会社を辞めて音楽活動を立て直し、海外のフェスに出演するまでの話 ヤマモトダイキ~現在編~
前回までのあらすじ
ジプシージャズという激レアジャンルにハマりプロを目指す→紆余曲折あり結婚・就職を経て音楽から遠ざかる→夢を諦めきれず一心発起し会社を退職
退職後、割と真剣に起業を考える
いきなりタイトルと矛盾する内容から始まってしまいますが、会社を辞めた後の私は音楽活動を立て直すことと同じ位”起業”のことで頭がいっぱいでした。
「起業?いきなりなぜ?」と思われる方もいらっしゃると思います。
会社員時代、激務に追われていた私の頭の中にある考えが浮かんでいました。
「あれ?こんなに仕事を頑張っているけれど、どうせ同じだけ頑張るなら起業して自分のビジネスの為に自分の時間や労力を使った方が良いのでは?」
これは恐らく独立・起業を志す全ての人間が頷くであろう、普遍的な初期衝動であり、同時に非常にナイーヴなものでもありました。
仕事がとにかく大変だった
なんでこんなに仕事しなきゃならないんだろう・・・
徹夜明けに風呂の中でぼーっと考えに耽っていたら、カチカチと頭の中で論理が組み立てられていく音が聞こえました。
・仕事が大変でプライベートの時間が取れない理由→「防犯カメラ・警備」という24時間体制の"サービス"を売る会社で働いているから、24時間いつでも担当しているお客さんから連絡が来る可能性に備えなければいけない(この頃、いつでもお客さんからの電話に出られるよう、常に枕元に仕事用のスマホを置いて寝ていました)
・"サービス"、特に24時間体制のサービスを売る仕事は大変すぎる、"プロダクト"型のビジネスを自分で始めて上手く稼げたら、生活の為のお金と自分の時間が今よりもっと持てるかもしれない
私が「プロダクト型のビジネス」という形態にこだわったのはサービスを扱う今の仕事への反動に加えて、日本でフリーランスで音楽家をやってると口約束だけで契約書もないような仕事も多く、ギャラを最初の約束より減らされたりといった不義理をされても、泣き寝入りするしかないような状況への反動もありました。
ナイーヴな私は「手に取って触ることのできる"モノ"になら人は金を払うだろう」というある種の思考停止状態に陥っていました。
「音楽活動を立て直して、音楽家の夢をもう一度真剣に目指す」というのは勿論ありましたが、仕事に疲れ切っていた私はその目標の先に「自然の美しい田舎で、音楽活動と並行して何か自分のスモールビジネスを経営しながら、大型犬を飼って、料理と家庭菜園を趣味に、心静かに豊かな余生を過ごす」という殆ど引退生活めいたビジョンを付与したのでした。
実はこの「何か自分のビジネスをしながら音楽をする」という部分に最初から音楽活動だけで生計を立てるのは無理だと決めつけているという当時の思考の特徴が見て取れまのですが、これは後に大きく変わっていきます。
詳細は伏せた状態で、以下にこの時の私が思い付いたビジネスアイデアの一部を列挙していきます。
・クラフトジンの蒸溜所を立ち上げる(調べるとすぐに、製造免許の取得のハードルの高さやイニシャルコストで億単位の金がかかることに気が付き断念しました)
・3Dプリンターを使用したオリジナルサウナグッズの制作・販売(私の考えたのと同じようなコンセプトの商品で既に失敗している人が居たので止めました)
・サウナをテーマにしたオリジナルのアロマオイル・化粧品の製造・販売(蒸溜に興味があった時期に、アルマオイルは水蒸気蒸溜を使って製造されることを知りました、そこから広げたアイデアでしたがこれも免許取得が厳しく断念しました)
元々私は何か興味を持った一つのことを、つきつめて考えることが大好きでした。仕事を辞めて本を買う金がないので、毎日図書館に通って会社法・経営・マーケティング・ブランディングに関する本を借り、ノートに書き写して勉強していました。この時の経験が後の音楽活動に大きく影響することになります。
クラフトジン蒸溜所へ就職
退職からひと月ほど経った頃でしょうか、毎日浮かんでは消えていくビジネスアイデアの数々、その全てが突き詰めると「先立つもの」つまり開業資金の問題にぶち当たります。
そして貯金も計画もなく仕事を辞めた27歳にそんな資金力があるはずもありません。
そんなある日、私はSNSでとあるクラフトジン蒸溜所が社員を募集しているのを見かけ「これは」と思い応募してみました。
Zoomを使用したオンライン面接では採用担当の方が「原則、後日連絡なので、面接中にこんなことを言うのは初めてなんですけど、是非採用したいです、すぐに蒸溜所に来てください」とありえないくらいの好感触でした。
後で事情を聞いてみると「クラフトジンの蒸溜所の社員というのは、夢のある華やかな職業だと思って(お酒が大好きで応募してみました!)と浮かれた気持ちでやってくる人が多い、前職でどんな仕事をしていたか、今まで仕事でどんな成功・失敗を経験してきたか、数字を交えて理路整然と語っていた雰囲気が信頼できると直感した」とのことでした。
社長はプライベートで音楽活動もしている方で、私の音楽活動にも理解を示してくれました。
当初の思い付きのように、いきなり起業して自分のビジネスでお金を稼ぎながら音楽活動~とはいかなかったものの、こうして首尾よく音楽活動と両立しやすい仕事を見つけ、再出発に臨んだのでした。
”日本のジプシージャズ黎明期に生きる”
突然ですが、話を私がステージで演奏し始めたころに戻します。
この仰々しい見出しは昔の私のホームページのサブタイトルでしたが、ある日ライブで、ステージの間に古株のジプシージャズファンのご老人に「君のホームページに"日本のジプシージャズ黎明期"とあるが、黎明期という言い方は私達が培ってきた歴史を無視していて失礼だ!」と叱責されたことがあります。
当時ギターを背負ってライブやセッションに出かけると、何かにつけて必ず誰か目上に説教されるような日々でした。
色々と経験を経た今なら「若いから理不尽にマウントを取られてるだけ、深く考えず聞き流せば良い」と考えられるし「ジャンルを問わず人が集まると、何割かはこういうクセのある人がいるもの」と俯瞰できるのですが、当時はいちいち傷ついていました。
私は自分の一番好きな音楽の、国内のコミュニティに馴染めなくなっていました。
それだけならまだいいんですが、加えて
「日本のジプシージャズギタリストはみんなピッキングが弱すぎる、更にテンションの低いネック側をピッキングするから破裂音が汚くて聞くに堪えない」などと他人の演奏や音楽、日本のシーンの在り方を本質的ではないと批判する言動をネットに書くようになりました
こういう状況もあって、次第に自分と自分の共演者 対 日本の既存ジプシージャズコミュニティという対立構造が出来てしまっていた矢先、とあるフェスで私の所属するバンドへのギャラの未払いがあり、民事訴訟ギリギリまでいく大きなトラブルに発展しました。
これが決定打となり、昼の仕事が忙しかったこともあって私は音楽活動から遠のいていったのでした。
2022年7月17日の目標宣言と自己開示
私が自分の音楽活動を立て直すにあたって、まず着手した事がこういった過去を清算することでした。
音楽活動を応援してくれる職場に再就職したり、前年にレコーディングしたアルバムが完成しつつあったり、色々と再始動への機運が高まり、気持ちも明るくヘルシーだった2022年7月17日の夜、私はFacebookへ以前から胸中でくすぶっていた途方もない目標を宣言するとともに過去の言動を反省し応援を求める内容の記事をポストしました、これ以降、まるでようやく歯車が嚙み合ったかのように、どんどん道が開けていきました。(リンクとその時の記事をここに記しておきます)
2022/07/17
最近いくつか凄く大事なことに気が付いたので書いておきます。
まず目標は言葉にして宣言すべきということです。
私は心から尊敬する演奏者であるBireli LagreneさんやRocky Gressetさんと正式にステージを共にしたいです。Django Reinhardt Festivalは勿論、欧州各国のフェスに(日本に呼んでライブを企画してくれたお返しに)とかではなくきちんと正式に演奏者として評価・招聘され、アジアと欧州を行き来する継続的な演奏活動を主軸にできるようになることを絶対の目標にします。
「長い人生いつかは」というニュアンスの話ではなく数年以内に実現したいです、とてつもなく難しいことですが、その為にやるべき事が段階を経て分かってきたので、大それたことだとは思いますが、ここで宣言しておきます。
もうひとつ気が付いたのは「他人の音楽を批判してはいけない」ということです。
私は20代前半のころ、個人や団体を名指しこそしなかったものの、とにかく日本のシーンの在り方や、日本のギタリストの演奏を、本質的ではないと批判ばかりしていました。
勿論良い結果は得られませんでした。
ただ最近、Jazz Manouche/Gypsy Jazzを聴くのも演奏するのも十人十色の様々な解釈があり、自分には自分の理想とするJazz Manouche/Gypsy Jazzというものが確固としてあるのだけど、その「山本大暉が理想とするJazz Manouche/Gypsy Jazz を好きな人」が日本にはとても少ないだけ、そのように視点や考え方を変えてみるととても気持ちがスッキリしました。
これから先、誰かの演奏を聴いて、それが「ちょっと違うな」と感じても「これはニセモノのJazz Manouche/Gypsy Jazzだ!」などとネガティブな感情を溜め込むことは二度とないでしょう。
そもそもマヌーシュの一族でもない私にそんなことをジャッジする権利なんてないんですから。
私は昔、ジャンゴ東京フェスティバルとそれに付随するイベントで、ギャラの未払い等があり主催者とトラブルになりました。
あの時は、とても不思議なことを言うようですが、何となくそういう事態に陥る悪い予感がしつつも出演に踏み切ったな、というのが正直な感想です。
明らかに主催者が私や当時の共演者の活動に反対の立場を取っているにも関わらず、シーンからの疎外感のようなものを感じていたせいか、みんながやってる!僕も関わらなきゃいけない!と変な義務感があったんですね。
人には文句を言っているくせに、いざ背を向けられて孤立すると寂しかったんですね、身も蓋もない言い方ですが、本当に未熟者だったと反省しています。
あの時自分は寂しくても強い信念を持って、一からシーンを作り上げるような覚悟で、その時のやるべきことをすべきだったと思います。
私はただ一人の先輩ミュージシャンにしか打ち明けたことはないですが音楽以前に人生において「常に正気でいること・精神の安定を保つこと」を何より気を付けてきました。
ここでいう正気とか精神の安定というのは、何かトラブルが起きても感情を表に出さない、公の場で声を荒げて怒ったりしない、誰に対しても優しく接する、というようなシンプルなことです。
そのお陰か今はいろんな物事が前よりクリアに見えるような気がします、嫌なことをされたり見聞きしても、心にさざ波が余り立たなくなってきました。
先に掲げた途方もない目標とタイムリミットに対して、まずやるべきことは一言で言い表せます。
演奏者であれリスナーであれ「山本大暉というアーティストを応援することが自分の幸せやメリットとイコールになる状況を作り続ける」ということです。
それがサイクルになれば経済が生まれ、日本にはこの音楽の専業演奏者が増えて、シーンも大きくなると考えています。
その為にやるべきことももう自分の中で結構具体的になっています。
そして元々私の活動には「日本人でどこまでやれるのか?」というようなドキュメンタリズムを感じて応援して下さる方が、数は少ないですけどいらっしゃいます、そうした潮流をより大きくすることも重要です。
この投稿もそうですが、これからも定期的に自己開示をしつつ「何の後ろ盾も実績も無い日本人のギタリストが地道な努力で世界のJazz Manouche/Gypsy Jazzのシーンで実績を作っていく、存在感を増していく、それを応援し見届けるのが同じ日本人として自分のことのようにワクワクするし楽しくてたまらない」そういう存在になれるように頑張りますので...
共感していただける方は、今後の私の実績次第だとは思いますが、応援の程どうぞよろしくお願いいたします。
いつも変わらず応援してくださる方には本当に感謝しかありません、これからも価値を提供し続けられるように研鑽に励みます。
いくつも大それたことを書いてしまいましたが、やっと一人のインディペンデントな音楽家として活動していく決心やビジョンが固まったと、そういうようなお話でした。
私の掲げた目標というのは「自分の専門とするジャンルで、世界で活躍する本物の一流アーティストになりたい」というストレートなものを(なんの政治的駆け引きも裏ルートもなし、実力だけで)と当時の状況を念頭に条件を厳しくし、更に「数年以内に」と期限まで設けるという、本当に途方もないものでした。
そして、そこへ至るためにやるべきことが分かったとまで書いています。
私が建てた計画の初期段階はYoutubeをはじめとするSNSでの発信活動へ注力することでした。
当時他のジャンルでは、既にコロナ禍の頃から活動の場をオンラインへ移し、情報発信を始めていたミュージシャンの方が徐々に有名になり存在感を増していた時期でした。
Youtubeチャンネルをリニューアル
2023年、私はカメラと月額課金の動画編集ソフトのプランを購入し、自身のYoutubeチャンネルをリニューアルしジプシージャズに関する情報発信を始めました。
私はこの「動画編集」というのが苦手で、というか機械全般があまり得意でなく、何度も苦しみましたがこの時ばかりは「これが出来るようにならなきゃ生き残れない!」とまで考えて毎晩必死にPCの画面に向かっていました。
電車移動中も膝の上でパソコンを広げて動画編集をするような状況で、ある時妻に「こんなに頑張ってるけど、きっと報われるよね…」とのび太でも言わないような弱音を吐いてしまう程でした(笑)
そんな中ある動画が10万回再生以上をマークしました。
動画制作には月額制の編集ソフト・サムネイル作成用のデザインソフト、数十時間に及ぶ撮影・編集作業、それにTAB譜などの素材作成など、沢山のリソースが必要です。
当時実は精神的にもかなり疲れており9月3日に動画編集ソフトのサブスクが切れるタイミングで1本仕上げて、そこからしばらく休もうと思っていました。
作業が遅れ、日曜の深夜というあまり人が見ない時間帯のアップとなり、告知を済ませたあとは寝落ちしてしまいました。
一夜明けて動画が今までにない伸びを見せておりとても驚くと同時に、神様から励ましをいただいたような気がしました。
勿論この成果に甘んじず、まだまだ上を目指さなければならないのですが、私にとってこの件はジプシージャズというレアジャンルでマスにアプローチできた忘れられないアチーブメントとなりました。
起業を目指していた時に勉強したことがここにきて役に立ち、次第にYoutubeやSNSがきっかけで私を知った方がライブやレッスンに来てくれたり、CDを通販で購入してくれるといったことが起き始めました(下記のリンクで購入できます)。私はオンラインでの発信活動に確かなレバレッジを感じ、以降も注力していくことになります。
Festival de Jazz Manouche de Piracicaba
2024年の4月、私は神楽坂でジャズヴァイオリニストの坪内佑美さんが主宰する「Gypsy Jazz / Brazilian Songs Night」へ出演しました。
ブラジルでジプシージャズフェスティバルを主宰しているJoseさんという方から坪内さんは既に出演のオファーを受けており、そのJoseさんが用事で日本を訪れるので企画されたライブでした。
仲間の門出を更に良いものにしてあげたい、そんな気持ちも込めて、いつものように全身全霊で演奏しました。
この時はなんだか不思議と良い演奏ができたと思います、プレイヤーも観客も終始笑顔で、会場全体に暖かい雰囲気が満ちていた良いライブでした。
これがキッカケで、後日私もJoseさんの主宰するジプシージャズフェスティバル、"Festival de Jazz Manouche de Piracicaba"で演奏してみないかと直接オファーを頂きました。
それからようやくフェスについて調べてみると、これが南米最大のジプシージャズフェスティバルで、加えて今年は10周年という大きな節目でもありました。
更に10周年を記念してかPaulus ShaferさんとTim Kliphuisさんというこのジャンルでは知らぬ人のいない超ビッグアーティストも出演予定でした。
海外のフェスに呼ばれる、超有名アーティストと同じステージで共演できる。ミュージシャンならだれでも夢見るシチュエーションが現実のものになろうとしているその瞬間、私がとった行動はオファーを断ろうと思ってるんだがどう思う?と家族に相談することでした(笑)
Youtubeの動画がバズった時もそうなんですが、私はそれまでの辛い人生経験が災いして、大きなチャンスが来るとまず「嘘ではないか、騙されているのではないか」と考える悪い癖がありました(笑)
今回も私は「ギャラを貰えなかったり、ブラジルまでの飛行機代が先に自己負担で、後で清算してもらえなかったりしたらどうしよう」などと要らぬ心配を募らせていたのでした。
Joseさんの名誉のためにも強調して書いておくのですが、このブラジルでのフェス、Festival de Jazz Manouche de Piracicabaは私が人生で経験してきた中で最も大きなイベントであり、ミュージシャンとしても最大の歓迎を受けた、そして素晴らしくプロフェッショナルな仕事でした。
「ブラジルなんて一生に一度も行けないかもよ、とりあえず飛び込んでみたら」という家族からのアドバイスで無理やり自分を納得させ、オファーを引き受けのでした。
このブラジルのフェスを経て私の人生はまた大きく変わることになりますが、現地での様子はまた別の記事にまとめようと思っています、お楽しみに!
遂にフルタイムのミュージシャンになる
帰国後、なんと間髪入れずに次の海外公演のお誘いを受けました
2週間のブラジル公演で既に有給休暇を使い果たしていた私は、これが潮時と決心し、8月でクラフトジン蒸溜所を退職、音楽以外の仕事をすべて辞め、フルタイムのミュージシャンとなりました。
あとがき
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
唐突に終わってしまいすいません(笑)
「過去編」と比べると、いままで触れられなかった部分も拾いつつ現在まで繋げなければいけない関係上、時系列が前後したり、叙事的な文が続く箇所も多かったと思います。参加したすべてのライブ・イベント・レコーディングについて書きたいくらいでしたが、まとまりがなくなるのでキャリアの転換点となるような出来事へ集約しました。
私の人生は、限界まで根を詰めて頑張って、気持ちが挫けてしまいそうなまさにその瞬間に、思いがけずチャンスを得たり、誰かが手を差し伸べて助けてくれたりすることが毎回で、そのたびに「ああ、こういうことがあるから自分は腐らずにいられる」と神様に感謝しています。
この「物語」はまだ未完で、現在進行形です、私の活動に関わる方全てが大事な登場人物です。
今後も夢に向かって、すべてのリソースを傾けて進んでいこうと思っています、応援していただければ幸いです!
次に何を書くかは未定ですが、こうして定期的に自己開示し、過去の実績を振り返ったり、未来の目標を書いておくことで、皆さんが私の活動を楽しく臨場感を持って見てくれたらいいなと思っています。
それでは次の記事、次のYoutube動画、もしくは次の私のリーダーライブの会場で、お会いしましょう!