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the long wrong way
目的と手段を取り違えてはいけない。
事を進める上で注意しなければならないこととして、頻繁に指摘されることである。でも、これを十分に実践に落とし込むことは非常に難しい。だから、頻繁に指摘されるのだろう。何度やっても取り違えちゃうから。
人生。
どんな形であれ、大抵の人は自分の人生を豊かなものにしたいと望んでいる。何に豊かさを感じるかは人それぞれだろうが、充実したものであってほしいという願いは共通しているだろうし、そのための努力を積み重ねることが人生そのものだ、というのは必ずしも大袈裟な表現ではあるまい。
ところで、我々人類はまだ残念ながらバーチャル化には成功しておらず、相変わらずフィジカルな存在だ。生きるには物理的空間と地面が必要である。だから、都市や田舎といった何らかの地域とそこにあるコミュニティに属して生きている。そうした環境のあり方が、人生に多大な影響を与える。
しかしながら、平成の30年間がそうであったように、我々を取り巻く環境のいろいろなものが劣化してしまった。その劣化は都市部よりは田舎、いわゆる「地方」のほうが深刻であり、それゆえ地方では「地方創生」とか「地域活性化」とか、ネーミングはともかく意図するところはなんとなくわかるようなそうしたものに取り組むことになっている。
目的と手段を取り違えてはいけない。
我々は目的と手段を取り違えてしまうことがよくある。本当によくある。お金は物を手に入れて生活を豊かにする手段であるはずなのに、いつの間にかお金自体が目的になっちゃったりするし、大学入学は専門知識を学んで社会に還元する手段であるはずなのに、いつの間にか入学自体が目的になっちゃったりする。
目的と手段を取り違える代償は結構大きい。頑張って手に入れたものが実は手段にすぎなかったと知った時の絶望は人をダメにしてしまうことがある。それどころか、頑張る方向をすでに見失っていることに気づかないまま頑張り続けることにもなりかねないため、目的はいつまで経っても達成できない。かなしい。
人生。
人間はある地域に生きる。ある人の人生は、その地域に絡まって存在するものであり、土地や人間関係から独立した人生は存在しない。人は独りでは生きられない。その人の人生のあり方は、その地域のあり方とある意味では一蓮托生的なところがある。
おそらくそれがよくなかった。
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