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デッサンから学んだ高校センチメンタル

「美大に行きたいのですが、どうすればいいですか?」

美術の先生にそう尋ねたのは高校3年の春でした。

美大の受験にはデッサン課題があるので、どうやら研究所(デッサンなどの絵を習う教室)というところへ通ったほうがいいらしい。

そのようなことを初めて高校3年の始め頃に知りました。

僕の高校の他学年の美術授業に来ていた若い先生が、ちょうど研究所を開設したというので、そこを紹介してもらいました。

その研究所は「しが美術研究所」と名付けられていました。

「デッサンを習うって何すんねん?」

「ていうか、研究所の中ってどんな景色なんや? 」

そのようなことは、当時の僕には全く想像がついていませんでした。

研究所に向かい恐る恐るドアを開けてみると若い男の先生が出迎えてくれました。赤茶色のジャケットに黒いスラックス、面長の顔にメガネ、少し前に出ている顎(あご)が印象的。

教室の中には、僕たちが普段見慣れているコーラ缶、レンガブロック、布きれ、スコップ、ワインやビール瓶、コンクリートブロックなどが教室の棚にそれに石膏像が数体机の上などに所せましと置かれていました。

「なんでこんなもんがあるんや・・・」

初めて接触するタイプの人たち僕を含めて、10人くらいの受験生がその研究所にいました。滋賀県下の他の学校からも生徒が来ていました。そして、浪人をしている人たちもいました。

金髪の短い髪に黒の皮ジャンを着て颯爽と現れるH君。

ラフなサンダル姿にママチャリで登場する長身のS君。

なにか妙なカッコよさを感じました。

僕たちは、しが美術研究所のことを略して「しが美」という愛称で呼んでいました。

研究所では、1日3時間くらい、夏休みなどの長期休みには6時間くらいデッサンや色彩構成の課題をしていたと記憶しています。

初めて描いたデッサンは確かコンクリートブロックでした。

絵を描くことには自信があったので、「なんでこんなもん描かなアカンねん」と内心思っていました。しかし、実際に手を動かしてみると頭で描いているイメージと描き出された絵が全然違うのに気が付きます。

デッサンから観えてくるものデッサンのトレーニングを積んでいくと観察することを覚えます。普段何気なく見ているものには、たくさんの要素が含まれているのが観えてきます。

つまり、僕が平素見ていたものは見ているようで実は見えていなかったのです。

カタチ、構成、色、質感、重量感、空気・・・

それらを紙の上に鉛筆で表現していきます。

・・・・・

僕は最初、デザイン学科を目指していました。

特に理由もなくただ何となくでした。

しかし、途中から研究所の先生が美術学科のほうを目指したらどうかと。デッサンの内容などからその方がいいと判断されたようでした。少し考えてみましたが、その方向に進むのがいいのだろうと思い、そうしました。

研究所の仲間たちとは、同年代で同じ志を持っていたこともあってすぐに仲良くなりましたし、研究所では、互いに絵のことなどについてアドバイスを言ったり言ってもらったり。それに、研究所の外でもよく遊んだりしたものです。

当時は、ひたすらデッサンを描く日々を送っていたように思います。研究所で、デッサンを描いているときは 鉛筆の「カサカサカサッ」という音しかしません。その独特の音が今もよく記憶に残っています。

僕が受験をしたころは、推薦入試と一般入試があって、推薦は秋、一般は翌年の春先となっていました。推薦入試で合格した人たちは、残りの高校生活を満喫していました。

結局、僕は推薦入試は全て駄目で、一般入試まで研究所に通うことになりました。

当初は、先だって受験に合格した仲間たちが羨ましかったし、自分へのくやしさやうまく描けないことへの自己嫌悪もありました。しかし、今となっては、一般入試までの数か月間は自分にとってとても大切な時間であったと感じています。

その間に感じた挫折感やそれでもデッサンを描くという行為から体感したことは今の自分を形成する大切な期間だったのではないかと思います。

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2月末に合格の結果を受けました。

研究所の先生が、大学事務所に電話をしてくれました。

2畳ほどの小さな事務所で、電話をしている彼の後姿を今も忘れていません。

「合格やぁ」 彼が振り向きざまに言った後、感無量という感覚を初めて味わったように思います。

仲間たちとの別れ、そして再会研究所では、デッサンのこと以外にも、同じ志をもつ仲間や先生から本当に多くのことを学びました。

そして、桜が咲き始め、それぞれの学校に入学した後、みんなとの連絡は次第になくなっていきました。

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それから再び彼らの数人に会えたのは、9年か10年経ってからでした。

東京の中目黒駅。

彼らに会ったとき、まるで、昨日「しが美」で別れたかのようでした。

当時、大学を目指してデッサンの勉強をしていたみんなと人口1000万をこえる大都会で会えたことに喜びを感じました。

その後、彼らと会う機会が少しずつ出てきました。

研究所を卒業してから、18年が経ちます。

それぞれの道を立派に歩んでいます。

子供を持つ母親になったTさん、会社の管理職として勤しんでいるN君、職人になったS君、映像ディレクターになって世界中を飛び回っているYさん、デザイナーとしてバリバリ仕事をしているH君。

色彩構成がずば抜けていた太田由美は、東京を中心に精力的に作家活動をしています。

研究所の所長をしていた藤井路夫先生は、画家として活躍され、三越、東武などで毎年のように個展を開催し、多くの注目を集めています。

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高校3年。

デッサンをひたすら描いた毎日。

描いた絵が教室の前に張り出される。

赤茶色のジャケットに黒いスラックス姿の藤井先生の熱い合評が行われる。

18、19歳のみんなの顔つき、張り出されたデッサンを見つめる眼差し。

教室の光景や鉛筆の音、匂いを感じていた時間。

恐る恐る開けた研究所のドア。

僕が美術の道を歩み始めた最初の一歩でした。

(2012年12月6日の記事「しが美時代のこと」を加筆添削した文章です)

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