転職を考えるタイミング
おはようございます。今日も変わらず9時寝4時起きのサラリーマンです(8時過ぎから就業)。
先日投稿した「転職活動 若手社員にとって」記事に思いの外沢山の方から「好き」を頂いたので「転職」について私なりの思いを今回も投稿します。
参考までに沢山の好きを頂いた記事を読んでみてください。
結論: 社会人2−4年目で転職を考え始める人が多い理由
「転職」について言及するくらいですから私も例に漏れず「転職」について真剣に向き合ったサラリーマンの一人です。向き合ったと表現するくらいなので今は活動していないのかというとそうでもないのですが、2年弱の間(文字通り真剣に悩んだ期間は2−3ヶ月)、自分と真剣に向き合い乍ら歴史や偉人の人生について触れることで今では沼にハマった足を取り出し、前向きに心地よく日々を過ごすことが出来ている状況です(決して明確な目標が定まったわけではないのですが、精神的にスッキリした状態でまさに沼を抜け出した感覚です)。
私自身の精神状態はさておき、所謂JTCに入社して6年目になり、若手とカテゴリーされるか微妙な年次に突入してきました。私が今の会社に不安や不満を抱き始めたのは社会人4年目で、周りの方に話を伺ったりする機会が多いのですが割と2−4年目になると「転職」について考え始める方が多い印象を持っています。石の上にも3年という諺もよく出来たものだと思うのですが、なぜ約3年あたり経過すると急に転職を考えるのかよくわからず色々考えてみました。
私也の結論ですが、3という数字や期間はあまり意味を持っておらず、自我が芽生えるきっかけやタイミングに依拠すると考えています。言い換えると、3年というのはあくまで結果論であり、年齢や年次、期間といった数値自身に何ら意味はないものと考えています(あくまで過去のデータベースをもとに分析した結果論)。
なぜ社会人2ー4年目に転職を意識し始めるのか
私の例で言えば4年目ですが、そのタイミングで会社清算を経験し、自分のパフォーマンスにより同僚が解雇され路頭に迷う人生に直面したことがきっかけです(厳密には事業からの撤退)。まさにこの瞬間に初めて自分の成果が会社経営(存続)に直結していることを体感できました(強烈な自我・自責・個としての自分を認識した瞬間)。
本記事を読まれている皆さんも何かしらの出来事をきっかけにして「転職」を考える方が殆どなのではないでしょうか。転職を考え始めるまでの過程(感情・経験)を体得するまでに一通り仕事をなぞってみる必要があり、その期間に約3年を要するということなのではないかと個人的に考えております。実は社会人1年目でもそういったきっかけに出会している場合があるのですが、環境(衣食住)・人間関係が変わってすぐの間だと全てが新鮮で良い意味で正しい判断が出来ていない(その瞬間瞬間を楽しむことが出来ている)ので転職といった思考が芽生えてない可能性があると考えています。
誰しもが考え得るステップとしての転職
難しい表現になってしまったのですが端的にいうと思い詰め過ぎないでくださいというものです。考えてみれば義務教育を受けている私達は過去に同じような類いで悩んだ経験はありませんでしょうか。例えば進路(中学受験・高校受験・大学受験)や就職活動といったものが代表例として列挙できると思います。不思議なことに中学・高校・大学と3・3・4年の期間で今後の人生について考え、決断する機会を持つようになります。転職と異なるのはそれらの学生時代は最終的に決断して前に進まざるを得ないことです(勿論、高校や大学に敢えて進学しないという選択もありますがマジョリティは大学まで進学するという過程での記述)。
表現が適正かはさておき、一方で転職というのはあくまで自らの意思をもとに判断するものです。言い換えると、判断したところで決断をする必要もなければ前に進む必要がないものです。ここが大きく異なると私は考えています。
世の中・社会の流れとして転職が日常茶飯事になりつつあり、みんなが転職するから私も転職を考えないとといった一種の同調圧力が働いて意識し始めている方も多いと思います。また経済が芳しくなく、特に低い成長率でしか伸びていない日本においてはこのままではいけないといった左派的な意見・コメントが飛び交う環境下、SNSといったメディアやコミュニケーションの発達に伴う人との繋がりや情報格差の是正、IT技術の進歩の影響も相俟っていることで余計に煽られている感覚を個人的には持っています。決してそのような流れが悪いことではないと思いますし、世の変遷において変化することは諸行無常の観点でも転職することは素晴らしい事だと考えています。
一方で脅迫概念としての転職活動はよろしくないと思います。
カーネルサンダースのように60を過ぎて花ひらく人生もある中で、人生100年時代になったうちのたった3%の期間で物事を判断せず、またその判断で全てが変わるといったように思い詰めず、心と体の両方の状態が同時多発的にシンクロするような感覚(ワクワクが止まらない、感情が抑えきれない等)を持つ然るべきタイミングに然るべき機会が訪れた際に然るべき判断をすることで、悔いのない人生を送れるのではないでしょうか。
最後に
私も実際に転職活動を通じて複数回にわたって決断を迫られる機会がありましたが、判断を下す際にそういった感覚を持つことが出来ずに今の仕事を続けています。
結果として、夫々下した判断に一才の後悔はありませんし、冒頭の通り寧ろ精神状態的にはスッキリしています。悩んでいる時は辛いですし、思い詰めてしまう癖があると思いますが、もう義務教育は終わっています。次のステップに進むことが必ずしも正しい・素晴らしいというものではないということを認識し、自然体でいることも重視してはいかがでしょうか。