ゴミ山を舞台にした作品を見て
この週末、舞台を見てきた。
フィリピンのゴミ山(スモーキーマウンテン&パヤタス)に住む子供達の物語だ。
この舞台の収益の一部が学校資金としてゴミ山の町に2017年から寄付し続けている。
そこにぼくらが運営する、生き甲斐を見つけるコミュニティ L.O.G.(ログ)がスポンサーとして援助させてもらった。
ぼくらがコンセプトとしているものとピッタリだなぁと思ったから感じたことをシェア。
あなた本当に生きてる?
作品の中で出てくるセリフ
「あなたは本当に生きてる?」
ゴミ山でサンパギータという花を売る、孤児の女の子がのアキラに向かっていう言葉だ。
アキラはフィリピンに来て、スリに合い財布もパスポートも取られてしまいお腹が減って死にそうになっていた日本人。
そんなアキラを見つけた子供達は、各々が最大限の食べ物を持ちあってアキラを助ける。自分が満足に食べられもしないのに。
「自分は誰かに助けられて生きてきた」
「だから誰かが困ってたら助ける」
ゴミ山の子たちはそんな精神性で生きてるんだ。
子供達に救われたアキラは、
ただただ何となく生きる答えみたいなのを探して何となく父親の考えを探しにきた(ぼくにはそう見えた)ことを見透かされ
「あなたは本当に生きてる?」
と、言われる。
たしかにアキラもぼくらも、心臓は動いてるし息をして意識もあるし、物理的には生きてる。
でも、生きるってただ生物として命あればいいのだろうか??
そんなことを考えさせられる言葉だった。
偽善者になれってことじゃない
この作品見て率直に思った事がある。
残酷な気持ちだけど。
「まあ世界は平等じゃないよな」
ということ。
ゴミ山で生活する彼らを知ったところで、
その生活全員を救うなんて簡単な事じゃない。
でも、
「あなたは本当に生きてる?」
という言葉から感じたのは
「まずはあなたの命を生きよう」
ということ。
「本気で生きよう」みたいな熱苦しいことは言わないけど、せめて何となく生きることはやめよう。
なんとなく仕事する
なんとなく人と付き合う
なんとなくご飯を食べる
なんとなく服を着る
なんとなく起きて
なんとなく寝る
なんとなく生きる。
何気ない日常での幸せってあるけどさ、
それって何かに一生懸命になったり
情熱を持って生きたりって努力する日々が
何気ない日常の大切さを思い出させてくれるからさ。
ぼくは幸は不幸の中にあると思ってる。
フィリピンのゴミ山で生活してる人を知ることが、ぼくらの幸せや命の在り方を気付かせてくれる。
だからさ
「あなたは本当に生きてますか?」
この意味深な言葉に胸張って「イェス」と言える生き甲斐を見つけて生きようぜ。
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