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勉強することの意味を勉強する その4

学歴が人生を救わなくなってしまった世界で、勉強する意味とは何なのか?そんなことを考えるシリーズである。今回で、その4となった。

前回までの内容について興味がある方は以下のリンクからご参照ください。全部100円で有料記事にしているけれど、返金もできるはずなので読んでから返金するとか、マガジンの購読登録をすると初月は無料なので読んでから解約するなどいかようにもどうぞ。

https://note.com/daikiasanuma/n/n78c004a51083

さて、勉強に対するモチベーションを見失っている高校生や大学生が多い、という話から現代社会でどうやってそれを再設定するかという観点でこれまで論を展開してきた。前回はそれを偶然という要素に帰着させたわけだが、今回からはまた少し違う観点から話を進めてみたい。

知識を得るとはどういうことか

勉強するのは何のためか、と言われたら、目的や程度に差はあれ、だれもが知識を得るためだと答えるだろう。新たに知識を増やして、それを使ってできることを増やす。そうやって知識を多く持っていて、それをよりうまく利用する人が社会的に成功する確率を高めることができる。それが現代の知識社会だ。

知識はもちろん目で見ることができないし、知識量の多寡を札束などのように見える形で他人に示すこともできない。だから、その知識量を示すための代替的な指標が必要になる。その指標として一般的なのは、その人が学んできた歴史、つまり学歴だ。こうして知識社会は一般的に学歴社会になっていく。

学歴なら、高校や大学の卒業証明書という物理的な実体でそれを示すことができるので、一応教育機関に通ったことの証明になるし、資格を取るというのも基本的には同じことだ。

ただ、誰もがよく知っているように、知識というのは学校に通ったからといって自動的に身につく物ではない。知識とは、本人がそれを使って思考ができるように自由に使うことができて初めて意味があるものなので、結局のところ、知識を得るとはそれを使ってそれまで自分にはなかった思考ができるようになることなのだろう。

それは、用語や年代を暗記するような勉強の仕方ではなかなか獲得することができない。なぜなら、暗記では自分がすでに持っている知識とが絡まったネットワークを脳内に作ることがうまくできないからだ。

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