ファミチキひとつで心は折れる
言い訳
めちゃくちゃ暑いですなぁ。高齢者は暑さに強いって言いますけど、あれ感覚が麻痺してるだけらしいですね。
どうも、大黒エンタシスです。
最近noteの更新ができませんでした。言い訳させてもらうと、最近イラストを描く趣味ができまして、そちらに没頭してました。あとnoteに長めのエッセイを書いていたのですが、それにめちゃくちゃ時間かかってました。エッセイは正直完成形が見えないので公開できるかわかりません。
今日は少しだけ暗い話。僕が精神的に壊れてしまったときの話をします。
絶望とは
noteの初めての投稿にも書きましたが、僕は新卒で入った会社で精神疾患を患って、今日までそれと共存する生活をしています。
ある日突然張りつめていた糸が切れるように、プツンと、音を立てて生活が変わりました。
僕は絶望ひとつで生活が変わることはあんまりないと思います。
こんなことを書くと「人の死は突然で、それひとつで果てしない絶望だろうが!」と言われるかもしれませんが、それに関してもちゃんと説明します。
端的に言えば、なにかの蓄積の先にある絶望が人を崖から突き落とすんです。
僕の場合、最後の一手がファミチキでした。
ファミチキで絶望して精神疾患になることはない?いやいや、そんなことはありません。
僕の場合にはなりますが、本当にしんどくてグロッキーな状態で働いていたんです。自分に嘘をついて、できないことをできると言い、イエスマンの機械でした。
上司に怒られる、仕事が思うようにいかない、理不尽クレーマー、さまざまなストレスがありました。
側から見れば、そっちの方が絶望度は高そうですよね。実際そうだと思いますよ。
ただ、それで絶望しなかったのはあくまで「絶望ゲージ」をためていたからです。
先ほどの糸を例にした方がわかりやすいかもしれません。絶望を感じるたびに、両手で心の糸の端と端を持って引っ張ってるんです。最初は余裕があるかもしれませんが、糸をゆるめずにひっぱり続ければ限界が来ます。もうこれ以上引っ張れない!となっていたとき、僕の前に現れた絶望がファミチキです。
仕事終わりにファミチキを買うことがよくありました。ファミマの安いカレーとファミチキと缶チューハイ、その3つで当時の僕の夜は構成されていました。
心の糸に限界が来ていた日、ファミマに寄ってレジで「あ、ファミチキもください」と言うと、「あーすみません、ファミチキもうないです」と言われまして。
本当に小さな、他人からすれば気にならないレベルの話だと思います。でも当時の僕には、ファミチキの売り切れは絶望するにはじゅうぶんすぎるくらいでした。指で背中を少し押せば崖から落ちてしまうくらいのところでしたから。
このように、「蓄積」あっての絶望なんです。
今度は先ほど書いたとおり、人の死を例に出しましょうか。確かにそれ単体でも絶望度は高いと思います。しかし、それ以外にも理由はあるんじゃないかと思っています。
それが「暖かい思い出」です。心の糸を例に出せば、愛している人との楽しい時間はストレスを感じることは少ないでしょう。だからこそ、だからこそなんです。そういう時間に、僕たちは糸をゆるめ続けているんです。それこそ端と端がくっついてしまうくらいに。
そんなときに「死」という深い絶望が来たらどうでしょう。ゆるんでいた糸をいきなりピーンと張るようなものです。その衝撃は凄まじいに決まっています。緩急の絶望とでも言いましょうか。
終わりに
世界にはさまざまな絶望が転がっています。これを読むあなたが今、なにかに苦しんで絶望しているのであれば、時間がかかってもいいので自分を癒して次の絶望で糸が切れないようにしてほしいです。心の糸を無視しないでほしいです。糸をあとからくっつけても、もともとの丈夫さは取り返せませんから。
これを読んでいるあなたは、もしかしたら繊細な人なのかもしれません。人に気を遣いすぎて疲れたり、適当なことが許せなかったり、掛け布団からはみ出した足を少しだけ気にしてそっと引っ込めたり。
もっと自分に優しくしてくださいね。世間や他人は厳しいから、自分くらいは自分を甘やかしたっていいじゃないですか。
爆速で投稿を書いて疲れてしまったので、僕も僕を甘やかそうと思います。
それでは👋
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