「宇多田ヒカル」という人間。
謝辞
今回久しぶりにnoteに記事を投稿するのは、
Twitterで仲良くさせてもらっているリサフランク氏の秀逸な記事に感銘を受けたからである。
この記事を書く動機付けを下さった氏に深い感謝を。
宇多田ヒカルとは
宇多田ヒカル。
私が最も敬愛してやまない音楽家の一人であり、
母に演歌歌手の藤圭子氏、
父に音楽プロデューサーの宇多田照實氏を持つ、
言わずと知れた音楽界のスーパーサラブレッドである。
人間活動以前
1998年のデビュー以降、時代の寵児として圧倒的な功績と共に音楽業界を席巻
(デビューアルバムの『First Love』は日本音楽史上最高の売上を記録し、おそらく未来永劫その座を他のアルバムに明け渡すことは無いだろう。)
した彼女だが、その13年後の2011年に「人間活動」に専念することを理由に表舞台から姿を消すことになる。
人間活動以降
そしてその後、プライベートでは2013年に最愛の母である藤圭子氏を亡くすという不幸に見舞われながらも、自身の結婚や出産を経て、2016年に『花束を君に』と『真夏の通り雨』を引っさげて再び華々しい表舞台へとその姿を表すのである。
2010年代の邦楽界
思えば、2010年代前半は未曾有の大災害に伴う自粛ムードでなかなか作品が出づらい部分もあったし、アイドル音楽の台頭でチャートもやや混沌としていた部分があった。
そんな中、宇多田ヒカルの復活である。
私は、大袈裟に聞こえるかもしれないが、この瞬間は日本の音楽業界の復活の瞬間であったのではないかと思う。
「普段からメイクしない君が薄化粧した朝」
from 『花束を君に』
「夢の途中で目を覚まし 瞼閉じても戻れない さっきまで鮮明だった世界 もう幻」
from 『真夏の通り雨』
『花束を君に』と『真夏の通り雨』はこれまでの宇多田ヒカルの作品とは比べ物にならないくらい重く、「死」の香りを纏った楽曲だ。
『花束を君に』は間違いなく母である藤圭子氏に宛てた楽曲であるし、その後にこれらの楽曲を含んで発売されたアルバム『Fantôme』は「亡霊」という意味のタイトルである。
そしてこのアルバムのトラックリストの最後に位置し、最も重い死の香りを放つ楽曲『桜流し』はあの大震災を想起せずにはいられない。
「もう二度と会えないなんて信じられない まだ何も伝えてない」
from 『桜流し』
楽曲
彼女の人間活動以前の楽曲は、当初から圧倒的なポップセンスと歌唱力が余す所なく活かされた楽曲が多い。
時代のトレンドもあったのだろうが、華々しく、実にオシャレで煌びやか、どこか浮世離れした世界観のエレクトリックな楽曲が多い。
宇多田ヒカルという「人間」
しかし彼女は「人間活動」を経て、人の「死」と「生」をごく身近で感じる事で、正しく「人間」になった。
人間活動後の楽曲は以前にも増して温かみがあり、日本語の大切さや素晴らしさ、美しさを噛み締める楽曲が増えた。
ちなみに楽曲は以前にも増してビートが重くなり、複雑難解なリズムが増えたため、恐らく彼女以外に彼女の洗練された楽曲達を完璧に歌いこなせる人間はほぼいないであろう。
「調子に乗ってた時期もあると思います」
from 『道』
そう歌詞で過去の自分を赤裸々に形容し、彼女は自身の思う「人間」としての在り方をこれからも追求していくのだと、私は思う。
「王座になんて座ってらんねぇ 自分で選んだ椅子じゃなきゃダメ」
from 『PINK BLOOD』
若くして日本の音楽界の頂点に君臨した宇多田ヒカル。
そんな彼女が今これから、1人の「人間」として今後どんな作品を生み出し続けてくれるのか、私は楽しみで楽しみで仕方ない。
待望の新アルバム『BADモード』は今年2022年1月19日に発売されたばかりだ。
この傑作を聴きながらこう思わずにはいられない。
彼女と同じ時代に生き、彼女の作品を聴ける事に最大限の感謝を。