite e Dionísio》等が該当する。いずれも2023年)では、夢を見ることでしか現実世界へと介入できないとするマヤの信仰観念が強調され、現代精神分析との摩擦構造を想起させる。Pjotaの取り組む図像的構成は、ヒップホップやラップ、R&Bのシーンにおける「ミックステープ」のように、過去に放棄されるのを拒否し、現在へと繰り返し浮上するような形で──それが「ミックステープ」の抱える特質であり、あたかも、「歴史」そのものが時折発する症状のひとつと捉え──展開されている。 絵画背景を平面的に広がる薄い層のテンペラは、作家自身の大振りな動作を窺わせるもので、日本の伝統的な浮世絵──江戸時代に成立し、「浮遊世界の絵」とも称される──に近い呼吸空間(breathing spaces)を生み出している。この穏やかな領域を、ディテールに富んだ烈しい領域と調和させることで、振動や生命力の噴出、エネルギーに満ちた記録を浮き彫りにし、鑑賞者の視線を彼方此方へと運ぶ。素朴でクリスプな触感の花々は、一見すると対照的、かつ考古学的な壺に挿してあり、これらは厚い油絵の具で描かれることで、壺はブロンズ彫刻と平行した立体性を獲得しており、反対にケシの花はある種のカリグラフィー的な形態を模して、異様な咲きをみせている。サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly,1928-2011,米)の《Thermopylae(Gaeta)》(1911)から、ブラジルの宗教的習合に由来する捧納品などのオブジェまで、Pjotaが敬意を表する形で、Pjotaが絵画から独立した彫刻作品を発表するのは今回が初めてである。植物の持つ威厳性──つまり、教え、導き、そして肉体的、精神的、あるいは霊的な癒しを与える「生命」としての存在感──の引用によって作家の関心が、民族学と宗教現象がいかにして象徴性に浸透し視覚芸術の分野において対話性を発揮し得るかにあることが分かる。 展覧会の作品内では、古代文化の作用によって2つの「磁極」が用意されている。この「磁極」のうち一方は、17世紀のオランダと同時代の静物画を指し、もう一方はギリシャ悲劇の舞台美術を指す。どちらも、作家が博学的かつ芸術的に追究した主題だが、Pjotaはこの2つを広大に開かれた精神性でもって絵画上で組み合わせることを実験した。複雑な言語構築に端を発する各要素の並置から実現したものは、ヒップホップの構成からなるダイナミクスと同様のものと言える。これらの祝宴の場面──“Cenas de casa”,「家庭の場面」とも呼ばれる──は作家の、芸術史における研鑽と、人生における家庭的な出来事を取り纏めた5年間の集大成であり、英雄の帰還を祝福するかのようである。神話上の獣がマティス風のテーブルに変化し、古代の陶製の壺は従来の現代的孤立を回避し、絢爛な花束は反抗の精神の表れとして置かれる。こうした、モチーフの機能的な転換は、意図して行われており、以上の描写においてPjotaは、「歴史の断片的な認識」を提案している。おそらく、この「歴史の断片的な認識」が、唯一の理解の方法として、確信しつつあるのだろう。 作品に近づき過ぎたり、遠ざかり過ぎたりすることは、さながら太陽の前に立ち、そして──飲み込まれるようなものだ。火の玉を睨めつけると傷ましい感覚が湧き起こり、次第に人間の矮小さを知ることとなる。しなやかな体躯は永遠に燃え盛る火炎のように揺れている。花の茎を滴る露玉は、激しい豪雨の兆候を知らせる。「Na Boca do Sol」においてPjotaは、真珠のような大理石を照らすこともある太陽が、実は退廃的な恵みを湛えており、ひまわりさえもぐるぐると悪魔のように旋回させてしまう、ひどく輝いた星のひとつであることを、私たちに思い出させてくれる。 ──Mateus Nunes
https://mendeswooddm.com/pt/exhibitions/297-na-boca-do-sol-paulo-nimer-pjota/ 試訳:浅田大根 2024年5月30日
【備忘録】
展示タイトルの由来である『Na boca do sol 』の試訳も行った。原曲はポルトガル語であるため、SNS型歌詞翻訳投稿サイト「LYRICS TRANSLATE」(https://lyricstranslate.com/)上で、ユーザーの「Stéphanie-Marie」の投稿した英語翻訳をもとに翻訳した。つまり、浅田が翻訳したものは重訳となる。留意されたい。 あわせて、原文歌詞(ポルトガル語)も引用、併記しておく。歌詞を眺めると、解説文も当楽曲に敬意を払っているのが分かる(特に後半のくだりとか)。
Na Boca do Sol Na minha cidade do interior Tudo que chegou, chegou de trem Minha mãe olhava pra estação E vendo viagens dentro de mim Desenhou no ventre mais um irmão Na minha cidade do interior Pra quem mora lá, o céu é lá Lembro da manhã na boca do sol Vou da avenida à estação Com medo dos pais ou por solidão Toda a minha vida eu vi passar No brilho dos trilhos de um trem Que me vem e parte toda manhã Engolindo túneis que a gente tem E a preguiça não deixou fechar Na minha cidade do interior Perto da manhã, na boca do sol Pra quem mora lá, o céu é lá Na minha cidade do interior Perto da manhã, na boca do sol Pra quem mora lá, o céu é lá Na minha cidade do interior Perto da manhã, na boca do sol Pra quem mora lá, o céu é lá Na minha cidade do interior Perto da manhã, na boca do sol Pra quem mora lá, o céu é lá
"Na boca do sol" Arthur Verocai(1972) In the mouth of the sun Translation:Stéphanie-Marie In my country town Every thing that has arrived here has come by train My mother looked at the station and seeing travel inside of me Designed in her womb another brother In my small town For those who live there, the sky is there I remember the morning in the mouth of the sun I go by the street of the station With fear of my parents or of being alone All my life, I saw pass by in the brightness of a train track that sees me and leaves each morning swallowing tunnels that we have and laziness didn’t let close on my little town in the countryside Close to the morning, in the mouth of sun For those who live there, the sky is there In my little town in the countryside Close to the morning, in the mouth of sun For those who live there, the sky is there In my little town in the countryside Close to the morning, in the mouth of sun For those who live there, the sky is there In my little town in the countryside Close to the morning, in the mouth of sun For those who live there, the sky is there In my little town in the countryside Close to the morning, in the mouth of sun For those who live there, the sky is there
https://lyricstranslate.com/en/na-boca-do-sol-mouth-sun.html 太陽の口の中で 訳:浅田大根 私の住む田舎町では 全てのものが電車でやってきた 私の母が駅を見て、 そして私の中に旅を見た 腹の中の弟を育てながら 私の小さな田舎町では そこに住む者のために空がある 太陽の口の中にいた朝を思い出す 駅前の通りを歩く 親や、孤独を恐れながら 生涯、通り過ぎていくのを見た 眩しい線路 毎朝私を見て過ぎった それを飲み込むトンネルは 怠惰からか閉ざされることはなかった 地方にある私の小さな田舎町 朝はそばに、太陽の口の中に 住む者のために空はある
前掲した"In the mouth of sun"(Stéphanie-Marie訳)の筆者試訳
【2023年個展 Do cômico e do trágico 評論文(試訳)】
NY個展「Na boca do sol」に解説文を執筆したMateus Nunesによる、2023年個展「Do cômico e do trágico」の概説文が、執筆者HP、出版社TerremotoのHPにて掲載されているのを確認した。
当評論文が、後の「Na boca do sol」開催に至るまでのPjotaの制作観・及び動向を読み解く上で示唆に富む内容であった(と訳者は判断した)ので、これも試訳し、当記事に含めることにした。
Paulo Nimer Pjota "Do cômico e do trágico" メンデスウッドDM、サンパウロ、ブラジル 西洋文化が主張する人為的思考と時間の純粋性への批判として、Paulo Nimer Pjotaは、「喜劇(cômico)」と「悲劇(trágico)」という、一見して相反する2つの主題を展覧会のタイトルに据えた。Pjotaは、この対極を結ぶ境界線上に作品を構築するだけでなく、この両極にあたる現象が同時に起こりうる可能性を指し示し、二元性と階級性に偏った思考体系がいかに時代遅れであるかの証明に努めている。 Pjotaが絵画や彫刻を通して挑発的に表現したいくつかの芸術作品に囲まれた古代ギリシャの哲学者らは、悲劇と喜劇における「カタルシス的体験」──大抵は芸術作品として供される──とは、観客が感情を極限的に揺り起こすことで発現するいち現象であることを理解していた。ある種システム的な信念・アイデア・象徴は、この悲劇と喜劇という二元性の上に構築され、このシステムは非ヨーロッパ的認識論の源泉のもと、植民地主義による無自覚な力学によって広められ、維持された。 今世紀になって初めて、イメージに関する学問的理論は、先述したような感情的現象──ギリシャ人はこれを「パトス」(pathos)と呼び、研究した──が、当時考えられていたような「イメージの表現力」によって作用するのではなく、「イメージそのもの」に超歴史的(transhistorical formulas)な公式において作用し、非線形な軌跡を描き得ることが受け入れられるようになった。 西洋的でないイメージにアクセスし、引用し、リミックスすることで、Pjotaは西洋文化において確立された、偽造的英雄像・アイコン・手順と対峙している。これらの表現物を通して作家は、腐敗し停滞している還元主義的思想が主流の知識理論に対し、コンプリケイト(複雑)な解決策を見出している。学際的行為(transdisciplinary)により作家は、作品内において、現代におけるカウンターカルチャーの実践と、時間性・歴史性・イメージ性の理解の見直しを、並列的に配置している。絵画と彫刻を向かい合わせに対面させる配置も試みているが、これは、対面した絵画と彫刻の間に生まれた空間を強調させたいためだろう。絵画と彫刻の両者間に生まれた「空間」が暴かんとするのは、意識の座標的変位や、考え抜かれたグリッチ(glitch)、あるいは錬金術的な采配であり、この「空間」でもってPjotaは、覇権的かつ暴力的な文化システムに対する静かな──それでいて強烈な──「反抗姿勢」をあらわにしている。Pjotaは、重たいうえに偽のブロンズで製造された遺物が、「事実上の歴史」として無謀に売りつけられている現状と、「事実上の歴史」として象られた(とされる)遺物を、まことの「真実」として祭壇に飾るべく生まれた言説が、少数の人間によって操作されている現実を糾弾しているのである。 この重厚さとは対照的に、歴史学と芸術学において中心的な役割を担い、文化の記録と表現を永続的に提供する、媒体としての技術創造物である「紙」は、展覧会においては最も儚い形でPjotaによって引用されている。壁面は、ブラジルの辺境地域に位置する小さな食料品店で売られる、パンや肉の包み紙を連想させる淡いピンク色で塗られている。この鋭敏な視点は、消費や伝統からくる儚い性質を指摘しているのであり、つまるところ、Pjotaの主な関心事が「文化」にあることの表れである。そしてPjotaは、「文化」に拘ることで寄せられる一時的な反響を、一身に受け止め、取り組んでいる。 作家は、イメージの領域が担う3大スペクトル(歴史、芸術、文化)を絵画的に引用する手法に拘って制作しており、制作ではこれら3つの均質化を図りながら、融合させることを試みている。「余暇的」(leisure)、「機能的」(functional)、「信仰的」(devotional)に生産されたアーティファクトが、絵画、彫刻、ドローイング、音楽の参照物と共存し、そしてそのいずれにも、ステッカーやグラフィティ、タトゥーのイメージが交差している。この展覧会で展示されている制作年が比較的新しい作品には、サイ・トゥオンブリー(Cy Twombly,1928~2011,米)のポピー石膏彫刻《Thermopylae》(1991) と、Pjotaの《Cerimônia com papoula》(2023) による「対話」が見られる。アンリ・マティス(Henri Matisse,1869~1954,仏)の《The Red Studio》(1991) とPjotaの《Estúdio azul》(2023) 、アメデオ・モディリアーニ(Amedeo Modigliani,1884~1920,伊)の《Head》(1913 )と《Torre preta》(2023) 、パブロ・ピカソ(1881~1973)の《The Weeping Woman》(1937) と《Boneco de neve II》(2023) などからも、作家による芸術的な参照が見られる。ソランジュ・ペソア(Solange Pessoa,1961~)の描くような空想的人物画に類似した表現が見られる《Mercúrio sentado dando presentes》(2023 )も、これまでの例に連ねることができるだろう。 Pjotaは、歴史・芸術・文化の「合間」に焦点を当て、ブラジルの文化的混合(cultural hybridisms)が孕んでいる特殊性が、これらの融合を実現可能なものになることを理解している。その理解の証左として、混合宗教において力のある植物や、儀式に用いられる仮面の描画が見られることから《Cenas de casa (vaso abóbora)》(2023) を例に挙げる。また、植民地時代にヨーロッパの探検家によって描かれた植物の描画が見られる《Mercúrio com cabeça de elmo romano, citipati, e cerâmica pré-colombiana》(2023 )も例に挙げられるだろう。例に挙げた作品で見られる「交差点」は、仮面を被り贈り物を捧げる「シェイプシフター」 (shape-shifter)へと変換され、絵画に登場している。尚、Pjotaがシェイプシフターを描くのは今回が初めてである。 イメージの誕生が演出できるのであれば、反対に、イメージの死と、存続も演出できる。規範的なイメージと一時的な表現との摩擦を強いられるPjotaの絵画作品の背景部分は、粗く、ひっかき傷が累積しているような描写が見られ、これは都市空間とその周辺の建物に塗装された壁を慮るようなPjotaの眼差しを、そのまま象徴している。現代文明の発祥地である都市は、流動性と永遠性、そしていかようにも変化を続ける伝統に満ちた、混沌とした神殿なのである。 都会の風景とサウンドスケープに倣うラップとヒップホップ音楽は、Pjotaの個人的嗜好や作品との親和性によって引用されているのではなく、Pjota自身の歴史的な柱として機能している。つまり、Pjotaを論述する上で欠かせない一柱であるラップやヒップホップ音楽は、確立されたシステムを再編成し、与えられた伝統に疑問を投げかけ、対峙するための力を有している戦略的な術なのである。物事、アイデア、イメージが運ぶリズムを、適切に維持する上で唯一の有効手段である「叛逆」(transgression)は、「フィクションは常に存在する」という教訓を齎してくれる。この教訓は、残酷な都会の現実から逃避する方法として、また、定着した慣習は不純に創られたものであるという、しぶとい警告として機能する。 悲劇と喜劇の両極を螺旋状に行き交う振り子は、特定の主題やイメージではなく、過程や構造的なダイナミクスに焦点を当て揺れ動いているため、停止することはない。始まりと終わりの間で滞ることなく流れゆく時間の発火が、イメージ間の星座を結び、そして、関係は無限に結ばれ続けていく。最新作でPjotaは、「パトス」が悲劇と喜劇、未来と現在、差異と反復を結びつける性質を備えていることを証明している。何故なら全てのイメージは、善と悪を超えて脈を打つためである。 Texto originalmente publicado na Terremoto, em 10 de agosto de 2023 (原文は2023年8月10日、Terremoto に掲載されました。)
https://mateus-nunes.com/Paulo-Nimer-Pjota-Retroactive-manifest
読みながら、リンク付けできるところはできる限りリンクを付けてみた。作品タイトルや、慣れない単語(「シェイプシフター」など。)原文にリンクは付けられていないので、あくまで訳者が後から勝手に施したものであることを、どうか留意されたい。
後記のような。
blueskyでぼやいたもののスクリーンショット。
【更新】 2024年5月30日 試訳の投稿・公開。 2024年6月5日 試訳をnoteの引用形式を用いての表示に切り替え、更新した。 2024年6月6日 Mateus Nunesによる展覧会評論文、『Paulo Nimer Pjota’s Do cômico e do trágico at Mendes Wood DM, São Paulo, Brazil』を試訳し、当記事に追加した。 2024年6月7日 昨日編集した際に起きた不手際(文章が抜けてたり)を確認したので直した。