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【思煙】シーシャ屋という若者にとってのスナックについて

シーシャ屋は、若者にとってのスナックであると思う。店員とお客さん、あるいはお客さん同士の間で、初対面でも会話が交わされ、いつしか顔馴染みになっていく。一部の人にとっては、「あそこに行けば誰かしらはいるだろう」という、かけがえのない居場所にさえなり得る。


シーシャ屋という奇妙な場所

シーシャ、あるいは水タバコとは、香り付けされたタバコ葉を炭で加熱し、出た煙を水に潜らせて吸う喫煙具である。フルーツやお菓子、紅茶など多種多様なフレーバーが存在し、味が付いた煙を2時間程度楽しむことができる。

典型的なシーシャの本体、ばんびえん中野店

シーシャ屋とは、その名の通りシーシャを提供する飲食店のことであり、ここ数年日本でもその数を急激に増やしている。私が働くシーシャ屋ばんびえんもその1つであり、2013年に高田馬場で創業し、2023年3月現在で3店舗を構えている。

シーシャもシーシャ屋も、側から見ると珍妙なものである。タバコと聞いて多くの人が思い浮かべるであろう紙巻きタバコとは比べ物にならないほど巨大な壺のような器具を使って、これまた紙巻きタバコとは比べ物にならない大量の煙をモクモクと吐き出すのである。何も知らない人からすると、危ないものでもやっているように見えると思う。
(使っているのはただのタバコ葉であり、違法な薬物ではないので安心してほしい。その証拠(?)に、シーシャのフレーバーにもきちんとタバコ税がかかっており、紙巻きタバコと同じく永遠に続く増税に苦しめられている)

自宅でシーシャを吸った際の1コマ、顔を覆うほどの煙が出ている

初めてシーシャを吸う人というのは、大抵誰かと一緒にシーシャ屋にやってくる。シーシャにハマっている友人や先輩に連れられて、あるいはSNSで見かけたこの奇妙な代物を試してみようと連れ立って、興奮とも緊張とも言える感情を胸に足を運ぶのだ。

実際、特にタバコを吸わない人にとって、初めてシーシャを吸う瞬間というのはなかなか緊張するものであると思う。なにしろ紙巻きタバコよりも遥かに仰々しい器具を使って、まるで機関車のように大量の煙を吐き出すのである。
しかしその緊張も、2,3吸いすれば大抵は解けてしまう。いわゆるタバコの味など全くせず、フルーツやお菓子の味が口いっぱいに広がる。お客さんが思わず「すごい!美味しい!」と声を上げてくれるのは、シーシャ屋にとって至福の瞬間であると思う。

ばんびえんのメニューの一部

この多種多様な味と香りというものが、シーシャの醍醐味の1つであると思う。毎年無数の新作フレーバーが登場し、その全てを把握している人物などこの世に存在しないのではないだろうか。
日々シーシャ屋ではたくさんの人々が、味の付いた煙という不可思議な代物を楽しみながら、のんびり思い思いの時間を過ごしている。

シーシャ屋は若者にとってのスナック

多種多様な味と香りが、シーシャの醍醐味の1つであると書いた。では他に何があるのかと思うかもしれないが、私はむしろこちらの方がシーシャ、あるいはシーシャ屋の本当の価値ではないかと思う。それは、シーシャ屋が提供する「空間」である。

ばんびえん高田馬場本店、キッチンを囲む形で客席が広がる

シーシャ屋という空間では、不思議とお客さんと店員、あるいはお客さん同士の会話が弾む。最初は初めましてだった人々も、ふとした拍子に会話が始まり、段々と打ち解け、やがては顔馴染みになっていく。
例えるならば、大学生が授業終わりにサークルの部室を訪れたり、年配のサラリーマンが行きつけのスナックを訪れた時の感覚に近い。特に約束はしていないけれど、誰かしら顔馴染みの人がいるかもしれない。そんな淡い期待を胸に扉を開け、誰かいれば挨拶をするし、特にいなくてもそれはそれでよし。そんな緩やかなコミュニティが、多くのシーシャ屋で築かれているように思う。
もちろん飲食店であまり話しかけられたくないという人もいるだろう。シーシャ屋での会話は、決して強制されるものではない。ただ、「誰かと話したい」と思う人同士が自然と会話を始めるのだ。

なぜこんなことが起こるのか。ちょっとした私見を述べたい。
まずお客さんと店員について。店舗によって接客のスタイルが異なるのは当然だが、特に個人経営の小規模なお店ほど、お客さんと店員の距離が近いように思う。その秘密は、シーシャという喫煙具のとある面倒臭さにある。
シーシャは、フレーバーを加熱するために炭を用いる。当然炭なので、吸っているうちに燃焼して段々と小さくなってしまう。それに合わせて出る煙も少なくなり、感じる味も薄くなってしまうのだ。そのため、シーシャ屋ではだいたい20分から30分くらいの間隔で店員が炭の交換を行う。

シーシャを上から見た図、焼けた炭が入っている

この炭の交換というのが肝である。普通のカフェやレストランと異なり、シーシャ屋では提供後も店員が定期的にお客さんの側にやってきて、炭の交換と煙の調整を行う。時間にして1,2分程度のこの作業がきっかけで、店員とお客さんの間に会話が生まれるのである。
会話の内容は大抵他愛のないもので、吸っているフレーバーの感想や、よく行くシーシャ屋、あるいはお客さんが読んでいる本の話など様々である。しかしここで弾みがつくと、いつの間にか炭替えが終わっても会話が続いていたりする。小さな店舗であれば、店員がキッチンに戻っても客席との会話は十分成り立つ。この積み重ねが、お客さんと店員の距離を徐々に縮めていく。
もちろんリモートワーク中で作業に集中しているお客さん相手など、最小限のコミュニケーションで終わらせる場合も多分にある。しかし、そのお客さんがパソコンから顔を上げて一息ついたとき、店員が「お疲れ様です」というひと言をかけた瞬間、会話に花が咲いたりもする。お客さんが楽しんでくれる範囲を見極めて声掛けや会話を行うというスキルは、シーシャ屋店員に求められる重要な資質の1つだと思う。

店員は20分から30分おきにお客さんのもとへ行き、炭替えと煙の調整を行う

では、お客さん同士についてはどうか。友達同士など最初から複数人で来た場合は言わずもがなであるが、そうでない場合も会話が生まれることがある。完全に経験則になってしまうが、きっかけの1つは先程のお客さんと店員の会話ではないかと思う。
カフェやレストランにおいて、お客さんと店員がコンスタントに会話する場面というのは、今の日本ではなかなか見かけない光景である。スターバックスにしろ、居酒屋にしろ、せいぜい注文をするときに少し気の利いたコミュニケーションがあるかどうか、といったところであろう。そんな中シーシャ屋で起こる(かなりの場合初対面の)店員とお客さん同士の会話は、一緒に来た友達以外とも会話をして構わない、というある種の安心感を与えている(無論、強引なナンパなど迷惑行為はご法度である)。
2時間程度の滞在の中で、初対面のお客さん同士が交わす会話はほんの数分、数秒だけかもしれない。しかし、その数分、数秒を共有したお客さん同士が、またあるときそのシーシャ屋で偶然顔を合わせ、段々と顔馴染みになっていく。

この他にも、シーシャを吸うことで会話の間を繋ぐことができたり、シーシャ自体が初対面同士の共通の話題として機能することも理由としてあるだろう。シーシャを吸うだけでは暇なので、暇つぶしに誰かと話したくなるというのも大きい。

ある日のばんびえん高田馬場2号店、友人同士でも普段以上に話が弾む

ともかくシーシャ屋には、初対面同士が会話を始めやすい土壌があり、いつの間にか「そこに行けば誰かしらいるだろう」という期待を抱けるような、家でも職場でもない第3の居場所になりうる要素がある。
大学を卒業して部室のような溜まり場がなくなった人、しかしスナックなどに行くにはまだ少し敷居が高い人、つまりは20代から3,40代くらいの人々にとって、このような空間はシーシャ屋以外に少ないのではないだろうか。

コロナの時代に激増したシーシャ屋

今や東京都内に限って言えば、シーシャ屋の数はスターバックスよりも多いという話も聞く。日本全国で1000軒を超えたとも言われるシーシャ屋がここまで数を増やしたのは、ここ2,3年のことである。ちょうど、新型コロナウィルスの流行が始まった時期と重なる。

個人的な話で恐縮だが、2020年3月に大学を卒業した私はそのまま大学院に進学し、コロナ真っ只中の院生時代を過ごした。講義は全てオンラインに切り替わり、式典は軒並み中止。経済学を専攻していた私は、実験室に集まって複数人で研究を進めることが多い理工系の人々と異なり、キャンパスにも行かずほとんど1人で研究に勤しんでいた。学部時代の同期もみな就職している中、居場所となってくれたのがシーシャ屋であった。

個人経営がほとんどのシーシャ屋は、そもそもからしてあまり経営体力のあるビジネスではない。相次ぐ休業要請や時短要請によって、多くのシーシャ屋が苦境に追い込まれていた。しかしそれでも、日本でシーシャ屋が激増したのはまさにこの時期であったし、人と会うことが制限される時勢であったからこそ、余計に人々は誰かと同じ時間を共有できる居場所を渇望していたように思える。

ある日のばんびえん高田馬場本店、シーシャを囲んで会話を楽しむ人々で賑わう

これを書いている2023年3月現在、時短要請や緊急事態宣言といった言葉も聞かなくなって久しい。ついには、マスクの着用も任意となった(花粉症の季節ということもあって、街ではまだまだ多くの人々がマスクをしているが)。もちろん、新型コロナウィルスが消滅したわけでは全くなく、時間の経過とともに、人類がコロナと共生せざるを得ないという妥協の段階に達しただけのことである。
とはいえ、コロナ以前に近しい生活は確実に戻りつつある。コロナの時代に人々が渇望した居場所としてのシーシャ屋は、その役目を終えたのだろうか。
私はそうは思えない。「誰かと同じ時間を共有したい」という欲求は、コロナによって改めて強く認識されたものかもしれないが、元来多くの人々が共通して持っているものである。2023年になってもコロナ以前と比べてリモートワークが格段に増えたのと同様、シーシャ屋という居場所もまた、これからも多くの人々に愛され続けると思う。

コロナ以後、シーシャ屋でリモートワークする人も増え、馬場本店では作業しやすいようカウンターが増設された

とは言え、シーシャ屋の店舗数という供給が、シーシャ屋に足を運ぶ人々という需要を上回っている、ということはありえる。実際、ここ1年ほどでシーシャ屋という市場が淘汰の時代に突入しているという肌感覚がある。シーシャ屋という居場所が多くの人々に認知されたがゆえに、そこに参入するプレイヤーも急増し、明確に市場原理が働くようになってきている。

人々がシーシャ屋に求めるものはなんだろうか。私自身が客としてシーシャ屋を訪れるときも、店員としてお客さんをもてなす時も、一番強く意識するのはやはり「若者にとってのスナック」のような、居場所としての価値である。
もちろん、シーシャ自体のクオリティや、内装を含めた雰囲気など、重視するポイントは1人ひとり異なるだろう。しかし、それらの要素全てを内包した結果、そのシーシャ屋がどのような居場所になるかも決まる。私は今後も、自分が働くシーシャ屋が、お客さんにとって理想の居場所になれているかどうかを試金石にし続けるだろう。

偉そうな御託を並べてしまったが、私自身はまだシーシャ屋としてのキャリアがようやく2年目に突入した程度の若輩である。シーシャの腕はもちろん、シーシャ屋を居心地よい空間にするための全ての側面において、スタート地点からほんの1,2歩踏み出したに過ぎない。お金を頂いてシーシャ屋という空間を提供している以上、プロとして絶対に越えなくてはならないラインを越えている自負はある。しかしながら、まだまだ学ぶべきことばかりだと痛感する日々である。
大勢の偉大な先達が築き上げてきたシーシャ屋という居場所を、少しでもより良いものにできるよう、精進していく所存である。

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【シーシャ屋ばんびえん】
高田馬場と中野に計3店舗を構えるシーシャカフェ。
毎日14:00-24:00で営業。

【つー@ばんびえん / Daiki Tsukamoto】
シーシャ屋ばんびえんスタッフ。
「知って楽しい、真似して便利」をコンセプトとした #シーシャ雑学 をTwitterで発信中。


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