白刃の女神(第十二部 お泊まり会) 中編
久しぶりにやった枕投げは私の負けだった。途中、愁が私
に加勢してくれたが、爽香は強かった。
私は早々に降参すると、ようやく隙のできた爽香をベッド
に押し倒してやった。勝って兜の尾をなんとやらだ。私が負
けたままで済ませるはずもないだろう。たとえ、枕投げで負
けたとしても、次のなにかで爽香に参ったと言わせれば良い
のだ。
私はとにかくそのまま負けるのが嫌だったので、無防備な
爽香を押し倒すと、そのままくすぐってやった。爽香はバカ
みたいに暴れたかと思うと、あっけなく降参した。これで勝
負は引き分けだ。次の何かで決着を決めればいい。とはいえ、
爽香も私も、お互いにもうしかけようとはしなかった。
そのままふたりベッドで大の字になって、取り留めのない
話をした。初等部の懐かしい話が布団いっぱいに膨らんで、
とても温かくなった。
思えば、こんなに爽香と話したことはなかった。私は憎ま
れ口を愁にしてしまったが、いまはこの機会をつくってくれ
たことに少し感謝していた。
それからしばらくして、爽香は眠ってしまった。私は掛け
布団をかけてやると、下へ降りた。
月明りを頼りにトイレへ行って戻ろうとすると、ちょうど
リビングに人影が見えた。
――あぁ、あの大きな人影は愁だ。電気もつけずに何をやっ
ているのだ。
私はちょっと悪戯をしてやりたくなった。愁を脅かしてや
ろう。私は息を潜めて、愁に擦り寄っていった。そして、い
よいよもうすぐというところで一気に飛びついてやった。
「おわっ!?」
愁はコップの水を見事にひっくり返した。
「ふふ、どうだ? 驚いたか?」
「あ、あぁ、心臓に悪いっての。どうしたんだ?」
「あ、いや、その……」
こう質問されることを私は考えていなかった。愁にトイレ
に行っていたのを知られるのはなんとなく恥ずかしい。でも、
私は嘘をつくことが苦手だ。それに、愁に嘘をつくことは良
くないと思った。こんなこきでも。
「その、ト、トイレに行きたくなって」
「ちゃんと寝る前に行かなかったのか?」
愁はまるでこどもを諭すようにそんなことを意地悪く言い
やがった。私がせっかく正直に話したのに。私は拗ねた。だ
から、私はスリッパのつま先で愁の脛を蹴ってやった。
「いでっ!? 蹴ることないだろ?」
一瞬、本当に痛めてしまったかと不安になったが、愁が笑っ
ていたのでホッとした。
「……おまえがバカだからだ」
――そうだな、私が少し蹴ったくらいでは、愁はなんとも
ないんだ。
私はなぜだか悲しくなって、下を向いてしまった。そした
ら、次の瞬間、心臓を止めるような衝撃が唇に走った。
「っ……」
「おやすみのキス、し忘れた」
まったく、似合わないことを愁はこんなふうに言う。私は
笑うしかないじゃないか。
「ぷっあははは! な、なんだよ? おまえ、そういうこ
と言うようになったのだな? ふふっ……あははは!」
「悪かったな」
愁はちょっと拗ねたようにそう言って、残りの水を悔しそ
うに飲んだ。
「いや、嬉しいのだ……ふふ、でも、まさかこんな日がく
るなんて思いもしなかった」
「あぁ、まぁ、確かに……本当だな」
愁の言葉はとても落ち着いていた。私は何かを言われると
悟って呼吸を整えた。愁が大事なことを言おうとするとき、
決まって、その前の言葉が穏やかになる。
「ごめんな? 一緒に寝らんなくて。さっき言おうと思っ
たんだけど、枕が飛んできてさ」
「あぁ……ふふ、そうだったな。もう良い。本当は少し安
心しているのだ」
「……え?」
愁は何かを勘違いしたらしかった。物事を悲観しすぎるの
がこいつの悪いところだ。でも、私は意地が悪い。すぐに否
定してやってもよかったのだが、私はそうしないで少し黙っ
た。
「……ごめん、おれ、そういうつもりじゃ」
「ふふ、なんだ? そういうつもりじゃなかったのか?
私はそういうつもりだったのに」
「え!? あれ?」
まったく、愁の焦っている姿はいつ見ても可愛い。
「私は今日どのみち……女だったのだ」
「へ? あ、あぁ、そうだったんだ。……えっと、彩香?」
「ん?」
「いや……その、平気か?」
「ぷっあははは! なんなのだ? 平気か、って?」
――それじゃ、まるで私が愁にしてしまった初めての失敗
のようではないか。
私は少し嬉しかった。愁も私と同じ間違いをしたのだ。
「いや、よくわかんないんだけど……頭とか、痛くないか?」
でも、愁はズルイ。笑っている自分が恥ずかしくなるくら
い大人しい声を投げかけてくる。私はなぜだか、その言葉に
泣きたくなった。
――あぁ、そうだ。これも、愁なんだ。
私はバカだ。たとえ、私が生理だと分かっても愁は私をベッ
ドから追い出したり、背中を向けたりしないだろう。愁はい
つも私のことを気遣ってくれる。それなのに、私は……。
「……どうした? 一応、市販の薬なら」
愁は押し黙っている私に焦りだした。私は酷い子だ。そう
とは分かっていても、なおも、私は愁の言葉が欲しかった。
「愁……」
「ん?」
「私が女だって知ったら、おまえ、私のことベッドから蹴
落としたか?」
「え? ハハッ、なんだよ、それ」
「笑い事じゃないだろう!? 私は真剣に聞いているのだ」
――呆れた。
愁は泣き出しそうな私を笑いやがった。でも、きっと、私
は次の愁の言葉に抱かれてしまうんだ。そう思った。
「いや、だって、そんなことするわけないじゃん。だいた
い、まぁ、確かにそういうの期待するぐらいはあったかもし
れないけど、おれ、今日はずっと話していたいと思ってたん
だよ」
「私と、か?」
「他に誰がいるんだよ? ただ、ほら、おれん家は親父も
母さんもいないから、おれが大人になるしかないだろ? 本
当はずっと話していたかったんだ」
――ズルイ奴だ。
私の怒りはどこに飛ばせばいいのだろう。
「ムカつくなら、喜んで蹴らせてあげるよ?」
私は一瞬、何を言われているのか分からなかったが、愁が
私の足下を指差したので、何を言おうとしているのか分かっ
た。
「うるさい! あれはおまえが失礼なこと言うからだ」
「そ、そうだな。ごめん」
そうだ。こいつは爽香とずっと暮らしているんだ。実感は
湧かないにしても、どれだけ生理が苦しくて嫌なものか、きっ
と、想像ぐらいはできるのだろう。それにしても、ムカつく
ならって……こいつは爽香に八つ当たりでもされていたのだ
ろうか。そう思うと、悪いとは思ったが、笑いが込み上げて
きた。
「でも、本当に今度はずっと話していたいな」
「ベッドのなかで、か?」
「あぁ」
「嫌がる私を、か?」
「あぁ、今夜は寝かさないぞってな」
「アハハハ! なんだ、それは。おまえ、バカか?」
「バカってなんだよ?」
「ふふ、すまない。そういえば、聞くの忘れた。おまえこ
そ、どうしたんだ? こんな遅くに」
「あ、あぁ。ちょっと、喉乾いて」
「寝る前に飲まなかったのか?」
私は先ほどの愁の口調を真似て仕返ししてやるつもりだっ
た。
「寝る前に飲んじゃダメだって母さんから教わっただろ?」
「ぷっアハハハ! そうだなっ……アハハハ」
そのつもりが見事に返されてしまった。
「愁? それ、よこせ」
私は愁からグラスを奪うと、それに水を入れた。
「愁、私のこと好きか?」
「あぁ、好きだ」
「ふふ、そうか。じゃぁ、跪いてくれ」
「へ!?」
「なんて声を出すんだ、おまえは。いいから、いうことを
聞いてくれ」
「あ、あぁ」
愁はこれから何をされるのかまるで分からないといった様
子だった。私が水の入ったグラスを手に取ったとき、愁の顔
が一瞬、当惑して見えた。私が水をふっかけるとでも思った
のだろう。
――何を勘違いしているのだ、このバカものは。そんなこ
と私が愁にするはずもないだろうに。
私は愁の頬に手を添えて、口に含んだ水をそのまま口移し
してやった。
「っ!?」
「ふふ、これで喉の渇きはおさまったか?」
「あ……あぁ」
愁は何が起きたのか分かっていないようだった。私もきっ
と分かっていない。ただ、初めてだから、私はそれがあまり
上手く出来なかった。
「ふふ、零れているぞ? いやらしい奴め」
私はだんだん自分のしでかした行為が分かってきて、その
場から逃げた。
――あぁ、私はなんて恥ずかしいことをしてしまったのだ
ろう。
本当に今日は顔から火がでそうだった。でも、こんなにも
助けて欲しいときに愁は、ずっと、リビングで固まったまま
だった。
―――――――――――――――――――――――――――
目が覚めた。というよりも、目を開けた。僕は昨夜の事件
以来、ずっと緊張している。
――まさか、彩香の方からあんなことをしてくれるだなん
て。
僕はまた無性に水を飲みたくなった。たぶん、これから毎
日飲みそうな気がする。もちろん、昨夜の事件を思い出して。
僕は顔を叩いた。
――何を考えているんだ、僕は。そうだ、ご飯をつくらな
いと。
でも、だめだった。レシピを見ながらご飯をつくろうにも、
僕の動作は常にワンテンポ遅れた。水道のところで、どうし
ても、手が止まってしまうのだ。蛇口が妙に艶めかしく見え
る。
――おまえ、そんなにセクシーだったか?
僕はどうかしている。蛇口に欲情するだなんて。いや、蛇
口に彩香を重ねているのだ。彼女の口から水がこの身体に染
み渡るのを、僕はそこに連想している。
僕はいま鍋だ。火のかかった心臓を僕はほったらかしにし
て、レシピに顔をうずめた。もうすぐ、火事になる。僕は火
事になる。火をなんとか消さないと。でも、スイッチをひね
るのは案外簡単だった。にやつく自分の顔を鍋に映してやれ
ば、それですんだのだ。
僕はそれでなんとか朝ご飯をつくった。まだ、ふたりを起
こすには少し時間が早かったので、テレビをつけてゆっくり
することにした。すると、正座占いの、ちょうど僕の正座の
ところで2階から物音がしたので、がっかりしながらも、席
を立った。
―コンコン。
「起きてるか? ご飯できてるぞ?」
「んーっ、ふぁあ」
気の抜ける爽香の声がまず聞こえた。
「爽香か?」
「ん~」
「彩香は起きてる?」
「まだ、寝てるよ~?」
「そっか。じゃぁ、悪ぃけど、少ししたら起こしてくれる
か?」
「ふふ、いいよ~? 唇つかっていい?」
「バカ言うな。せっかく、好きなオムライスつくってやっ
たのに、知らねぇぞ」
「もぉ。冗談よ? 顔洗うから、リビングに行ってて?」
ところで、自分から呼んでおきながら、僕はリビングに入っ
てくる彩香を見たときに、なんともバツの悪い表情をしてい
たに違いない。反して、彩香は普段通りの様子だった。
「おはよう」
「あ、あぁ、おはよ?」
「……おい、なんだ? あまり見るな。寝起きだぞ?」
僕はさらに困惑して視線を泳がしていると、滑稽に見えた
のか、隣で爽香が笑っていた。
「何もしてないわよ? 頬を2,3回つついただけ」
僕は苦笑いをすると、オムライスを取りにキッチンへ向かっ
た。ところが、彩香の声に背筋を撫でられて、すぐに立ち止
まった。
「……あぁ、くちばしでな」
「え……」
ふたりを振り返ると、意地の悪い笑顔が並んでいた。
「なんだ、朝からえらく手が込んでいるな?」
2人分の朝食を食卓に並べると、彩香の目に火が灯った。
「あぁ、昨日作れなかったから。どうぞ、オープンタイプ
の……」
「能書きなんて知らないの~。食べていい?」
爽香も喜んでくれたのか、彼女の手にはさっそくスプーン
が握られていた。皿を置いてから、まだ、5秒と経っていな
い。
「えぇえぇ、どうぞ?」
僕は肩をすくめた。でも、これは小説か、もしくは、洋画
のなかで通じる仕草なのだと実感した。目の前のふたりが笑
い出したのだ。
「シェフの顔に泥でも塗られたか?」
彩香はスプーンにオムライスの小山を乗せると、そんなこ
とを言った。
「でも、大丈夫だ。おまえの食事に名刺なんていらない」
「なによ、それ~。毎日食べる身にもなってよ?」
「どういう意味だよ、爽香? 不服か?」
「んーんー、美味しいよ? でも、名刺はいるわ。いくら、
兄さんが誠実でも」
爽香はそう言って、彩香を見た。ふたりして、また、笑い
始めた。なんだか、不思議な光景だった。一晩で随分とふた
りの距離が縮んだように見えた。一緒に過ごせなかったのが、
なんとも、恨めしく思う。
「もういいから、食べてくれ。彩香にも美味しいと思って
もらえたらいいんだけど」
なんせ、邪な感情と戦いながらつくったものだから、味に
はいまひとつ自信が持てなかった。
「いただきま~す」
爽香がまず食べてくれた。すると、普段見せないような小
難しい表情をして、声を潜めて言った。
「ん、迷いが見える」
僕の背筋が一気にのびた。
「え!?」
「ふふ、これ言ってみたかったの~」
「爽香ぁ……」
僕はどんな思いでつくったのか悟られてしまったのだと
思って、無性に焦った。
「……あれ? どうして、怒ってるの?」
「いやいや! 怒ってないよ?」
「ふーん、そう」
爽香のきょとんとした表情を見ると、僕はさらに焦って、
爽香を直視できなくなった。
「彩香はどう?」
そこで、彩香の方を見た。ところが、彩香も小難しい表情
をしたかと思うと、ん、迷いが見えるな。と、言った。僕の
背中はくたびれたかのように、椅子の背もたれに埋もれた。
「彩香ぁ……」
「ふふ、冗談だ。美味しいぞ?」
「そっか。それなら、良かった。それ食べて少ししたら、
送っていくよ?」
「……もう、か? いま出てきたのは太陽だろ。月じゃな
いのだぞ?」
その言葉に反して、彩香の表情からは明かりがすっかりと
消えてしまった。皿にスプーンを放ると、不服そうに僕を睨
んだ。ところが、その横では爽香が目を閉じて、何度かうな
ずいている。
「ん、ん! 美味しい。兄さん、こういうの毎日作って」
まったくもって陽だまりのような存在だ。
「ちゃんと、飯を食べるならな」
「……あい」
はにかむ爽香の横では彩香の鋭い視線がますます強まって
いた。綺麗だと思う反面、このままでは恐ろしいことになる。
「初めてだしさ、一回目は早めに帰ろう? 特に、お父さ
ん心配してるだろうし」
僕はそう言いながら、反射的に身構えた。恐らく、言葉の
連打が耳に打たれるであろうと思った。ところが、彩香が放っ
た言葉は消え入るようなため息交じりの一言だった。
「……親父か」
「ふふ、あともうちょい……親父か」
「親父か」
「そそ、そんな感じ」
僕は椅子に飲まれるのじゃないかというぐらい、埋もれた。
ふたりの表情が視線の上に見える。
天井を一度見上げると、爽香を睨んだ。
「……ん? なによ?」
「変なの教えるな」
「ふふ、愁? 似てたか?」
「やめてくれよ」
椅子に座りなおすと、恥ずかしさのせいで僕は苦笑するし
かなかった。
結局、僕の提案はあっさりと跳ね除けられ、近くの公園で
午前中いっぱい遊んでから、彩香の自宅へと向かった。
「なんだ? 私の家じゃないか。おまえ、どうした?」
自宅に着いても、彩香は真顔で僕をいじめた。
「勘弁してくれよ」
僕は笑いながらも、どこか安堵している自分に気がついた。
それを悟られないように素早く助手席のドアを開けに回った。
「弱虫だな」
彩香は車から出てくるなり、そんなことを言った。
「親父の人形はごめんだぞ?」
「あぁ、そういうのは苦手だよ。でも、いまはまだその時
期じゃない」
そう言うと、彩香の鉄槌が僕の腹を襲った。
――わん!
僕の一大事だ、と、思って来てくれたのではないのだろう。
しゃがんだ彩香めがけて、守衛さんが物凄い勢いで出迎えに
来た。なんとも嬉しそうに暴れている。
やがて、彩香の手に負えなくなると、同じくしゃがみこん
だ僕に飛びついてきた。
「こんなとこまで来たら、危ねぇぞ? ポチ」
――わんわん!
「おい、こら、ポチ。主人以外に懐くとはなんていう奴だ。
こら、私を見ろ。私がおまえの主人だぞ? ほら、よぉ~く
見ろ、彩香だ」
――わふぅん?
「わふぅん? じゃないだろ、おまえは」
大変だ、ご主人様がお怒りだ。僕は危機とばかりにポチを
抱えた。
「ハハ、ちゃんと分かってるよな、ポチ?」
――わんわん!
「なっ!? どうして、愁に答えて私に答えてくれないの
だ!? ポチ?」
ところで、その言葉に呼応するかのように、僕の胸もとで
ポチは足をバタつかせた。ポチを放してやると、また、初め
のように勢いよく彩香に飛び込んだ。
――わふ!
「アハハハ、こら、よせ、くすぐったいぞ?」
「ほら、ちゃんと分かってるじゃん」
「アハハハ! まったく、許してやる。……と、言いたい
ところだが、私より先に愁にじゃれるな、バカもの。何回言っ
たら分かるんだ、おまえは」
「あらあら、彩香ったら」
初め、僕はなぜか、その言葉がポチのたちの悪い悪戯だと
思った。ところが、彩香が、あ、母さんと言って視線を前に
向けるものだから、僕の背筋はしゃがみながらも、またして
も、一直線に伸びた。僕らはどうやらポチに夢中になりすぎ
ていて、すぐそばまで主人と夫人が来ていることにまったく
気がついていなかった。
「お帰り? もう帰ってきたの?」
「あぁ、愁が追い出しやがった」
「彩香……さん?」
「ふふふ、ありがとうね? 愁君」
「あ、いえ!」
僕はその言葉と同時に勢いよく立ち上がった。
「あら、爽香ちゃんは?」
「すみません、今日、テニスの試合なんです。それで、さっ
き、送ってしまって」
「そうなの。行かなくていいの?」
「行くわけないだろう。私の試合だって、見に来てくれな
いのだから。な? 愁」
彩香もポチを抱えて立ち上がると、横目で僕を責めた。
「え、あ、いや……」
「ふふふ、もう、彩香ったらずっと不機嫌ね? 昨日、一
緒に寝てもらえなかったのかしら?」
「母さん!」
思わず、僕の方が叫びそうになった。背中に滝のような汗
を感じる。僕は彩香が早く否定してくれることを願った。
「こいつと一緒に寝るわけないだろ。爽香と、だ」
「……あら、そうなの?」
目を丸くする夫人の姿に、僕は目がくらみそうだった。
「そうか!? やっぱりか! いやぁ~愁君! 僕は君が
分別のある子だって信じていたよ」
それまで静かに見ていた主人は急に歩み寄り、僕の両肩を
しっかりと掴むと満面の笑みを見せた。
「調子良いこと言うな、親父め」
「彩香……」
ふたりの視線が絡むと、なんとも気まずい雰囲気を感じる
のはなぜだろう。この気まずさをポチの陽気さにうめてもら
いたかったが、ポチは彩香に抱かれてすっかり夢見心地になっ
ているのが見えた。
「あ、あの、ありがとうございました! 凄く嬉しかった
です」
「ふふふ、い~え。こちらこそ。今度は家に泊まりにいらっ
しゃいね? ねぇ、あなた?」
「あ、あぁ。家ならいつ泊まりにきてもかまわないよ?」
「ありがとうございます。あ、その……」
「爽香だろ? 爽香も一緒に連れてこれば良い」
「えぇ、そうね。爽香ちゃんも是非一緒に。ねぇ?」
「あぁ、是非そうしなさい」
「あ、ありがとうございます!」
僕のこの感謝の言葉は、帰り際の枕詞へと変わった。それ
を察したのか、彩香が僕の前に立った。
「愁? もう帰るのか?」
困ったことにこれを言われて帰れる男ではない。ただ、両
親がいる手前、いま娘を送り届けたのに、帰らないと言って
は、なんとも辻褄が合わないだろう。
声にならない声を搾り出すように、あぁ。とだけ、短く言っ
た。
「そうか……」
彩香の俯く姿は心臓に悪い。その不憫な姿を見て、心臓を
打つ太鼓の人もしばらく叩くのを忘れてしまうだろう。
「もう、彩香、ダメよ? 困らせちゃ」
「分かってる……またな?」
その言葉が耳に届くと、昨日までの出来事が物凄い速度で
脳内に蘇るのを感じた。なぜか、声にならず、頷くのがやっ
とだった。ただ、不思議と彼女から視線を逸らすと、すんな
りと声が出てきた。
「それでは失礼します」
「えぇ、気をつけてね? また、すぐにいらっしゃい」
「あ、はい。ありがとうございます。……ポチ、またな?」
――わふ!
ポチは言葉とともに僕のもとへ寄ってきてくれた。正確に
はポチを抱えた彩香がやってきてくれた。
「愁、おまえ、ポチが恋人なのか?」
彩香が胸を小突いてくれて、ようやく声が出た。
「恋人の……相棒?」
お母さんの、まぁ、という声が聞こえた。
「それなら良い。気をつけてな? ありがとう」
僕の目頭はいよいよ熱く崩壊しそうだった。彼女はまだ、
僕の世界にはいない。そんな当たり前のことを、不自然に感
じていたことにいまやっと気がついたのだ。
―――――――――――――――――――――――――――
僕はすっかりと満足していた。大胆な行動をしてやっての
けたのだから。しかも、足を少しもすりむくことなく。
だからこそ、僕はこの無傷の生還を讃えて記念館にそのと
きに着用していた衣服やら何やらをすべて収めようと思った。
要するに、僕はガラスケースにこのやっかいな好奇心をすっ
かりしまい込むことによって、二度と同じような行動をとら
ないように自分を仕向けたのだ。
次に宿泊を考えるときには恐らく、僕はいまよりずっと年
をとっている。老人が若い頃の写真を眺めるそれと同じだ。
僕はあんなことをしでかしたんだなと若気の至りのひとつと
して、それをきっと眺めることだろう。たとえ、それが明日
であろうとも。
ところで、その記念館は一週間で尊さを欠いた。ちょうど
一週間後の土曜の午後に、僕ら(爽香と僕だが)は彩香の家
を訪れていた。
社交辞令程度にしか考えてもいなかったあのご両親の言葉
が、どうやら本心のようだったのだ。
―――――――――――――――――――――――――――
「おぅ、ポチ、元気だったか?」
――わふ!
「……うりゃうりゃ、ふふ、かわいい子~」
彩香を初めて迎え入れた次週の土曜日、僕は爽香を連れて
彩香の家を訪ねた。
門を潜ると、僕はいつものように駆けつけてくれた守衛さ
んに、玄関まで案内を願った。小幅で歩いているポチの後ろ
姿に爽香はすっかりと魅了されていた。
でも、と、思う。まさか彼女とこうしてふたりでこの道を
歩くなどとは夢にも思わなかった。太陽の悪戯か、彼女の微
笑む姿が妙に神々しく、僕の片側だけが永遠の夏を手にした
かのようだった。
「やぁやぁ、いらっしゃい。よく来てくれたね?」
「いえ、ありがとうございます。お世話になります」
「あ、あの、これお口に合うかどうか分かりませんが、と
てもお美味しかったので、よろしかったら、是非」
「あら、まぁ、悪いわね……そんなに気をつかわなくても
いいのよ?」
恐縮して受け取る夫人に対して、爽香は彩香さんのリクエ
スト通りです。と、言った。もし、彩香がこの場にいたなら、
なっ!? してないだろ! そんなの。と、間違いなく言っ
たことだろう。なんとも爽香らしい仕返しだ、と、思った。
僕は反射的に笑顔になりかけたが、主人の次の言葉でそれは
失敗に終わった。
「ハハハ、まさか、彩香の大好きなプリンじゃないだろう
ね?」
玄関に入ると、爽香はすぐに夫人とどこかへと行ってしまっ
た。恐らく、お菓子づくりでも教えてもらうのだろう。
そこで、僕は主人とチェッカーをした。ここは是非接待を
するべきかと思ったが、それはやめにした。負けず嫌いが邪
魔したのか、本気でぶつかりたいと思った。
ところで、1局目はあっさりと負けてしまった。2局目は
なんとか勝ちにもっていけたのだが、僕は次の3局目を行う
ことがとても怖かった。こんな気持ちは初めてだ。誰かに負
けるかもしれない、これほどまでにその恐怖が大きくなった
ことはない。
僕は一体何を恐れているのだろう。負けてしまったらどう
なるというのだろう。僕はその答えを抑圧していたから、そ
こに何があるのかまるで分からなかった。
ただ、それでも3局目を打ちたがったのは間違っても負け
ず嫌いからでもまだ見ぬ先からくる好奇心からでもなかった。
決して、暗闇に足をつっこむ好奇心からではない(その闇に
魅せられているのは確かだったが)。
僕は視野が狭まっていた。隣に彩香が立っていることに気
がついていなかった。では、なぜ気がついたかというと、彼
女が僕の並べた駒をいたずらに動かしたのだ。
暗示から解けたような気持ちがした。僕はハッとして、彩
香を見た。と、同時に彼女にふりかかる雷に注意した。僕は
避雷針になろうと、慌てて主人の方を見た。けれど、そこは
晴天に包まれていた。主人は笑っていたのだ。
僕はあっけにとられてしまった。僕の父親なら、爽香がも
しこんなことをしようものなら、絶対に落雷を起こすはずだ。
僕はそれを受け止めるのに必死だった。
「……愁は私のだ。勝手に取るな」
「あぁ、それはすまなかったね。もう、帰ってきたのかい?
お帰り、彩香」
もう、の言葉に彩香は眉をひそめた。
「うるさい。行くぞ、愁」
そう言って、彩香は僕の手をひっぱった。僕は軽く会釈を
してその場を立ったが、彩香の行為をここで咎めておかない
といけないような気がした。そこで、僕は呟いた。
「お帰り、彩香」
「あぁ、すまないな? 愁。少し遅れてしまった」
「いや、いいんだ。それより、あんなことってないだろ?
お父さんに謝ってきた方がいい」
「っ……どうして、そんなことを言うのだ? おまえ、私
の味方じゃないのか?」
「……そういう問題じゃない。挨拶もしないし、駒もぐちゃ
ぐちゃにしちゃうし、だめだろ? そんなのって」
僕は優しく諭すつもりだった。ところが、彩香の瞳が見る
見る揺れていくのを感じて、僕は胸が痛くなった。彩香は目
を逸らすと、主人の方へ歩み寄っていって謝った。
「……これでいいのだろ」
彩香はとても悔しそうだった。
僕は彩香の味方だということを示したくて、大胆な行動に
でた。彼女にベッドまで案内してもらって、そこでふたり仲
良く寝そべったのだ。
――こんなところ見つかったなら、きっと僕は殺される。
でも、それでもいいと思った。ただ、その前に僕が彩香の
味方だということを本人に証明できれば。
「……ごめんな? さっきのこと」
「おまえ、どうして、あんなこと言ったのだ?」
「ごめん、昔と重なったんだ。おれ、親父とよくボードゲー
ムやってたんだけど、そうすると、決まって爽香がやってき
て基盤をひっくり返すんだよ? そしたら、親父大人げない
からすぐ怒鳴ったんだ。おれはもう大慌て。それとさっきの
が、かぶった」
彩香は黙って聞いてくれていたのだが、俯いたままで納得
がいかない様子だった。
「彩香のお父さんは普段、怒らないのか?」
「あぁ、滅多に怒らない」
「おれは怒ると思った。親父と重ねちまって……だから、
お父さんが機嫌を損ねる前に謝って欲しくて、悪い……。帰っ
てきてすぐ連れだそうとしてくれたことは凄く嬉しかったよ?
彩香があんなふうに言ってくれたのも本当は……。ただ、そ
の場でも後々でも、彩香が叱られるのが我慢ならなかった。
それと……」
「それと、なんだ?」
「分かんない。2局やってイーブンだったんだけど、なん
か、3局目がとにかく緊張してさ。まるで、負けたら大事な
もの失いそうで怖かったんだ。でも、やらなきゃいけない気
がして……そんなときだったから、ちょっと、怒っちゃった
のもあると思う。ごめん」
「愁……」
彩香は言葉とともに僕に覆いかぶさってきた。柔らかな唇
の感触に気を失いそうになった。
「私の方こそ……すまなかった。そんなふうに思ってると
は思わなくて……その」
「いいよ。おれの勝手な妄想が原因なんだから」
「……そうか? でも、そんなに親父に勝ちたかったのか?
チェッカー」
徐々に彩香の頬に血気が戻ってきて、僕は心の底から安堵
のため息が出そうになった。それを伝えたくて、僕は彩香の
唇に悪戯をした。
「んっ!?」
「……ハハ、久しぶりに息、吹きこんじまった」
「……バカ」
「嫌だった?」
「笑顔で聞くな、バカもの。それより、ちゃんと答えてく
れ。親父にそんなに勝ちたかったのか?」
「あぁ。接待なんて、クソッタレだと思った」
「ふふ、まったく、口の悪い奴だな」
「ごめん。でも、本気で勝ちたかった。……こどもっぽい
か?」
「いや、負けてもいいなんて思う愁は私の知っている愁じゃ
ないし、そんなの嫌いだ」
「う……」
「なにを、しょげているんだ? 私はおまえを嫌いだと言っ
たわけじゃないのだぞ?」
「そうだけど、なんかこうぐっとくるものが」
「ふふ、すまない。愁……」
「ん?」
「その……察してくれ」
彩香はそう言うと、僕の胸に顔を埋めてきた。惚ける気は
なかった。僕は彩香を下にして、首もとをせめた。そこから、
彩香に触れようとしたときに小さな声があがった。
「あっ!? す、すまない」
「……へ?」
気の抜けるような声だった。
「その……まだ女だったのだ」
僕はいけないと思いながらも笑ってしまった。大事なとこ
ろで抜けている彩香がとても可愛らしく思えたから。
「アハハハ!」
「な、どうして笑うのだ!?」
「いや、だって、可愛いなって思って」
「何がだ!? バ、バカにしてるだろ!?」
「してない」
「いーや、絶対にしてる」
「ハハ。信用ないなぁ」
僕は触れようとした手を引っ込めて、彩香の肩にそれをま
わした。
「体調は悪くない?」
「べ、別に悪くなどない。普通だ」
「そっか。でも、額が熱いな」
僕は壁に背をもたれながら、彩香を前に抱えた。
「う、うるさい!」
僕は目を閉じて、彩香を少し強く抱きしめた。このまま眠っ
てしまいそうだった。
「……愁」
「ん? なに?」
「その、怒ってないか?」
「ん、怒ってない」
「そうか……なら、いいのだが」
「言ったろ? 今度はベッドでずっと話し込んでいたいっ
て? 今夜は寝かさないぞ、彩香」
「まったく、強引な奴なのだな? おまえは」
それから、僕らは寝そっべたり、枕を奪い合ったりしなが
らじゃれあった。僕は彩香が目を閉じても、構わず話しかけ
た。彩香は嫌がったふりをしながらも、笑ってくれた。
夕方になると僕らはいいかげん腰が痛くなってきて、柔ら
かなベッドを後にした。
とはいえ、部屋を出るまでにはそれから随分と時間がかかっ
た。僕が先にベッドから起きあがると彩香が、彩香が先に起
きあがると僕がベッドに押し倒した。このなんとも無意味な
繰り返しのなかに、僕らの確かな幸せがあった。
夕食までまだ時間があったので、僕らは庭でキャッチボー
ルをすることになった。初等部のレクリエーションで野球を
したことをふと思い出したのだ。野球といっても、こどもに
おなじみのカラーバットとビニールボールで行ったものだが。
僕はそのときと同じ小さなビニールボールだったから、グ
ローブはしなかった。彩香もまたしなかった。ただ、突き指
をしては困るので、僕はやまなりのボールを投げ続けた。
ところで、このキャッチボールは長続きしなかった。とい
うのも、そもそもこのビニールボールはポチの遊び道具で僕
が投げると彩香に、彩香が投げると僕にポチが駆け出してき
て、初めこそ、ポチの愛くるしさに笑顔が漏れたものだが、
だんだんいたたまれなくなったのだ。
彩香と僕はポチに謝った。次に何をしようか考えていると
彩香が倉庫からカラーバットをひっぱりだしてきた。
「まだ、あったのかそれ? 凄いな」
「ふふ、私は物持ちがよいのだ」
「あぁ、そうだろうな。彩香はずっと綺麗だ」
僕は言って、しまったと思った。彩香の顔は一気に熱を帯
びて、次の瞬間、僕はカラーバットの的にされた。
「ふふ、なぁ、これで勝負しよう。これなら、ポチと3人
で遊べるし、こいつもくぅんって泣くことないだろ?」
「あぁ、打って取ってきてもらうんだ?」
「そうだ」
「バッターは彩香か?」
「もちろんだ」
「それなら、ポチはでぶっちまうな」
「な、どうしてだ?」
「だって、キャッチャーの後ろぐらいしかポチ走れないじゃ
ん」
「っ……おまえ、私をみくびったな?」
「おれのは打てないよ」
「よく言う。いいだろう。それなら、私がおまえのカエル
を驚かしてやる。ぶつけてもおまえ、文句言うなよ?」
どうやら、彩香は特大ホームランを狙っているいるらしい。
正直、カラーバットではプロでもあそこまで飛ばせないだろ
うに。それでも、僕は車に当たることを願った。
「いいよ? のった。で? 予告ホームランはいいけど、
飛ばせなかったらどうする?」
「そのときは罰ゲームを受けてやる。その代わり、私が打っ
たら、おまえも罰ゲームをするんだぞ?」
「あぁ、決まりだ」
僕らはあのときも曖昧だった。罰ゲームの内容をちゃんと
決めた試しがない。なんとも日本人らしいといえば、日本人
らしいのかもしれない。でも、米粒のような書面をいちいち
書いていたら、僕らはきっと遊べなくなってしまう。それに、
僕らはこれを書かなくてももめることはなかった。勝った後
で、何を言われるのだろうとビクビクしている相手を脅かす
だけ脅かしておいて、最後には安心させてやるのが僕らの慣
わしだったのだから。
ところで、僕は困ったことにこの勝負でもやまなりのボー
ルしか投げられなかった。ところが、1球目も2球目も彩香
は空振りをした。どうやら、あのカラーバットの的は僕しか
ないようだ、なんて、意地悪なことを考えた。
「彩香?」
「なんだ?」
「ツーストライク?」
「っ……そんなの分かっている! ん? なんか、それ、
前にも聞いた気がするな」
「ハハ、ポチはすっかりキャッチャーだな?」
「うるさい! 野球はツーストライクからだろ?」
「あぁ、そうだな。九回裏のツーアウトツーストライク、
それから、えっと、スリーボールからだな?」
「そんなにアウトになるものか」
彩香はむくれていた。そういえば、いつ試合終了とも決め
ていなかった。それでも、僕はきっと、ずっと彩香にこのボー
ルを投げ続けるだろう。延長戦だと言いながら。彼女が打つ
までは、ずっと。
ところが、試合は1回の表で決着がついた。3球目を彩香
は捉えて、空高く打ち上げた。名手がその後を追っていく。
球は随分と遠くまで飛んでいって、駐車場の前にある大きな
池に落ちていった。
「……池ぽちゃだな。しかも、名手が取っちまったからア
ウトだ。てか、大丈夫か……ポチ池に突っ込んだけど」
僕は池から出てくるポチを遠めで見ていた。
「大丈夫だ、あいつは水遊びが好きだからな。それより、
おまえの負けだぞ?」
彩香は思いがけないことを口にする。
「なんでだよ? 駐車場まで届いてないだろ?」
「そうだが、池の手前がこの球場のフェンスなのだ。十分、
ホームランだろ? 特大じゃないだけだ」
とにかく、彼女は僕に負けたくないようだった。彼女が後
から後悔しないように、僕は一つ一つ敗因を挙げた。
「名手は?」
「捕手が取れるわけがないだろう? あいつは初めから観
客だ。おまえ、騙されていたのか?」
「ハハッ、そっか。あれ? でも、カエルの目を覚ますん
じゃなかったのか?」
「今のスタジアムの歓声できっと驚いて起きているぞ?
見てくるか?」
「いや、いい」
結局、僕は彼女の口に負かされてしまった。
「ふふ、ところで、おまえ、準備はいいのか?」
彩香のカラーバットはいつのまにかホースに変わっていた。
僕はそれを見て思い出した。そうだ、僕らは確かにもめはし
なかったが、それが即ち、彼女が慣わしを守っていることに
はならなかった。一人だけ派手にぶちやぶる人がいた。そう
だ、それが、彩香だ。
半開きの口で、僕は立ちすくんだ。
「どうした? 顔が青いぞ?」
「ま、待てよ、彩香。ずるいぞ?」
「ふふ、知ったことか!」
僕は次の瞬間、盛大に水を浴びた。逃げ回っても容赦なく
彩香は僕に水を浴びせた。
玄関に帰る頃、僕は頭から水浸しだった。そこで、僕らは
お母さんにこっぴどく叱られた。彩香は夫人の言うことには
従順のようだった。
萎れていく彩香がなぜだか、とても愛しかった。